鈴木蘭々の明るいキャラクターの裏に兄の死や逮捕があった……実家が「梁山泊」とは?
鈴木蘭々の明るいキャラクターの裏に兄の死や逮捕があった……
タレントの鈴木蘭々は、1990年代に、不思議ちゃん系の明るいキャラクターで2年連続CM女王に輝くほどの人気を集めていました。しかし、当時の鈴木蘭々の明るい笑顔の裏には、8歳上の次兄の死があったことが20年経って明かされました。生まれつき身体が弱く、軽度の知的障害もあった次兄は、鈴木蘭々の人気に火が付き始めた1993年、家族が出掛けたわずか15分の間に心筋梗塞で逝去。
また、鈴木蘭々の10歳上の長兄・鈴木敏裕は、関東総合通信局からの警告を無視し続け、違法に開設した無線局で10年以上もラジオ番組を放送し、電波法違反により2011年7月に現行犯逮捕されています。都内の自宅アパート屋上にアンテナを設置し、「DJすーさん」を名乗って無許可でFMラジオ局を開設していた長兄。鈴木蘭々は、兄が法を犯しているとは知らずに番組にゲスト出演したことがあり、事務所から厳重注意を受けました。
鈴木蘭々の本名は智子!実家が「梁山泊」とは?
鈴木蘭々の整った顔立ちは、まるで外国人とのハーフのような印象を受けます。しかし、「100%日本人」と本人が明言しており、本名も鈴木智子といたって和風。13歳の時にスカウトされてモデルになり、本名で5年ほど活動した後、1993年頃に、鈴木蘭々という芸名にしてショートヘアにした頃からブレイクしたと回顧しています。
芸名は、「ランラン」という響きが楽しそうなことと、末尾の「ん」という文字にはそれ以上遮る文字が存在しないことから「無限に広がる」という意味が込められているそうです。本当は、「鈴木鈴(すずきりん)」という回文のような芸名を希望したそうですが、事務所に却下されたと明かしています。鈴木蘭々の実家は、東京都練馬区関町にある「梁山泊」という中華料理店だと噂されており、肉あんかけチャーハンがおいしいと評判の人気老舗店です。
鈴木蘭々の若さの秘訣、「ナリアコスメティックス」の評判は?同棲中の恋人の正体、結婚願望は?
鈴木蘭々の若さの秘訣は?自ら手掛けた高級美容液の評判は?
鈴木蘭々は現在、「ナリアコスメティック」というコスメティックブランドをプロデュースし、「セルフュエルセラム」という美容液の開発に携わっています。乾燥肌と敏感肌に長年悩み続けた鈴木蘭々が、年齢を重ねるにつれて、基礎化粧品がなんとなく肌に合わなくなるという泥沼に終止符を打つために、自らが納得のいく成分を集めて、こだわりの製法で作った商品です。ホームページの商品紹介では全成分名を公表し、「シワに抗い・ハリが増し・シミを薄くして肌を白くし・肌のバリア機能を高め・保湿をするように“設計してある”」とのこと。
洗顔後はこの美容液のみというスキンケアで、プライベートでは常にほぼすっぴんで出歩けるほどの肌の美しさを保っているそうです。とはいえ、内容量わずか20mlで16200円という価格設定の美容液を一般人が使用したという口コミや感想などはネット上には見当たりません。「ナリアコスメティック」の公式ホームページの「お客様の声」のタブをクリックしても、「ページが存在しない」というエラーメッセージが表示されるという状況です。
鈴木蘭々が2人の恋人と同棲中!結婚歴や結婚願望は?
鈴木蘭々は40代になった今も独身で、結婚歴は一度もありません。そんな鈴木蘭々が「同棲中の恋人」と公言しているのが、もともと野良猫だった2匹の猫たちです。鈴木蘭々は、ブログやインスタグラムで、愛猫の「マロ」と「風太」とのラブラブな生活をたくさんの写真で公開しています。
鈴木蘭々の現在の関心事は、スキンケアや自身のコスメブランドと、趣味の旅行と、愛猫との生活で、恋愛や異性との駆け引きにはあまり興味はないとか。「結婚は機会があれば」「60歳くらいになったらしてもいいかな」、という程度の考えで、焦りや強い結婚願望はないようです。
鈴木蘭々が舞台女優へシフトチェンジした経緯とは?現在は「代打の女王」の呼び声も高しのミュージカル女優へ
鈴木蘭々は、1994~1999年まで出演していた「ポンキッキーズ」で灰色のウサギに扮するなどの天真爛漫な姿が思い出されます。しかし意外なことに、人気絶頂にあった23歳の時、“マドンナに会いたい”という理由で仕事を降板して休業した鈴木蘭々は、約1年間、歌手修行という名目でアメリカへ留学していました。
マドンナとの遭遇は叶わないまま帰国すると、バラエティタレントではなく、本格的な歌手を目指して路線変更を希望しましたが、世間が鈴木蘭々に求めるのは天真爛漫なバラエティタレント像。そのため、イメージチェンジにはかなり苦しんだと言います。そして、自分のやりたいことと世間が求めることのズレに戸惑った末、鈴木蘭々は、ミュージカル女優へと進路を変更しました。
評価を確実なものにしたのは、2005年7月の大人計画の舞台「キレイ」です。主演の酒井若菜が急性胃腸炎で降板することになり、急遽招集された鈴木蘭々の演技は、わずか数日の稽古の結果とは思えない完成度の高さでした。大好評を博した鈴木蘭々は、その翌月には、想定外の妊娠で降板となった知念里奈の代わりにミュージカル「ジキル&ハイド」にも出演。
2008年10月には、Piperの舞台「ベントラー・ベントラー・ベントラー」に出演予定だった平山あやが急性咽頭炎で降板することになり代打を務め、「代打の女王」の呼び名を不動のものにしました。猫と自分の顔のドアップの写真ばかりが並ぶ鈴木蘭々の年齢不詳なインスタグラムを見ていると、ブレイクから20年以上経った今でも不思議ちゃんのままという印象を受けます。とはいえ、「昔と変わらない」という世間の声は、中年女性にとっては何よりの賛辞!これからも舞台や化粧品開発など、多方面での活躍を期待したいです。