2022年2月22日 更新
石原慎太郎の病気や死因は?膵臓がん再発は伏せていた?
◆死没:2022年2月1日
◆出身:兵庫県
◆身長:181cm
◆血液型:AB型
◆代表作:「太陽の季節」(1955年)
◆作家、第14-17代東京都知事、衆議院議員当選回数9回
石原慎太郎は脳梗塞や膵臓がんと闘病!明かしていた人生観の変化は?
石原慎太郎(いしはらしんたろう)は2013年3月に会見を開き、軽い脳梗塞を公表していました。
ある日、靴紐がうまく結べないことに気が付いたのがきっかけで医師から入院を勧められ、軽度の脳梗塞と判明したとのこと。早期発見が幸いして、大きな後遺症はなかったといい、入院中に短編小説を2つ書き上げた話を披露していました。
直後は弱い部分を出したくなかったのか、月日が流れてから、脳梗塞により平仮名を忘れ、利き手の左手指先が不自由になるなど影響があったことを告白しています。執筆は、ワープロ入力で行っていたのだそう。
石原慎太郎は「プレジデント」2020年7月17日号掲載のコラムで、脳梗塞後に「巨大な喪失感」にさいなまれたことや、「ものの見方や考え方にも変化が生じた」ことを明かしていました。
「人生には限りがある。死ねば虚無しかなく、虚無は実在する。そう考えると、生きている時間が一層愛おしくなる」と、作家の感性で受け止めた思いを記しています。
病気と向き合う中で浮かび上がった奥深い言葉であり、生きる意欲を引き出す考え方の1つとしても、響くものがあるのではないでしょうか。
石原慎太郎は膵臓がん闘病中に死去!2021年に再発していた!
石原慎太郎は、2020年1月にエコー検査を受けたところ、ステージ1の膵臓がんを発見されました。状態が落ち着いた同年6月に、闘病手記を「文藝春秋」にて発表。この時に、病名も公表しています。
そして、2022年2月1日に、石原慎太郎が亡くなったというニュースが発表され、同日に自宅で会見が開かれました。直接的な死因は語られていませんが、石原慎太郎は2021年10月に再発した膵臓がんとの闘病中だったと、長男・伸晃が明かしています。
次男である石原良純が、父・慎太郎は体調が良い時に1、2時間程度ワープロに向かって執筆活動を続けていた旨を伝え、その姿について「まさしく文学者」だったとコメントしています。
石原慎太郎は芥川賞作家から政治家へ!美徳として挙げたものは?
石原慎太郎は三島由紀夫とも交流!思いの一致と対極とも言える行動
石原慎太郎は、一橋大学在学中だった1956年に「太陽の季節」で第34回芥川賞を受賞しています。「太陽の季節」は、湘南の海に徘徊する若者たちを赤裸々に描いたもの。「もはや戦後ではない」と言われた時代背景にあって大きな話題を集め、石原慎太郎は作家の域を超え、新時代のオピニオンリーダーとして脚光を浴びることになります。
1968年に36歳で参議院議員に立候補すると、301万という史上最多の票を集めて当選。以降、政治家としての面も持つようになりました。
石原慎太郎は、同時期に作家として注目された三島由紀夫との親交が深かったことも、知られています。2016年12月に「産経新聞」に掲載されたコラムでは、三島由紀夫との最後の対談を回想。「男の最高の美徳とは何か」を語ったところ、2人も「自己犠牲」という言葉を提示したのだとか。
しかし、三島由紀夫が1970年に割腹自決をした事実に対し、その決意が彼の考えた「自己犠牲」にどうつながるのか、友人であっても理解できない旨も打ち明けています。
先述の「プレジデント」のコラムでも、石原慎太郎は三島由紀夫の自死について「ちっともうらやましいとも美しいとも思いません」と断言し、「死んではつまらないし、もったいない」とコメントしています。
文学的には死を扱うことも多かった石原慎太郎ですが、命尽きるまで書き続けたその姿勢は、三島由紀夫の選択の対極と言えるものでした。
石原慎太郎は晩年、執筆活動に注力!
記者に向けて「おれは政治家じゃねえ。芸術家だ」「僕は作家ですよ」などと言い切ったエピソードも伝えられている、石原慎太郎。政治家の顔には、彼流の「自己犠牲」の意味もあったのかもしれません。2014年に政治家を引退した後は、作家として執筆に励む毎日を送っていました。
闘病中も作業を進め、2021年12月には「石原慎太郎 短編全集」というタイトルで、1993年以降の厳選された作品のみを収録した、上下巻短編集を出版しています。会見の際、長男の石原伸晃は「これが俺の遺作だな」と父・慎太郎が口にした話を明かしていました。
短編集出版後も病床で執筆を続け、2022年内に彼の著書が3冊出版される予定とのことです。
石原慎太郎は、87歳の時に「プレジデント」誌に掲載されたコラムで「残っている人生で、まだいろいろなことができそうだ」と前向きな心境を語っていました。その言葉の通り、89歳で世を去る間際まで作家として現役でした。遺作にはどんな言葉が綴られているのか、出版後に再び注目を浴びることでしょう。