高見恭子の旦那は衆議院議員の馳浩!オリジナルファッションブランドのバッグは”億”を稼ぐ?!
高見恭子の旦那は衆議院議員の馳浩!一人娘と3人家族!
タレントやエッセイストとして活躍している高見恭子は、1994年に、当時プロレスラーだった馳浩と結婚しています。高見恭子、馳浩ともに2度目の結婚でした。和歌を送り合うことから交際をスタートさせたという2人ですが、それもそのはず、馳浩は、プロレスラーになる前は古典を教える国語教師だったという異色の経歴の持ち主。2006年にプロレスを引退した後は、衆議院議員として活動中です。
2015年に「いい夫婦パートナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞するなど、おしどり夫婦として知られる2人の間には、娘が1人。高見恭子のブログには、そんな一人娘との会話や日常生活の様子も綴られています。
高見恭子がブランドディレクターに!オリジナルファッションブランドのバッグは”億”を稼ぐ?!
高見恭子は、テレビ通販番組「ショップジャパン」でブランドディレクターを務めています。ブランド名は「Cat in the closet(キャットイン ザ・クローゼット)」。母であり、働く女性の高見恭子が、着回しがきくアイテムを提案しようと立ち上げたブランドで、バッグやジュエリーなどが取り揃えられています。とりわけ人気を集めているのは、機能性はもちろん、ファッション性も高いと評判の本革を使用したバッグだそうです。紹介されると注文が瞬時に殺到し、1時間で1億円以上は稼ぐと言われています。
高見恭子は父の写真パネルを自宅玄関に飾っている?10代からモデルとして活動!
高見恭子は父の写真パネルを自宅玄関に飾っている?
高見恭子の父は、小説家や詩人として活躍していた高見順です。高見順の非嫡出子として生まれた高見恭子は、高見順が亡くなる10日前、5歳の時に養女になりました。高見順は神経質な性格をしていたため、一緒に生活をしていた幼少期の高見恭子は、執筆の邪魔にならないよう家の中では常に音をたてないように生活していたと言います。
気難しく、多忙で留守がちな父親には抱っこされた記憶もなければ、怒られた記憶もないという高見恭子。現在は、自宅玄関に父親の写真パネルを置き、外出時と帰宅時に挨拶しているそうです。それは、尊敬の気持ちがあるから。高見恭子は、「父と母と」と題したブログの中で、父親はいつも遠い存在だったものの、「だからこそ、父の匂いを尊敬と憧れの想いで憶えている」と追慕しています。
高見恭子は10代からモデルとして活動!
10代の頃から、ティーン向けのファッション雑誌「MC SISTER」等でモデルとして活動していた高見恭子は、高校を卒業するまで、高見順の正妻である秋子夫人に養育費を出してもらっていたそうです。そのため、詳しい学歴は公表されていませんが、少なくとも高校を卒業するまでは学業と仕事を両立させていたのでしょう。現在は、エッセイストや翻訳家としても活躍する高見恭子は、物書きだった父親の遺伝子を確実に引き継いでいると言えます。
高見恭子が「肌休めの日」のスッピン顔を披露!
早くから芸能界入りしている高見恭子の芸能生活は、2018年で45年になります。しかし、現在も変わらずに肌がきれいな高見恭子。2018年9月9日のブログに投稿した、撮影に備えて肌を休めるため、赤いリップ以外は何の化粧もしていないというすっぴん写真も話題になっています。
この日は、サロンでリンパマッサージを受けて保湿も十分とのことでしたが、間もなく60代になるとは思えない艶やかなすっぴん肌は驚きです。肌と同様に、すらりと脚の長いモデル体型も変わりません。「肌休めの日」には睡眠も必要という高見恭子の言葉からは、日々の生活を丁寧に送っている様子がうかがわれます。
ブログに「がんばりすぎない。抜け感ある人生を送りたい。こころも身体も」と綴っているように、高見恭子の魅力は、自然体なところにあると言えるでしょう。1度目の結婚がスピード離婚に終わった際も、会見で、泣きながら包み隠さず離婚原因を明かした姿をご記憶の方もいるのではないでしょうか。衆議院議員の妻として内助の功で夫の馳浩を支えるだけでなく、自身も輝いている高見恭子はまさに女性が憧れる存在です。今後迎える円熟の時をどのように過ごしていくのかも気になります。