佐々木主浩の妻・榎本加奈子と前妻、長女との不法侵入大バトルの決着は?
佐々木主浩の妻・榎本加奈子と前妻長女との不法侵入大バトル?佐々木主浩夫妻は多くを語らず
「ハマの大魔神」こと佐々木主浩が、別居している長女が自分の了承を得ず、私物を自宅に取りに戻った行為に対し、不法侵入として地元警察に被害届を出していました。この件に対して佐々木主浩は、マネージャーを通じ「家族でも最低限の礼儀は必要。反省を促すべく警察から事情を聞いてもらった形です」とコメントしています。
家族同士でありながら、どうしてこんなことになってしまったのか?佐々木主浩の周囲では、さまざまな憶測が飛び交いました。その後、佐々木主浩の長女が同居中に佐々木主浩の後妻・榎本加奈子から酷い扱いを受けたと週刊文春で告白し、事態は悪化するばかりでした。
佐々木主浩 妻・榎本加奈子と前妻、長女との不法侵入大バトルの決着は?事実とは!?
佐々木主浩と後妻である榎本加奈子、対する前妻の長女との不法侵入大バトルの決着はというと、佐々木主浩の長女が事情聴取され、事件としてはそのまま終了しました。
しかし、佐々木主浩の長女が週刊文春で暴露した件について、佐々木主浩は、妻・榎本加奈子から長女がネグレイトされていたという話は違うというコメント出しています。弁当に豆腐を入れられたという話も、長女がダイエット中だからとそういう物をリクエストした、学費が足りないと言う話も真実ではなく、佐々木主浩の長女が、当初希望していた芸能科のある学校への進学を、佐々木主浩の妻・榎本加奈子が芸能界は大変だから止めた方が良い、と説得したにけれども、長女が納得できなかっただけというコメントを佐々木主浩は出しています。
佐々木主浩の長女が、半ば強制的に、宮城の佐々木主浩の母親の元へ預けられたのは事実ですが、それは佐々木主浩の長女の我がままぶりに、佐々木主浩の妻・榎本加奈子が耐えきれなかったという話もあります。現在は削除されていますが、佐々木主浩の長女のブログには、芸能界の仕事をしつつ、連日遊びまわり、タンスに仕舞い切れないほどの洋服を買いこんで捨てた様子などが掲載されていたといいますので、学費がなく貧困していたという話はどうも違うようです。
確かに佐々木主浩の長女には、両親の離婚と父親の不倫という、ショックなできごとがありました。また反抗期でもあったでしょうし、佐々木主浩の妻・榎本加奈子も当時は若く、母親として巧く接することができなかった部分もあると思います。ですから、妻と長女の両者に挟まれて、佐々木主浩はどちらにもつけず困惑するばかりだったのではないでしょうか。
佐々木主浩の日米での成績、年俸推移は?馬主収入や所有馬が突き抜けている!
佐々木主浩の日米での成績、年俸推移は?大魔神は伊達じゃない!
佐々木主浩の日米での成績、年俸推移ですが、まず1989年に横浜大洋堡ホエールズからドラフト1位で指名を受け入団します。日本でのキャリアスタートは翌年1990年から。1999年までの9年間と、2004年に帰国後2005年の引退までに439試合に出場し、通算防御率2.41、43勝38敗252セーブ勝率.530という凄まじい成績を残しています。
2000年からメジャーリーグのシアトルマリナーズへ移籍した佐々木主浩は、2003年までで228試合に出場し、通算防御率3.14、7勝16敗129セーブ勝率.304と、こちらも堂々たる成績を残しています。日米通算では667試合に出場。50勝54敗381セーブ勝率.481と、佐々木主浩は、大魔神というニックネームに相応しい成績を残しています。
佐々木主浩の年俸の推移ですが、1990年は660万円。1991年980万円、1992年は開幕から1年間ストッパーを務め、初タイトルである最優秀救援投手にも輝き2550万円。1993年は夏場に故障してしまったもののそこから巻き返し、5500万円に。1994年はキャンプで肘を故障してしまい、手術のため、前半戦を棒に振ってしまったものの復帰後はサンケイスポーツの巨人担当記者が「魔神」と評するほどの活躍を見せて6000万円にアップします。
そしてこの「魔神」のネーミングがあらわすように、「佐々木が出てくる前に試合を決めろ。出て来たら終わり」と他チームからも恐れられた佐々木主浩。「2階から落ちているようにみえる」落差のあるフォークと剛速球、そして大映の映画「大魔神」に佐々木主浩の顔が似ていた事から「ハマの大魔神」というニックネームが定着しました。
1995年は6900万円、1996年は横浜の生え抜き選手で初の1億円到達となる1億4000万円になり、佐々木主浩は、抑えとしての地位を確固たるものとしています。1997年は1億7500万円、そして1998年は3億3000万円で、横浜の38年振りのリーグ優勝と日本一に貢献。1999年には5億円の高額年俸を得ます。
しかしシーズン中に故障手術を受けたことに不信感を持った球団と、佐々木主浩の間には大きな溝ができてしまい、結果FA権を行使しメジャーリーグのシアトルマリナーズへ4億円プラス出来高で、佐々木主浩は移籍します。2001年は4億6667万円+出来高で、2002年は5億700万円+出来高、2003年は8億700万円+出来高とメジャーでも高い評価を受けていたことが金額からもうかがい知ることができますね。
しかし2003年シーズン終了後「日本で家族と一緒に暮らすため」として、メジャーリーグから横浜ベイスターズへ帰国移籍した佐々木主浩。2004年6億5000万円で2年契約し、日本球界へ復帰しました。しかし、衰えを見せた佐々木主浩の速球。1年は経験と変化球で巧く抑えられたものの、2005年度は重なる怪我の影響で復帰のめどが立たず8月7日に現役引退を表明しました。
佐々木主浩 馬主収入や所有馬が突き抜けている!2頭とも優秀だった!
佐々木主浩は、競馬好きの方ならご存じ「ヴィルシーナ」と「マジンプロスパー」という2頭の馬の馬主になっています。佐々木主浩の所有馬、ヴィルシーナは2012年クイーンカップと桜花賞で2着、優駿牝馬2着、秋華賞2着、エリザベス女王杯2着、そして2013年と2014年のヴィクトリアマイルで1着と好成績を。
同じく、佐々木主浩の所有馬・マジンプロスパーは、2012年に阪急杯とCBC賞、2013年にもCBC賞を獲得しており、ヴィルシーナほどではないとはいえ、なかなかの成績を収めています。2頭とも現在は引退しており、ヴィルシーナは生涯成績21戦5勝、生涯賞金4億6079万5000円獲得。
その後は繁殖牝馬になりました。マジンプロスパーは生涯成績38戦9勝で、生涯獲得賞金は2億3837万円です。本来は2015年10月4日に行われるスプリンターズステークスに出走を予定していたのですが、故障のために引退を余儀なくされ、今後は種牡馬となる予定になっています。
馬主の賞金からの取り分は8割ですが、そこから調教料や餌代、さらに税金も引かれ、賞金を獲得できなければ馬主の収入は赤字に。実際、黒字の馬主は5%に満たないと言われています。2014年6月に放送された「中居正広のミになる図書館」で、2000万円で買った「ヴィルシーナ」と「マジンプロスパー」の生涯獲得賞金が0円だと語っていた佐々木主浩。他にも5頭の馬主である佐々木主浩ですが、成績を残したのは内2頭。
その結果、約7億の賞金の80%を得たものの、そこまで辿り着くのに相当な金額が掛かっていることでしょう。佐々木主浩も「馬主は儲からない」ときっぱりと答えている通り、G1常連でもない限り、馬主収入では儲からない事実が浮き彫りになりました。
佐々木主浩の今後は!? 監督への去就は未知数!
佐々木主浩は2015年10月4日に出演していたTBS系情報番組「サンデーモーニング」で、張本勲や司会の関口宏らから「監督になるんじゃないか」と問われたものの、OB会副会長として来季チームには頑張って欲しいとエールを送るにとどまりました。今後の佐々木主浩の、監督への去就は未知数です。
以前の球団からは、雰囲気も中身もがらりと変わったチームになっていますので、遺恨はないでしょう。しかし、家庭内に問題があり、それをうまく抑えられないことから、佐々木主浩は投手としては相手を抑えられても、人心を抑えられる可能性は残念ながら低いと言わざるを得ません。
横浜DeNAベイスターズの選手は比較的大人しい選手が多く、また三浦大輔を中心としてまとまりを見せています。そこへ佐々木主浩というOBが入って、新しく生まれ変わりファンにとって魅力ある球団になった横浜のイメージを維持しつつも、常勝球団へと変えることは難しいと思います。
次期監督候補には、アレックス・ラミレスも候補として挙がっており、こちらはキャラクター性は抜群で、現役と同じように振る舞い、落ち着いた采配を見せてくれれば、以前の横浜の暗く大人しいイメージから完全に脱却できる可能性があります。佐々木主浩自身も、今の横浜のイメージを踏襲するのは難しいと思ったからこそ、エールを送るにとどめたのではないでしょうか。
佐々木主浩には、コーチ経験も、監督経験もありません。そういった監督は今までもいますが、佐々木主浩の慎重すぎるほど慎重な性格からして、おいそれと受けるとは考えられません。ですが、仮に佐々木主浩が来季の横浜DeNAベイスターズ監督なったとしたら、明るく魅力ある横浜のまま、勝てるチームになるよう、佐々木主浩にはぜひ頑張って欲しいですね。
佐々木主浩は大魔神というニックネームに相応しく、マウンドでは堂々たる勇ましい姿を見せていました。監督になった場合にはどういう姿を見せてくれるのか、楽しみですね。