2022年2月17日 更新
長嶋一茂が父・長嶋茂雄や兄弟と骨肉の争いで家族絶縁状態!?
長嶋一茂、父・長嶋茂雄や兄弟との骨肉の争いは収束していなかった!
長嶋一茂が、父・長嶋茂雄や兄弟と骨肉の争いで家族絶縁状態にあると報じられたのは、長嶋茂雄夫人・亜希子が亡くなった2年後の2009年のこと。この時の記事によると、「長嶋茂雄と次女・長嶋三奈VS長嶋一茂」の戦いは、長嶋茂雄の肖像権管理・商品化権等を巡り、2年間繰り広げられていました。そして2009年に、芸能界のドン・バーニング周防社長の仲立ちによって収束したということになっています。
時は過ぎ2015年1月。脳梗塞で倒れた長嶋茂雄の壮絶なリハビリ生活に密着したTBS「独占!長嶋茂雄の真実~父と娘の40年物語」が放送され、人々は、”球界の大スター”ミスター長嶋茂雄”と長嶋三奈の親子愛に感動します。しかし、こういったドキュメントであれば、鳴かず飛ばずながら父親の古巣である読売巨人軍の選手だった長男・長嶋一茂との「父と息子像」や三人の共演があっても良いはず。長女、次男のように一般人ならまだしも、テレビタレントとして活躍中の長嶋一茂に一切触れられることが無かった番組内容に、いまだ修復されていないらしい長嶋家の実情が浮き彫りになったのです。
長嶋一茂が父・長嶋茂雄、兄弟と骨肉の争いの原因は?長嶋ファミリーは昔からバラバラだった?
長嶋一茂をはじめとする長嶋ファミリーの骨肉の争いの発端は、長嶋三奈が代表就任している「オフィスエヌ」が管理している父・長嶋茂雄関連のビジネスに、長嶋一茂の個人事務所「ナガシマ企画」が口をはさみ始めたことでした。「亜希子夫人の実弟の妻が、亜希子夫人亡き後に、後妻的地位を陣取って長嶋茂雄を操り、長嶋一茂を排除しようとしている」などとも報じられています。
リーク合戦とも言うべき泥仕合にまで発展してしまっては、例え第三者を挟んで形式上の和解に落ち着いたところで、心を繋ぐことはできなかったのでしょう。2013年、長嶋茂雄の国民栄誉賞授与式の夜も、田園調布の自宅に長嶋一茂が訪れることは無かったため、もう絶縁状態は確定だと世間は評しました。
しかし長嶋一茂は、この「家族絶縁状態」を「何をもってそういうのか」と否定しています。そもそも長嶋家は、家族6人で旅行や食事をすることは一度もなく、骨肉の争いが勃発する前から、家族全員が疎遠な生活を送っていたのだそうです。そしてそれが、長嶋一茂にとって普通の家族像だったといいます。誰もが憧れた、かつての長嶋ファミリー像は幻だったようです。
長嶋一茂の嫁、子供(双子)の現在は?「三流」と呼ばれ続ける苦悩
長嶋一茂の嫁、子供(双子)の現在は?江角マキコ落書き事件
長嶋一茂が1999年に結婚した嫁・仁子は、元銀座高級老舗クラブのNO.1ホステスで、現在は「ナガシマ企画」の社長を務めています。長嶋一茂と嫁の間に2004年に生まれた双子の子供たちは、今年で12歳。名門青山学院初等部に通っていることは有名な話です。
テレビで見る長嶋一茂の柔和さとは裏腹に、2009年に「ナガシマ企画」が『長嶋茂雄』の商標登録を勝手に取得し、父・長嶋茂雄と妹・長嶋三奈を激怒させました。
また、娘の小学校での派閥問題など、長嶋一茂は何かと嫁がらみの穏やかでない話題で世間を賑わせています。青山学院初等部で2大ママ友派閥を形成していた、長嶋一茂の嫁と女優・江角マキコのバトルは、スキャンダルそのものです。我が強い江角マキコが、長嶋一茂の嫁の派閥にいじめられていたこと発した事から、江角マキコの子供も長嶋一茂の娘にいじめられるという事態に発展。怒った江角マキコがマネージャーを使って、長嶋一茂邸の外壁にスプレーで落書きさせたといわれた事件は衝撃的でした。
長嶋一茂を「バカ息子」呼ばわりした江角マキコ!「三流」と呼ばれる自覚はあった
長嶋一茂邸への落書きの文言「バカ息子」は、明らかに「ミスタージャイアンツ」と呼ばれた国民的英雄・長嶋茂雄の息子・長嶋一茂への蔑みの言葉でした。これは長嶋一茂にとって、最も言われたくない言葉でしょう。偉大過ぎる父親の足下で、常に「三流」と呼ばれ続ける自分に苦悩を抱えているようです。実は長嶋一茂、「三流」と題した著書を出版しています。
父親と同じ立教大学から、ドラフト1位でヤクルト入りを果たし、「親父以上の素質」と期待された長嶋一茂。1993年、父・長嶋茂雄のジャイアンツ監督就任と同時に、金銭トレードによってジャイアンツ入りを果たしますが、ほぼスタメン出場がありませんでした。
そして、父・長嶋茂雄監督から戦力外通告を受けてしまったのです。野球道を進んでしまったがゆえ、常に「父親を超えるか?」などと比較される苦悩を抱えることになった長嶋一茂。タレントに転身後も、彼の背中には「長嶋茂雄の息子」という重い看板がのしかかっています。そんな長嶋一茂に「バカ息子」は残酷すぎたかもしれません。
長嶋一茂は本当に「三流」か?「長嶋茂雄の息子」レッテルはフェアじゃない
長嶋一茂に社会学者・古市憲寿がぶつけた辛辣な質問が、ネットで話題になりました。それは、2015年3月放送の「ワイドなショー」での一幕。「長嶋家、何でダメになったのですか?」「期待されるって、どんな気分ですか?」「生涯打率2割1分って、どのぐらいダメなんですか?」とぶつけられた長嶋一茂。「お前グサグサくるな!」と茶化しながらも、「期待を裏切っちゃいけねえのか!」「じゃあ、お前やってみろ!」と始終キレ気味でした。
しかし、コメンテーター松本人志の、「プロ野球選手になること自体がスゴイことなんですから……」という発言を受け、長嶋一茂が背負う苦悩の種類を再認識させられた気がします。全国の野球少年からすれば、甲子園出場は一握の砂。その中でもプロ入りドラフト1位級の選手など、奇跡にも近い精鋭たちに違いありません。
それでも、長嶋一茂には常に「長嶋茂雄の息子」という過大広告がありましたから、プロ入りくらいで褒められることはなかったのでしょう。高校、大学時代も、求められる水準は人より遥か上にあり、失敗した時の人々の落胆はより大きいことを感じ取りながらバットを振り続けていたはず。
もし、父親が国民的英雄でなければ、もっと自由に野球もできたでしょうし、一家が色眼鏡で見られることもなかったかもしれません。結果的に、野球でも芸能界でも「三流」のレッテルがはがれず、一方で長嶋家のメッキははがれいくような出来事も続いています。
しかし、家族バラバラだった長嶋家に生まれ育ち、それでも父の背中を追って立教を野球のステージに選んだ長嶋一茂は本当に「三流」と呼べるのでしょうか?少なくとも、同じ苦悩を経験していない我々には、長嶋一茂を「三流」と呼ぶ資格はないような気がします。