高山善廣は脳梗塞からも奇跡的な復帰を遂げていた!頸髄損傷事故のリハビリを支える妻がブログでファンに感謝

高山善廣がプロレス界の帝王に登りつめるまでの軌跡!脳梗塞から奇跡的に復帰を遂げていた!

高山善廣これまでの軌跡!「プロレス界の帝王」に登りつめるまで

「プロレス界の帝王」ことプロレスラーの高山善廣(たかやまよしひろ)は、かつて脳梗塞から奇跡的なカムバックを遂げました。そして現在は、試合中に頸髄完全損傷の重傷を負い、首から下が動かないという過酷な状況に置かれています。

そんな逆境の中でも、復活を目指して厳しいリハビリに励む彼のこれまでの軌跡を振り返ってみましょう。1966年9月19日生まれで、東京都墨田区出身の高山善廣は、身長196cmで体重125kg。高校時代はラグビー部で鍛え、大学卒業後のサラリーマン生活を経て、1991年11月にUWFインターナショナルに入門しました。絶対的エースだった高田延彦に憧れて厳しいトレーニングに耐えた高山善廣は、1992年6月の金原弘光戦で実戦デビュー。1997年の全日本プロレス参戦時にジャイアント馬場からアドバイスを受け、ダイナミックなファイトに開眼しました。

その後、大森隆雄と組んだタッグチーム「NO FEAR」で旋風を巻き起こします。2000年には、三沢光晴らと共に全日本プロレスを脱退し、プロレスリング・ノアの立ち上げに参加しますが、翌2001年のPRIDE参戦を機にフリーに転向した高山善廣。著名団体の興行からインディーズに至るまで、リングに上がり続けて人気を博していきました。その垣根を越えた活躍から、「プロレス界の帝王」の異名を奉られ、今ではその代名詞がすっかり定着しています。

高山善廣は脳梗塞から奇跡的な復帰を遂げていた!過去に例のないプロレスラーの復帰劇

高山善廣は、過去に、脳梗塞に倒れながらも奇跡的な復帰を遂げたことがありました。彼が異変を感じたのは、2004年8月8日です。当時38歳だった高山善廣は、大阪で試合に臨んでおり、試合後の取材を終えた時に、右半身のしびれを感じたと言います。

その後は本人曰く「何がなんだか分からなくなり」、救急車で病院に緊急搬送され、手術を受ける事態となりました。本人は「もうダメかと思った」そうですが、発見と処置が早かったおかげで、翌朝にはベッドに座ることができていたとか。とはいえ、箸を使ったり文字を書いたりすることもおぼつかない状態でした。

医師から「とにかく歩くことです」とアドバイスを受けた高山善廣は、散歩や階段の昇り降りなど、日常的な動きで麻痺した感覚を取り戻そうと奮闘する日々が続きます。肉中心だったこれまでの食生活を改善するなどの努力も功を奏したのか、リングへ復帰する日がついに訪れました。

それは、脳梗塞発症からおよそ2年後の2006年7月16日。ノア日本武道館大会に姿を見せた高山善廣の雄姿に、武道館が歓喜と熱狂に包まれたことは言うまでもありません。

高山善廣とドン・フライの死力を尽くした激闘!息子は一字違いで名前が同じ!

高山善廣とドン・フライの死力を尽くした名勝負!そのドン・フライからメッセージが!

高山善廣と、口髭がトレードマークの格闘家ドン・フライの激闘を記憶に焼き付けている格闘技ファンも多いことでしょう。この一戦は、死力を尽くした名勝負として今も語り草になっています。2002年6月23日の「PRIDE.21」で対戦した両者は、互いに相手の首に手をかけて殴り合いを繰り広げました。

それだけのことはあり、死力を尽くしたファイトは双方にすさまじいダメージを残します。マウントパンチを食らってTKO負けした高山善廣の顔面は、顔をそむけたくなるほど変形していました。一方、勝者のドン・フライも、肩を壊すなどのすさまじいダメージを被り、「歩くに支障を来たすくらい腰が悪くなり、いきなり倒れたことがあった。足がしびれて立ち上がれなかった」ほど、深刻な後遺症に見舞われたとか。それだけ高山善廣のパンチがハードだったことを示していると言えそうです。

その激闘から15年の歳月が流れ、頸髄完全損傷で療養生活を送る高山善廣の元に、ドン・フライからのメッセージが!「あなたは神が私に与えてくれた最高の対戦相手だった」とかつての強敵を讃え、「あなたとの闘いは世界中が観戦した最高の試合だった」と伝説の激闘を懐かしむドン・フライ。「ミスター・タカヤマ、あなたを失うことなんて考えられません」と結ばれた真摯なメッセージに、高山善廣が心を打たれたことは間違いないでしょう。

高山善廣の妻は元モデル!息子は一字違いで名前が同じ!

高山善廣と妻との馴れ初めや、同じ名前を持つという子供についても話題になっています。高山善廣が結婚したのは、2001年頃とのこと。妻との馴れ初めについての詳しい内容は伝えられていませんが、モデル出身とのことで、相当な美人だとの噂でもちきりです。プロレスラーの妻は美人が多いと言われていますが、高山善廣もその例に漏れないとみえます。高山善廣夫婦は、2007年に第1子をもうけていて、名前は善弘(よしひろ)というそうです。

お気付きかと思いますが、親子一字違いで名前が同じ!命名する際に、「善」までは決めており、姓名判断で「弘」の字が良いとされたため、妻の「同じ名前でいいんじゃない?」という一言で決めたとか。誕生日は1月31日で、教えを受けたジャイアント馬場の命日にあたるというのも不思議な巡り合わせです。リング上では激しいプロレスを見せる高山善廣ですが、リングを降りれば、良き父親として子育てをしていると伝えられています。

高山善廣が電動車椅子で半年ぶりに動いた!妻がブログで感謝!

2017年5月4日の試合中に頸髄を損傷し、救急搬送されてから半年が経過した高山善廣。医師からは「回復の見込みはない」と宣告を受けたというニュースにショックを受けたファンも多かったことでしょう。しかし、そのような絶望的な状況にあっても、高山善廣は一歩ずつ前進しています。

妻が更新したブログでは、「この半年間に、色々な形でご支援していただきました。高山共々、心から感謝しております」と支援活動へのお礼の言葉が述べられました。さらに、「電動車椅子に乗る練習をしています。手が動かないため、アゴでコントローラーを操作しています」とのことで、半年ぶりに自分の意志で動けたことを喜んでいたそうです。

コントローラーの操作が意外にうまかったため、夫人は「ラジコンなどで遊んだ賜物なのではないか」と思っているとか。リハビリは険しい道のりですが、動けるようになったというだけでも喜ばしい限りです。募金活動に奔走する親友の鈴木みのるがツーショット画像をアップしたところ、反響が続々と寄せられたことからも、高山善廣の復活を願う声がいかに根強いことかが分かります。

その他にも、チャリティ写真展が開催されるなど、復活を目指す高山善廣への支援の輪はますます広がっているようです。脳梗塞から復帰した経験を持つ彼のこと、きっと復活に向けて闘志を燃やしているに違いありません。

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