高木豊の息子は3人そろってサッカー選手!現役時代の成績は?

高木豊の息子は3人そろってサッカー選手!結婚した嫁は?

高木豊の息子は「高木3兄弟」で知られたサッカー選手!快足で鳴らした父親の血を受け継いでいた

高木豊は、横浜大洋ホエールズ(後の横浜ベイスターズ、現横浜DeNAベイスターズ)で活躍した元プロ野球選手です。走攻守3拍子そろった名内野手としてチームを牽引したことで知られています。

球界屈指のクレバーな理論派として定評がある一方、サッカーにも造詣が深い高木豊の3人の息子は、いずれもサッカー選手になりました。プロ野球選手の息子が揃ってJリーガーとは異色ですが、高木豊が息子たちをどのように育ててきたのかは興味があるところです。

高木豊の長男はセレッソ大阪の高木俊幸で、次男はアルビレックス新潟の高木善朗、三男はレノファ山口FCの高木大輔で、ユース時代から「高木3兄弟」として注目を集めていました。サッカー選手は脚力がないと務まりませんが、その点は、快足で鳴らした父親の血を受け継いでいると言えそうです。

高木豊は、子供たちを無理やり野球の道に進ませることはしなかったと言います。子供たちが興味を示すものをやらせてみたところ、一番興味を持ったのがサッカーだったため、結果として3人ともサッカーの道に進むことになりました。自分のやり方を押し付けず、自主性を重んじたという方法は、世の父親たちも大いに参考になるのではないでしょうか。

高木豊は、1958年10月22日生まれで、山口県山口市生まれの同県防府市出身。中学3年時に頭角を現し、多々良学園高校(現・高川学園)では1年春からレギュラーになりました。甲子園出場にこそ恵まれなかったものの、中央大学では「東都の安打製造機」と異名を取る活躍ぶりを見せ、2年連続で日米大学野球の代表入りを果たします。

1980年のドラフト会議で横浜大洋ホエールズから3位指名を受けてプロ入りすると、2年目からセカンドのレギュラーに定着し、主にトップバッターとしてプレー。俊足を持ち味とし、1985年には、加藤博一や屋鋪要とともに「スーパーカートリオ」として、盗塁の山を築きました。

長らくハマの顔として存在感を発揮してきた高木豊でしたが、1994年に日本ハムへ移籍。同年限りで現役引退した後は、古巣の横浜でコーチを歴任し、2004年のアテネオリンピックでは、日本代表のコーチも務めました。現在は、野球解説業の一方、YouTubeに進出するなど、ユニークな活動を見せています。

高木豊は理想の女性だった嫁と離婚!再婚し生まれたのが高木3兄弟

高木豊には離婚歴があります。最初の結婚は、1983年オフです。そのシーズンは、横浜大洋のレギュラー定着2年目で、プロ入り初の打率3割(3割1分4厘)を打った記念すべき年でした。主力として実力を発揮し始めた高木豊にとって、極めて充実していた時期なので、結婚するには最高のタイミングだったのではないでしょうか。

翌1984年には56盗塁で初の盗塁王タイトルを獲得するなど、この時期上り調子だった高木豊には、所帯を持って責任感が芽生えていたことが見て取れます。1985年の選手名鑑では、当時結婚していた嫁を理想の女性として挙げているので、ベタ惚れしていたのでしょう。しかし、その理想の嫁とはあっけなく離婚。高木豊が再婚したのは1990年で、この嫁との間に生まれたのが、現在サッカー選手として活躍している3兄弟です。

高木豊の現役時代の成績は?現在は飲食店の経営者!

高木豊の現役時代は打率3割を8回達成の成績!「スーパーカートリオ」で計148盗塁

高木豊は、通算14年間プレーし、1628試合に出場して、5782打数1716安打、88本塁打。545打点で321盗塁、通算打率2割9分7厘という成績を残しています。あと少しで打率3割、2000本安打が目前だったのに惜しいことでした。バッティングでは、1983年から4年連続で打率3割を記録していて、通算でも8回にわたって3割を打っています。

1990年は、打率3割2分3厘で惜しくもリーグ2位とはいえ、大学時代に、東都大学リーグ歴代2位の113安打を打っているほどですから、プロでもその実力がいかんなく発揮されたことが分かります。走力も秀でていた高木豊は、1983年から10年連続で2桁盗塁を達成。1984年には、56盗塁で盗塁王を獲得すると、翌1985年には加藤博一や屋鋪要との「スーパーカートリオ」の3人合わせて148盗塁を奪い、リーグに旋風を巻き起こしました。

自身通算321盗塁と球史に残る快足ぶりですが、盗塁失敗も多く、盗塁死は178個に上ります。そのため、盗塁成功率は6割4分3厘と、300盗塁以上を記録したプレーヤーの中では歴代ワースト……。良く言えば失敗を恐れない果敢な走塁ということになるでしょうが、歴代の監督はさぞ頭を痛めたに違いありません。

セカンドとしての守備力も高く、1987年には、127試合で守備率9割9分7厘(エラー2個)を記録。この時、リーグ最高の数字でありながらゴールデングラブ賞に選出されなかったことに納得できなかったようで、異議を唱えたこともありました。

高木豊は飲食店の経営で成功!2店舗経営で店も繁盛

高木豊は、札幌のすすきのにて、飲食店を経営し、成功を収めていることでも話題になっています。かつての名選手がスナックや飲食店の経営で生計を立てていることは珍しくありません。現役を引退してからは、野球解説や講演の仕事を中心に活動していた高木豊ですが、「いつかは飲食店を出したい」と考えていました。

念願がかなって札幌でお店をオープンしたのは2016年6月で、店の名前は「second」。現役時代に名セカンドとしてプレーしていた高木豊ならではのネーミングで、往年のファンを喜ばせそうな店名です。店内では、スカパーで野球やサッカー中継が観戦できます。経営はかなり順調なようで、半年後の12月には西麻布に2号店をオープンさせました。

オーナーである高木豊もシーズンオフには接客で顔を出しており、「気さくな雰囲気で野球の質問には何でも答えてくれた」という声も。飲食業は、参入しやすい反面、失敗する人も多いと聞きますが、そのようなシビアな世界で上々の成果を収めているのは、現役時代やコーチ時代に培った経験も大きく役立っているのでしょう。

高木豊が「ムキになって」真剣勝負!横浜DeNA「交流戦SERIES 2018」1打席対決の結果は?

高木豊の古巣である横浜DeNAは、2018年6月8日からの北海道日本ハムとの交流戦3連戦カードを「交流戦SERIES 2018」と銘打ち、試合前に、両チームOBによる1打席対決を行いました。その真剣勝負のトップバッターとして登場したのが、高木豊と、日本ハムOBの木田勇です。現役時代は切り込み隊長としてチームを牽引し、走攻守で主力として活躍した高木豊に対し、木田勇は、プロ野球史上初のルーキーMVPを獲得し、シーズンの投手タイトルを総なめにしてファンに鮮烈な記憶を残した選手。

奇しくも、対戦する2人とも、横浜と日本ハム両チームでプレーした経歴を持つという、これ以上ない人選でした。ファンが固唾をのんで見守る中、夢の対決の結果は、高木豊が空振り三振に倒れて勝負あり。2球連続ボールの後、ファウルで粘った高木豊でしたが、6球目の変化球にバットが空を切りました。

「先輩に花をと持たせようなどという思いは一切頭になく、思いきりムキになって勝負に挑んだ」と語る高木豊。「木田さんは大好きな先輩だったので、今回対戦できて本当にうれしかった」と清々しく語り、「僕の優勝予想はDeNAですが、両チームで日本シリーズを戦えるとすごくうれしい」と対戦する両チームにエールを送りました。

年齢を重ねてもとにかく真剣勝負で、現役選手も及ばないほどの負けん気を見せつけた高木豊の願いがかない、両チームが日本シリーズで覇権を争うことになるでしょうか。その答えは、神様だけが知っています。

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