2022年3月3日 更新
黒柳徹子 「発達障害」克服し司会・女優へ!若い頃が超美人!
黒柳徹子 テレビ女優第一号は、ハーフのような美人だった
ラーララ♪ラララ♪ラーララ♪のオープニング曲でおなじみ、テレビ朝日「徹子の部屋」は、1976年から現在まで、放送時間に多少変更はあったものの、2014 年4月1日、累計10000回を越え、今なお放送継続中の長寿トーク番組です。
同一司会者による番組としては、最多放送回数のギネス記録を更新し続けています。司会を勤める黒柳徹子は、1933年生まれ、なんと82歳です。黒柳徹子は小学校低学年の頃、今で言うADHD「注意欠陥・多動性障害」の発達障害児であったらしく、公立の小学校では彼女の面倒を見きれず、私立のトモエ学園に転校しています。
この頃の逸話は、戦後最大、累計800万部とも言われる大ベストセラー「窓際のトットちゃん」に詳しいですが、黒柳徹子は、周りから暖かく見守られながら独自の感性を磨き、音楽や芸能の才能を開花させます。
そして、東洋音楽学校(現在の東京音楽大学声楽科)を卒業し、1953年に開局したNHKテレビ専属のNHK放送劇団第一期生として女優デビューを果たします。デビュー当時の黒柳徹子は、目鼻立ちが派手で、ハーフのような美人でした。
黒柳徹子 「夢であいましょう」から、「徹子の部屋」「ザベストテン」までの長い道のり
NHK劇団在籍時黒柳徹子は、「夢であいましょう」など今では伝説となった音楽バラエティ番組の司会をはじめ、様々な番組にアナウンサーや女優として出演しましたが、その後、タレントとしてフリーとなってからは、しばらく目立った活躍はありませんでした。
今の黒柳徹子のスタイルが確立したのは、1976年の「徹子の部屋」からで、1978年には、TBSの生歌番組「ザベストテン」がスタート。当時TBSのアナウンサーだった久米宏とのスピード感ある掛け合いと、「玉ねぎ頭」のヘアスタイルのイメージが定着しました。
さらに1986年には、TBSの「世界・ふしぎ発見!」が始まり、レギュラー回答者として、司会の草野仁とともに、現在も出演を続けています。
黒柳徹子 黒柳徹子伝説&マザーテレサからの言葉
黒柳徹子 出演者はうれし恐ろし、「徹子の部屋」伝説
黒柳徹子の「徹子の部屋」に出演ができた芸能人は、歌手がNHK紅白歌合戦に選出されたのと同じぐらい、芸能界でその人気実力が認められたことを意味し、新人の芸能人にとっては、今や伝説の番組となっています。
「徹子の部屋」の収録は、あらかじめ黒柳徹子がゲストに対する質問を考え、番組も自らが進行して、放送とほほ同じ時間で撮り収めます。編集をしない生本番の収録形式を原則としています。最近では、
若手のお笑いタレントが出演するときなど、黒柳徹子が彼らの笑いを理解していないことも多いようです。黒柳徹子は、ギャグだけさせておいて無表情にスル―、次の話題に移るといった、芸人殺しの番組としても恐れられています。
黒柳徹子に、マザーテレサが送ったという言葉の真相
黒柳徹子は芸能界だけでなく、社会福祉の活動家として著名です。黒柳徹子は国連のユニセフ親善大使として、アメリカのタイムやニューズウィークなどマスコミ各紙で、日本を代表する女性として紹介されています。
マザーテレサが生前来日して、日本という国に期待して残した言葉が曲解され、黒柳徹子に直接言われたことになっています。が、例えもしそうであったとしても、これは黒柳徹子に対してよりいっそう地道な社会貢献に励むように願った、マザーテレサからのエールと言えるでしょう。
「自分の国で苦しんでいる人がいるのに他の国の人間を助けようとする人は、他人によく思われたいだけの偽善者である。大切なことは、遠くにある人や、大きなことではなく、目の前にある人に対して、愛を持って接することだ。」黒柳徹子は、ユニセフの活動だけでなく、自らが「窓際のトットちゃん」の印税を元に、トット基金を設立。国内の障害者たちに対しても支援を行っています。
黒柳徹子たったひとりの力で実際に救済された、貧困に苦しむ世界の国々の子供たちや、国内における障害者の数は、今ではもう天文学的な人数になっています。
黒柳徹子 「徹子の部屋」X-dayの鍵を握る男女、M
テレビタレントとして、今も活躍を続けている黒柳徹子ですが、そう遠くない時期に、引退を迎えるときがくるでしょう。中でも、同一司会者におけるオンエア回数のギネス記録を更新し続けている「徹子の部屋」の終了は、日本の芸能界にとって、大きな関心事です。
番組の終了にあたっては、黒柳徹子自らが約束事を決めているようです。黒柳徹子は、最近のインタビューでこのように語っています。「私の首に鈴を付ける役は、1万回の時にも出演してくれたマッチ(近藤真彦)がやるということです。
彼が言うには、私くらいの年齢になると周りは気を遣って『引退勧告』できないだろうと。だから、私が番組で同じ質問を繰り返していたり、お芝居でセリフに詰まったりしているのに気が付いたら、マッチが『そろそろ引退したほうがいい』と言ってくれることになっているんです。」また、黒柳徹子は、最終回のゲストも歌手の松任谷由実と決めているようです。
黒柳徹子は、女優でなく女性のテレビタレントとして、テレビ創成期から活動してきた稀有の女性であり、また「窓際のトットちゃん」という戦後日本最大のベストセラー作家でもあります。もしテレビを引退される時が来たら、黒柳徹子には、テレビとともに歩んだ後半生を描いた、「テレビのトットちゃん」という本を出してもらいたいものですね。