松井大輔のドリブルが凄かった!使用スパイクは?
松井大輔は日本屈指のテクニシャン!ドリブルが凄かった!
松井大輔は、ポーランド2部リーグのオードラ・オポーレに所属するサッカー選手です。京都で育ち、幼少の頃から天才と呼ばれた松井大輔は、日本屈指のテクニシャン。圧倒的なドリブルテクニックと、創造性を持ったパスを武器に、日本と欧州で多くの観客を魅了してきました。
左サイドの高い位置を主戦場とし、たとえ2~3人に囲まれても、果敢にドリブルで仕掛けて相手を抜き去り、ファウルでもなければ止められない……そんな松井大輔の華麗なテクニックは、シャンパンサッカーと呼ばれる華麗なテクニックを好むフランスリーグでも高く評価されました。事実、24歳だった2006年1月には、フランス1部リーグの月間MVPを獲得したほどです。
また、日本代表としても31試合に出場した松井大輔は、2004年のアテネオリンピックではエースナンバー10番を背負い、2010年のFIFAワールドカップ南アフリカ大会では日本のグループリーグ突破に大きく貢献しています。そして、翌2011年に行われたAFCアジアカップで優勝した際の中心メンバーでした。
松井大輔が愛用するスパイクはプーマ!しかし1年だけ乗り換え?
松井大輔のテクニックを支えるスパイクはプーマ製です。10年以上にわたりプーマのスパイクを愛用していましたが、ニューバランスがサッカースパイク市場に参入した2015年の1年だけ、ニューバランスのスパイクでプレーしています。ジュビロ磐田の松井大輔のページを見てみると、2016シーズンのみ、スパイクメーカーがニューバランスとなっていることが分かります。
最近は、鹿島アントラーズの小笠原満男や、マンチェスターユナイテッドのヤヌザイなど、Jリーグやイングランドのプレミアリーグなどでニューバランスのスパイクを採用する選手が増えてきました。トップモデルのVISARO(ビザロ)は、柔らかなカンガルーレザーを使うことで、フィット感を向上させ、足なじみが良いことが売り。
繊細なボールタッチにこだわる松井大輔好みのスパイクと言えるでしょう。しかし、やはり長年履き慣れたプーマがよかったのか、2017シーズンは、プーマの「エヴォパワー1.3トリックス」を履いてプレーしています。
松井大輔の嫁は加藤ローサ!年俸や評価は?
松井大輔の嫁は加藤ローサ!超遠距離恋愛を成就させスピードできちゃった婚!
松井大輔は、4つ年下で女優の加藤ローサと、2011年6月22日に入籍しました。ゼクシィのCMなどで人気を博した加藤ローサは、イタリア人の父を持つハーフ美人。松井大輔が29歳だった2010年の秋に友人の紹介で出会い、2011年初頭に交際に発展しました。
2人が、交際半年のスピード婚を発表した時には、加藤ローサがすでに妊娠4カ月であったため、大きな話題となりました。当時の松井大輔はフランスのグルノーブル・フットに所属していたので、9600kmの超遠距離恋愛!国際電話を通し、愛を深めていったとのことです。
スピード婚に加えてできちゃった婚であること、しかも、松井大輔は自身の浮気が原因で2009年に離婚していることから、この結婚を不安視する声が多々あったことは事実。しかし、2011年12月、2014年2月と2人の男児に恵まれ、帰国する際には4人の仲睦ましい姿が報道されていることから、夫婦仲は良好なようです。
松井大輔のチーム遍歴や年俸や評価は?
松井大輔は、国内外で数多くの移籍を経験しています。鹿児島実業高校卒業後、京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)に入団してプロ入り。入団初年度から活躍した松井大輔は、2年目には10番を背負い、3年目には朴智星や黒部光昭らと強力な攻撃陣を形成して天皇杯優勝を果たします。そして2004年秋に、フランス2部のル・マンに、レンタルで初の海外移籍をしました。
ル・マンがフランス1部昇格に貢献した2005-2006シーズンに完全移籍した松井大輔は大車輪の活躍を見せ、「ル・マンの太陽」と呼ばれています。この当時の年俸が約1億円です。2008-2009シーズンに同じフランス1部の強豪ASサンテティエンヌへ移籍した際の年俸は1億5千万円で、キャリアハイと言われています。
その後は、ケガや所属チームの降格などもあり、フランス・ロシア・ブルガリア・ポーランドなど5クラブを渡り歩き、2014年のジュビロ磐田移籍で国内リーグに復帰した松井大輔。2015年のジュビロ磐田のJ1復帰に貢献しながらも、年齢から徐々に出場時間が少なくなると、2017シーズン途中にポーランド2部のオードラ・オポーレに移籍することを発表しました。ジュビロ磐田での年俸は4千万円と言われています。
松井大輔が36歳で再び海外に挑戦!厳しい環境を求めポーランドへ!
松井大輔は、2017年8月5日のジュビロ磐田対サンフレッチェ広島戦の後、ポーランド2部のオードラ・オポーレへ移籍。試合後にはセレモニーが行われ、3年半を共に過ごしたジュビロサポーターに感謝の言葉を述べ、拍手で送り出されています。1981年5月11日生まれ、36歳にして再び海外に挑戦するという松井大輔の決断は、多くのサッカーファンや関係者を驚かせました。
オードラ・オポーレからオファーが届いたのは2017年7月中旬。その頃、ジュビロ磐田は、J1リーグ戦で10数年ぶりとなる優勝戦線に食い込める位置にいました。若手の台頭もあり、出場時間が減っていたとはいえ、途中出場で試合展開を変えられる力を持つなど重要な役割を担っていた松井大輔。ジュビロ磐田の幹部からも「引退まで磐田で」と慰留されたと言いますが、最終的には新天地での挑戦を決断しました。
常に試合に出場し、プレーし続けることを目標としている松井大輔は、「良くても悪くてもそれが人生」「厳しい環境のほうが自分らしい」と、新天地での挑戦に闘志を燃やしています。オードラ・オポーレは、ポーランド2部リーグで首位を走っており、1部昇格に向けて新戦力を補強している段階。新天地では過酷なレギュラー争いが待っていますが、自らのテクニックで数々の欧州クラブを渡り歩いた松井大輔ならばきっと活躍するに違いありません。松井大輔の新たな挑戦に注目しましょう!