カンニング竹山と亡き相方・中島との感動秘話!最後の罵声とは?
カンニング竹山と亡き相方・中島との感動秘話!最後の罵声にネット民号泣
カンニング竹山は、2006年に急性白血病で他界した亡き相方・中島のことを忘れずに、今でも時々話題にしています。数々の美談が流布する中でも、カンニング竹山が亡き相方・中島に最後に浴びせた罵声がネット民を泣かせました。売れない時代に「辞めるなら、何か爪跡を残してから辞めよう」と誓いあったカンニング竹山と亡き相方・中島。中島の病によって、「爪跡どころじゃなくなっとるよ!色々と感動秘話みたいに流されよるけども、俺は『気持ちが悪いなあ』って、お前、笑いよると思うんよ」と心情を吐露したカンニング竹山。
中島と漫才をやってこられた感謝を述べると共に、あの世でのコンビ再開を突き付けました。「いいかお前な、待っとけ!いつもと同じように別れるぞ!じゃあな!」これが、カンニング竹山の亡き相方・中島への最後の罵声。深いコンビ愛の詰まった罵声に、ネット民は涙を振り絞ったのです。
カンニング竹山がカンニングを名乗り続けるワケ!亡き相方・中島への誓い
カンニング竹山がいまだに”カンニング”を名乗っているのは、”コンビを解散しなければ、亡き相方・中島に密かに半分給料が入るシステムになっているから”という美談が以前に広まったことがありますが、これはデマでした。カンニング竹山が、亡き相方・中島の病気休業中にもギャラを折半していたことが、この噂を呼んだようです。
カンニング竹山は、相方・中島が他界した時点で「漫才師竹山の人生は終わったと思っている」と語っていました。相方・中島が他界した時は相当悩んだそうですが、別れを糧に「もう一度しっかりやったる!」という意志を固め、「もう、俺をかわいそうな目で見るのはやめろ!」と、いつもの罵声を発しながら戻って来たカンニング竹山。
2012年12月21日放送の「検索ちゃんネタ祭」では、亡き相方・中島をネタに盛り込んだ漫談を披露し、「中島のことは、これからもずっと背負って生きていく」と力強く宣言しました。カンニング竹山は、あの世でコンビを再開するためにも、”カンニング”の冠を守っているのです。
カンニング竹山が「しくじり先生」で激白!名言集!
カンニング竹山「しくじり先生」で地獄の借金ループを激白!母に放った言葉がヒドイ!
カンニング竹山が2015年4月27日放送の「しくじり先生」に「安易な借金で色んな人に迷惑をかけちゃった先生」として登壇し、数々の衝撃的な名言を残しました。1996年~1998年の2年間で、10万円の借金を450万円まで膨らませてしまったカンニング竹山。時は、芸人としてカンニング竹山がまったく売れていない20代前半。
亡き相方・中島が、原付で交通事故を起こした示談金50万円を工面するために、カンニング竹山が消費者金融から10万円を借金したことが始まりでした。「意外にも簡単に借りられるんだな」と味をしめたカンニング竹山は、アルバイトをサボって堕落した生活を送るように。
挙げ句、上京してきた母親に、「芸人は借金しているくらいがカッコイイ」と自慢したカンニング竹山は、逆に叱られてしまいます。その時あった80万円の借金は、母親が返済してくれたそうですが、返済能力アリと判断した消費者金融からの勧誘に負け、さらなる借金を重ねること450万円。利子だけでも月15万円の負債を背負うことになってしまったのです。
カンニング竹山「しくじり先生」ヤバイ金を借りて麻痺!そんなの関係ねえ?!
カンニング竹山は「Aグループ・一部上場企業」「Bグループ・カウンターに色っぽい女性が座っていて、奥からは男の怒鳴り声がする会社」「Cグループ・ヤバイ金融会社」の三方から借金して、地獄のループに陥りながらも、眼鏡や衣服の購入費、ギャンブル代に飲食費、後輩におごる代金など、借金した金を自分の金のように使っていました。
借金が100万円以下だと「まだ大丈夫」、100万を超えると「本当に大丈夫だろうか」と考えていたそうですが、ズルズルと200万円を超えた時のカンニング竹山の心境は「ガンガンいこうぜ!(ドラクエ風)」だったそうです。次第にヤクザな取り立ても激しくなり、夜逃げしたカンニング竹山は、彼女からも借金するように。その彼女が「私がいるとダメになる」と去ったところで、弁護士を介さず、自分で「債務整理」することを決意したと語っています。
借金が半分以下まで減った時の心境は、「空は青かった」。「しくじりから脱出したければ、自分の力で解決しましょう」と語りながらも、「下手こいたと思いました、でも、そんなの関係ねえ!」と、小島よしお風に当時のヤッケッパチさを表現しました。
カンニング竹山は亡き相方・中島を想って怒鳴り続ける!サンミュージック危機をキレ芸で救う
カンニング竹山は、亡き相方・中島と漫才で鳴らした日々を想いながらも、怒鳴りキャラで罵声を発し続けてきました。カンニング竹山と亡き相方・中島は、地元福岡の同級生で、小学3年生の時からの付き合いです。1992年に東京で再会して、カンニングを結成し、1998年に売れていないことを逆手にとったキレ芸でブレイク。
テレビ出演も増えてきた最も脂の乗った2004年に、相方・中島が病に倒れてしまいました。中島の復帰を願ってコンビの看板を背負い続けたカンニング竹山。プレッシャーは尋常なものではなかったでしょうし、2006年に中島が亡くなった時の空虚感は計り知れません。だからこそ、カンニング竹山が怒鳴れば怒鳴るほど、視聴者は罵声に愛すら感じてしまうのでしょう。そんなカンニング竹山、最近は年齢のせいか、若手のキレ芸人をなだめる立場になりつつありますね。
しかし、所属するサンミュージックの異常事態についてはキレずにはいられなかったようです。2016年1月のベッキー不倫騒動以来、どうやらサンミュージック内部は混迷を極めている模様。2月11日放送の「とんねるずのみなさんのおかげでした」では、「事務所に巻き込まれるの、嫌なんだよ!「どれだけ巻き込まれてんだ、いろんなことに!」とキレまくっていましたし、先の「R-1グランプリ」でも、事務所の後輩・小島よしおの決勝進出にあたって「お前だけの問題じゃない」とキレ顔で語っていました。
そこまでサンミュージックはやばいの?という感想より、カンニング竹山から再びキレ芸が飛び出した安心感。ましてや、カンニング竹山のキレ芸が、後輩芸人を引き立てるまでの芸に育っているのだとしたら、サンミュージック危機を救うくらいの威力がひょっとしたらあるのかもしれません。