羽生善治 年収、成績がスゴかった!伝説の名人戦、名言集!神の一手とは?!

羽生善治 年収、成績がスゴかった!伝説の名人戦、名言集!

羽生善治 その年収、成績は?

プロ棋士として将棋界のトップに君臨し続ける羽生善治。もはや伝説とすら称される存在となっていますが、羽生善治の年収はいったいどれくらい得ているのでしょうか?

そもそも、プロ棋士の年収は、対極での獲得賞金や、講演会、指導料、将棋連盟から支給される基本給などが中心です。その中でも、対極が年収に大きな割合を占めます。大きなタイトル戦で勝ち抜くことが年収アップの条件となってきます。

今年2月に将棋連盟から発表された「2014年獲得賞金・対局料ベスト10」によると、羽生善治は1億1499万円でランク第1位。2013年は7281万円でランク2位でした。一般的のプロ棋士の年収は、全体的な平均では700~800万円ぐらいとされるようですから、羽生善治の年収はまさにトップレベル。

では、羽生善治の成績はどのような内容でしょうか?主なタイトル戦(竜王、名人、王位、王座など)は123回登場し、93期タイトルを獲得しています。これはいずれも歴代1位。主要7タイトルのうち、4タイトルに在位しています。

そのほか、一般棋戦では歴代2位の通算43回優勝を数えます。1991年から常に毎年タイトルを保持していることも特筆に値します。無冠に終わった年がないというのはすごいことです。まさに、最強クラスの棋士と言っても差支えありません。

羽生善治 伝説の名人戦と名言集!72期名人戦で名人返り咲き、生き方を示す

2014年5月20~21日の第72期名人戦で、挑戦者の羽生善治は、積年のライバル森内俊之名人に4連勝。4期ぶり通算8期目の名人位に返り咲きました。羽生善治は、この勝利で、自身歴代最多の全タイトル獲得数を87期に伸ばし、4年ぶりに七大タイトルの過半数を占める四冠に復帰しています。

森内俊之に名人挑戦を阻まれ続けるシーズンが続き、羽生善治のこの名人戦の対極への意気込みは相当なものだったと想像できます。両者はこれまでにも火花を散らすような対極を重ねてきましたが、本局で127局。そのうち、羽生善治の70勝57敗。

強烈な執念を燃やす羽生善治の攻めの一手が、森内俊之の受けを打ち破った末の勝利といえるでしょう。そんな羽生善治の生き方が、以下の名言集に凝縮されています。

「勝負の世界ではこれでよしと消極的な姿勢になることが一番怖い。常に前進を目ざさないとそこでストップし後退が始まってしまう」、「すでに過ぎ去ったことは仕方がない。私は、意識的に先のことを考えるようにしています。反省は勝負がついた後でいい」、「守ろう、守ろうとすると後ろ向きになる。守りたければ攻めなければいけない」、「何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続しているのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている」。

これら名言の数々には、報われないかもしれないところ(=将棋)で、常に先を見据え続ける羽生善治の非凡な考え方が表現されています。

羽生善治 神の一手とは?!妻と別居、離婚も視野?

羽生善治 「神の一手」「羽生マジック」 自身は「最善の手」

羽生善治は、対極の中盤から終盤にかけて、相手が思いもよらない一手を指して大逆転を演じてみせます。これが人呼んで「神の一手」。あるいは「羽生マジック」。当初は、「羽生善治が指した絶妙な一手」程度の意味しかなかったようですが、だんだんと「複雑な手を指すことで相手が考えすぎている間、局面を難しくして逆転する」という定義に落ち着いてきたようです。

しかし、羽生善治自身は、この「マジック」という言葉の響きにある「奇術」や「ペテン」といった類のとらえ方を好んではいないようで、世間がいうところの「神の一手」「羽生マジック」とは、自身が指す「最善の一手」であり、「相手を罠にはめる」ことや「大逆転」を目的としてはいないとしています。

これは、かつてプロ野球西鉄などで監督を歴任した三原脩とも共通する内容です。三原脩は、試合でしばしば奇想天外とも見える用兵を行い、それが劇的な結果を呼んだため「三原魔術」と称され、もてはやされました。

しかし、三原脩も羽生善治と同様に「魔術」という呼称を好まず、自らが考えた中で一番手堅い手を打っただけであると考えていました。羽生善治と三原脩は、大局観に秀でていること、そして、常に先のことを考えていることが共通しています。おそらく、この二人の思考回路は似通っているのではないでしょうか。

羽生善治 妻との別居は離婚前提?妻は元アイドル

羽生善治の妻は、元アイドル・女優の畠田理恵です。二人の出会いは1994年の雑誌対談がきっかけでした。その後、畠田理恵の出演する舞台公演を観に羽生善治がでかけて、アプローチ。さらには水族館、庭園の散歩、ドライブなどでデートを重ねて結婚へとゴールインします。

1995年7月の婚約発表を経て、1996年3月挙式。翌1997年7月に長女、1999年11月には二女をもうけました。夫婦円満であるかのように見えた羽生善治と妻・畠田理恵ですが、2010年に別居が報道されます。

2人の子供は妻の畠田理恵と一緒で、羽生善治は世田谷の実家で一人暮らしのありさま。これは、夫婦の間のすれ違いができて離婚前提の別居なのでしょうか?この内容について、羽生善治の妻である畠田理恵は、週刊誌の取材で「二女のスケート教室のために部屋を借りている」と別居状態の理由を説明しています。

つまり、二女が通っているフィギュアスケート教室が自宅から遠く離れた場所にあるために、やむを得ず教室の近くにある場所で部屋を借りて住んでいたという事情のようです。この内容に尾ひれがついて、別居=離婚という方程式になってしまったとみられます。

畠田理恵は、「現在は世田谷の自宅に戻っており、夫婦仲が冷え切っていることはない」と離婚報道もきっぱりと否定。羽生善治自身も「常に前進を目ざさないとそこでストップし後退が始まってしまう」と名言を残していますし、夫婦生活も「常に前進」といってほしいものです。

羽生善治 王位戦で5連覇達成 広瀬八段の挑戦ものともせず

将棋界の第一人者で羽生善治王位に広瀬章人八段がチャレンジする第56期王位戦。8月18~19日の第4局で羽生善治が勝ち、3勝1敗で5連覇にまさに王手をかけました。羽生善治は、これで公式戦通算勝利数は歴代単独2位の1321勝を記録。

この対極では、広瀬章人の四間飛車穴熊の戦型に対して、羽生が居飛車穴熊で挑む相穴熊の戦いは2日目の19日から白熱したものとなりました。羽生善治と広瀬章人の盤面中央でしのぎを削り合う中盤戦を経て、徐々にリードを広げた羽生善治が広瀬章人を投了に追い込み、羽生善治の5連覇は目前となりました。

そして、8月26~27日、場所を徳島に移した第5局、後手の羽生善治が巧みな手で広瀬章人をものともせず、4勝1敗で王位を防衛、同時に5連覇を達成しました。これで羽生善治は、王位の通算17期、歴代最多だったタイトル獲得をさらに更新して通算93期としています。

なお、公式戦最多勝利の歴代1位は故大山康晴15世名人の1433勝ですが、羽生善治の実力からすれば、1位に君臨するのはもはや時間の問題でしょう。常に先を読み続けた一手を指す羽生善治の能力は、現在の将棋界では図抜けたものだとしかいいようがありません。今後も、将棋界で羽生善治の時代が続くことでしょう。羽生善治がどれだけの成績を残し続けるか、今後の一手に注目したいと思います。

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