2019年6月5日 更新
斎藤一は新選組の生き証人!
斎藤一は、激動の幕末を戦い抜いた新選組・三番隊組長を務めた人物です。漫画・アニメのファンには「るろうに剣心」に登場する「悪・即・斬」の一匹狼・斎藤一がおなじみではないでしょうか。
1863年に新撰組の前身となる壬生浪士組に入隊した斎藤一は浪士組の分裂後、20歳にして新撰組の幹部を務めます。入隊までの経歴に関して正確な記述が少なく謎が多い人物ですが、剣の達人であったことで知られており、その実力は剣豪を集めた一番隊を率いた沖田総司、二番隊組長の永倉新八に並ぶとされています。
また、多くの隊士が戦死を遂げた新撰組で、数少ない生き残りとしても知られています。新撰組にとって最後の戦いとなった戊辰戦争では、新政府軍に捕えられ、処刑された局長の近藤勇、病に倒れた沖田総司、離脱していた永倉新八らに代わり新撰組を率いて戦いました。
戊辰戦争によって土方歳三、井上源三郎、吉村貫一郎といった新選組の主力メンバーが命を落とした中、斎藤一は会津藩主・松平容保の説得に応じて降伏し、生き永らえます。しかし、その後自身が生きた激動の時代について伝記などを残しておらず、経歴に関してはミステリアスな部分も多く残されています。
斎藤一の流派は?強さの秘密はいまだに不明?
沖田総司、永倉新八に並ぶ強さを誇った斎藤一ですが、その剣の流派は明らかになっていません。
斎藤一と同様に生き残った永倉新八の手記「浪士文久報国記事」に「斎藤は江戸で近藤勇の天然理心流試衛館に出入りしていた」と記されている一方、斎藤一の子孫は一刀流であったとしており、真相は謎のままです。
この謎に対して、歴史小説作家の赤間倭子が研究を行い、斎藤一は無外流であったと発表しています。子孫が主張する一刀流は山口一刀流であり、無外流の元となった流派であると指摘。また、斎藤一という名は19歳の時に起こした傷害事件から逃れるために改名したもので、本名は山口一であることも、無外流とつながりがあると結論付けています。しかし、真相を明らかにできる史料が見つかっていないため、現在も斎藤一の流派は不明のままです。
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斎藤一は戊辰戦争以降何をしていた?
新撰組の数少ない生き残りとなった斎藤一ですが、戊辰戦争後は何をしていたのでしょうか。史料によると1874年に東京で警視庁に採用され、18年間勤務して警部まで昇格した後に48歳で退職。警察官になった約2年半後に起こった西南戦争では隊長として西郷隆盛軍と戦った記録が残されており、敵の銃弾を受けて負傷しながらも活躍しました。
その後は、現在の国立科学博物館史跡、湯島聖堂(東京高等師範学校附属東京教育博物館)の守衛長を務める傍ら、学生たちに剣術を教え、次にお茶の水女子大学の前身である東京女子高等師範学校に庶務兼会計として勤め、65歳で退職しています。
斎藤一の愛刀は?
新選組では永倉新八、沖田総司とともに、隊士に剣術を指導する撃剣師範を務め、二人と並ぶ剣の達人であったことが知られている斎藤一。新選組三番隊組長として数々の戦いを潜り抜けてきた武士の魂は、晩年まで持ち続けていました。
戊辰戦争後に住んだ青森から東京に移り、30歳の時に結婚した二人目の妻との間にもうけた三人の息子たちには、幼い頃から剣術や武士道精神を教え込んでいたとされています。生粋の武士・斎藤一が愛用していたとされる刀には複数の説があり、はっきりこれと分かる史料が見つかっていません。
そんな中、斎藤一の愛刀に挙げられているのが「鬼神丸国重(きじんまるくにしげ)」。江戸時代の刀工・池田鬼神丸不動国重が作ったとされる名刀で、池田屋事件の直後に新選組の隊士が刀の補修に預けたとされる刀研師が残した記録に、斎藤一の刀が「鬼神丸国重」であったと記されています。
しかし池田屋事件の前年、近藤勇が新選組を後援していた土方歳三の義兄に宛てた手紙に、大坂の刀工が作った刀を使わないようにと書いていることから、斎藤一が大坂の刀工により作られた「鬼神丸国重」を使うことはないのでは?という意見もあります。
そこでもうひとつ、斎藤一の愛刀として名を挙げられているのが、「関孫六(せきのまごろく)」です。講談師の松林伯知が永倉新八らに取材して書いたとされる「新撰組十勇士伝」に、斎藤一が天満屋事件で「関孫六」を帯刀していたとあります。世界的に有名な刃物の町、岐阜県関市の刀工・孫六兼元が作った「関孫六」は種類の異なる4つの鉄をあわせて鍛えるため強度に優れ、古刀の中で最高クラスの最上大業物に分類される名刀で、無敵と称された斎藤一に相応しい刀といえます。
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晩年胃潰瘍を患った斎藤一は自らの死期を悟り、床の間で坐禅に用いる結跏趺坐(けっかふざ)と呼ばれる仏教では最も尊い座り方をした状態で息を引き取ったといわれています。最期まで武士道を貫いた斎藤一は、福島県会津若松市にある浄土宗・阿弥陀寺で、戊辰戦争に散った多くの魂と共に眠っています。
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