オレステス・デストラーデの現役時代の成績は?1試合だけ投手として登板していた!

オレステス・デストラーデの現役時代の成績、流暢な日本語とガッツポーズの秘密!

オレステス・デストラーデのホームランを支えた集中力!

西武ライオンズ黄金時代の長距離砲オレステス・デストラーデをご存じでしょうか?「カリブの怪人」の異名で知られ、独特のガッツポーズをご記憶のファンも多いことでしょう。西武黄金期の原動力として活躍したオレステス・デストラーデの存在は、ファンの間で伝説となっています。

5歳の時にキューバからアメリカ合衆国に亡命し、フロリダ短期大学でホームランのシーズン記録を更新。その実績が認められて、1981年に、ニューヨーク・ヤンキースと契約しました。1987年にメジャーデビューしたオレステス・デストラーデは、ピッツバーグ・パイレーツを経て、1989年シーズン途中に西武入り。途中加入ながら、ハイペースでホームランを量産して、5番・指名打者として定着しました。全盛期に見せたホームランの威力は強烈で、秋山幸二や清原和博と組んだクリーンアップトリオは、伝説の「AKD砲」として語り草となっています。

日本シリーズでは、3年連続で初戦の第1打席にホームランを放ち、流れを大きく引き寄せる役割を果たしたオレステス・デストラーデ。特に、1990年の巨人との日本シリーズでは、特大の3ランホームランを打ち、相手の度肝を抜きました。その強打を支えたのは、「ミスター・コンセントレーション(集中力男)」と呼ばれた驚異的な集中力です。まさに西武最強の外国人選手と語り継がれるにふさわしい活躍ぶりだったと言えるでしょう。

西武打線の中で大きな存在感を発揮したオレステス・デストラーデは、1993年からはメジャーに復帰。フロリダ・マーリンズで4番を務めますが、翌1994年には西武へ復帰します。しかし、往年の迫力にはほど遠く、1995年6月で退団しました。

オレステス・デストラーデ現役時代の成績、流暢な日本語とガッツポーズの秘密!その成績は西武日本一に直結!

オレステス・デストラーデの日本での通算成績は、517試合に出場して、1816打数476安打160本塁打389打点、打率2割6分2厘です。獲得タイトルは、本塁打王3回と打点王2回、ベストナイン3回。左右両打席からホームランを連発し、スイッチヒッターとして日本初の本塁打王に輝くという成績を残しています。

オレステス・デストラーデのホームラン量産ペースは驚異的で、特に来日初年度の1989年は、出場83試合で打率こそ2割5分7厘だったものの、32本81打点の荒稼ぎを見せました。フル出場すれば打撃タイトルも取れるとの高い評価はその後現実となり、翌1990年からは3年連続本塁打王、2年連続打点王のタイトルにも輝いています。

もちろん、その成績は西武の日本一獲得にも直結しており、彼がメジャーに去った1993年には、西武が日本シリーズ制覇を逃したほどでした。そんなオレステス・デストラーデのトレードマークは、ホームランを打った後の独特のガッツポーズ。雄叫びを上げながら軽くステップを踏み、弓を射るようなポーズで広く認知されました。

アメリカでは侮辱と取られて報復対象になるのでほとんどしなかったガッツポーズですが、日本では、少年ファンから期待されることもあって積極的に行っていたようです。日本語も来日以来熱心に勉強に取り組み、カラオケでは日本の流行歌を熱唱していたオレステス・デストラーデ。そのかいあって、流暢に日本語を操れるようになり、見事な適応力を見せました。

オレステス・デストラーデが1試合だけ投手として登板していた!メガネを封印し多岐に渡って活動中

オレステス・デストラーデは1試合だけ投手として登板していた!

強打者としての記憶が印象的なオレステス・デストラーデは、実は投手として登板した試合が1試合だけあります。それは、西武に復帰した1995年のシーズン中のことでした。5月9日に行われた対オリックス戦(富山)で、8回裏2アウトから登板しています。

信じられないでしょうが本当の話です。0-9とオリックスがめった打ちで大量リードし、西武にとってはもはや逆転など望み薄な展開となっていました。そんな中、ピッチャーとしてコールされたのが、本来は野手のオレステス・デストラーデですから、スタンドがどよめきに包まれたことは言うまでもありません。当時の西武監督だった東尾修は、「ファンサービスのつもりで登板させた」と、その意図を明らかにしています。

とはいえ、オレステス・デストラーデには高校時代にピッチャー経験があったので、決して無茶な登板とは言い切れません。結果はと言うと、先頭バッターに三塁打を許し、続いて2者連続フォアボールを与えて、ワンアウトも取れずに降板……。なお、当の本人は登板指令には驚いたものの、楽しんで投げていたそうです。

オレステス・デストラーデの現在はレイズでディレクター職!メガネを封印し多岐に渡って活動中!

銀縁メガネをかけた知的な風貌も印象的なオレステス・デストラーデは、一見すると物静かな印象で、初来日した時には「まるで牧師のようだ」と評されました。裏を返せば、「迫力に欠ける」という揶揄もあったのかも知れません。しかし、いざユニフォームに袖を通すと、勝負どころで迫力満点の猛打を披露。知的な雰囲気を醸し出すはずのメガネが、逆に迫力を倍増させているような印象を与えたから不思議なものです。

しかし、現在のオレステス・デストラーデは、メガネを封印しています。タンパベイ・デビルレイズ(現タンパベイ・レイズ)でコミュニティ開発ディレクターを務め、1996年には、西武とレイズの提携交渉にも携わりました。講演や野球教室を開催する一方、地域活動に携わったりするなどの活動をしているとも伝えられています。

また、プロ野球マスターズリーグの東京ドリームスに所属し、2002年から2年連続してホームラン王に。さらに野球解説者も務めていて、2009年にはWBC東京ラウンドを解説するなど、オレステス・デストラーデの活動は多岐に渡っています。

オレステス・デストラーデは日本球界復帰に意欲!「いつか日本で監督に」と指導者の意向も?

かつて西武で豪打を誇り、黄金時代の一角を担ったオレステス・デストラーデには、指導者になりたいという意向があるようです。事実、「伊東さん(伊東勤=当時千葉ロッテ監督)、工藤さん(工藤公康=現福岡ソフトバンク監督)、辻さん(辻発彦=現埼玉西武監督)が監督をやっているよね?私もいつか日本で監督になれたらいいな」と真顔で語ったとか。

彼らは、いずれもオレステス・デストラーデとは西武時代のチームメイトでした。共にライオンズ黄金時代を築き上げた仲間たちが、今や各球団の監督を務めている情報も抜かりなく仕入れています。これらの情報が頭に入っているのは、インターネットなどで日本野球を欠かさずチェックしているたまものでしょう。

熱心に習い覚えた日本語は現在も堪能です。「秋山さん(=秋山幸二)、石毛さん(=石毛宏典)とは今も親しくさせてもらっている。キヨ(=清原和博)は元気かな?」と、かつてのチームメイトの名前がスラスラと出てくることからも、日本球界への意欲が垣間見えるというもの。

かつての「カリブの怪人」オレステス・デストラーデも55歳ですが、「私はまだ若いよ!」と再びの日本復帰に向けて意欲を燃やしています。かつての西武の強打者が、指導者としてカムバックすることに異論のあるファンはいません。近い将来、コーチとして日本球界に復帰が実現すれば嬉しいですね。

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