枝野幸男の父親は洗面台製造会社社長!経歴や学歴は?
枝野幸男の父親は、洗面台製造会社社長!
枝野幸男は、衆議院議員で、現在、民主党幹事長を務めています。政治家の中には、2世議員なども多いですが、枝野幸男は、いったいどういう家庭で育ったのでしょうか。
枝野幸男の父・枝野忠正は、「カコストロボ」という、ストロボ製造会社に勤務し、宇都宮工場や新橋本社で働いていました。「カコストロボ」は、一時ストロボの国内トップブランドでしたが、枝野幸男が中学生時代の1970年代に倒産。父の枝野忠正は失業してしまいます。その後、洗面台、流し台を作る会社を立ち上げた枝野忠正は、以後、枝野幸男の母である妻と2人で経営してきました。
洗面台製造会社社長とはいえ、いわゆる町工場の社長ですから、枝野幸男の家庭は大富豪というわけではなく、ごくごく一般的なものと思われます。枝野幸男は、中学~高校の6年間、合唱部に所属して、中学校時代にはNHK全国学校音楽コンクール全国大会で優勝した経験も。進学した栃木県立宇都宮高校は県内トップクラスの進学校で、弁論部に所属していた枝野幸男は、当時から政治家になることを心のどこかで志していたのかもしれません。
枝野幸男の経歴と学歴は?
枝野幸男は、高校卒業後、東北大学法学部に進学し、法曹界を目指すことに。1988年に24歳で司法試験に合格、司法修習を経て、弁護士になります。そして、1993年、日本新党の候補者公募に応募し合格。衆議院議員総選挙に旧埼玉5区から立候補すると、手作り選挙を貫いて、10人中2位の得票数を得て、初当選を飾りました。
しかし、当選した翌年の羽田内閣発足時、日本新党が、新生党などを含む統一会派「改新」に参加したことに反発した枝野幸男は、日本新党を離党。院内会派「民主の風」を経て、新党さきがけに合流します。1995年から薬害エイズ問題の真相究明・責任追及に取り組み、翌年には、橋本連立内閣の菅直人厚生大臣を支えて、国の謝罪・和解の実現へ尽力した枝野幸男。
2009年には、政権交代が実現し、民主党政権が成立・鳩山由紀夫内閣が発足する中で、枝野幸男は、行政刷新会議の事業仕分けチームの統括役に任命され、公共事業の仕分けに着手して注目を集めました。2011年発足の菅直人第2次改造内閣では、枝野幸男は、とうとう内閣官房長官に就任します。同年9月の野田内閣発足までその職を務め続けましたが、2012年に民主党が総選挙で大敗し下野して以降は、民主党幹事長の職を務めています。
枝野幸男の選挙区は?震災問題への対応への評価は?
枝野幸男の選挙区は?
枝野幸男は、初当選の1993年、中選挙区制の旧埼玉5区から立候補しています。旧埼玉5区の区域は、大宮市、与野市、上尾市、桶川市などです。続く1996年の第41回総選挙から、選挙制度が小選挙区制に移行すると、さいたま市の西区、北区、大宮区、中央区からなる新埼玉5区から立候補しました。しかし、第41回総選挙では、自民党の福永信彦らに敗れた枝野幸男は3位に。かろうじて重複して立候補していた比例北関東ブロックからの比例復活で当選しています。
2000年の第42回総選挙では、大差で福永信彦を破った枝野幸男。以来、2014年の第47回総選挙まで6回連続当選と実力を見せつけています。しかし直近2014年の総選挙では、自民党が、安倍総理など大物政治家を応援演説に投入するなどの攻勢を掛けたことから、自民党の牧原秀樹に3,000票差近くにまで迫られてしまいました。現時点で、埼玉県内で唯一民主党の議席となっている埼玉5区の牙城を守れるかは、枝野幸男に掛かっている、といえるでしょう。
枝野幸男の震災問題への対応の評価は?
枝野幸男は、2011年3月11日発生した東日本大震災時に、内閣官房長官を務めていました。震災と福島第一原発事故について逐一入る情報を、内閣のスポークスマンとして、不眠不休で会見をし続ける枝野幸男の姿に感銘を受けた人々も多く、Twitter上で「#edano_nero(枝野寝ろ)」というハッシュタグによって声援を送ったり、海外メディアが、ドラマ『24』の主人公ジャック・バウワーのようだ、と称賛したりするなど、不眠不休の働きぶりは高く評価されました。
しかし一方で、情報の一元化を図った官邸及び枝野幸男の方針により、福島第一原発事故による放射線量について、「直ちに影響はない」と記者会見で繰り返すなど、国民に告知すべき情報を公表しなかったり、表現を和らげるなどで正確に伝えなかったりしたことが批判されています。
当時の状況について、震災から5年がたった2016年3月、新聞の取材に応えた枝野幸男は「政府の関係機関、東電を含め、情報共有ができなかった。政治は結果だと言われれば、本当に申し訳ない」と、当時の混乱した状況から生まれてしまった結果について、素直に謝罪の意を表しました。
枝野幸男や菅直人が実名で登場、3.11からの5日間描く「太陽の蓋」が7月公開
枝野幸男が内閣官房長官として対応した東日本大震災・福島第一原発事故が起きた、3月11日からの激動の5日間を描いた映画「太陽の蓋」が、7月16日より公開されます。
枝野幸男、菅直人をはじめとする当時内閣だった政治家全てを完全実名で登場させたことでも話題になっている「太陽の蓋」は、3月11日からの5日間、官邸で行なわれた原発事故への検討や対応を、経過に沿って事実に忠実に描いています。被災地である福島と東京の人々の姿とを対比させることによって、原発と日本人の姿を、ドキュメンタリータッチの実録映画として俯瞰的に捉えている本作は、事故の真相を追う記者役で北村有起哉が主演し、枝野幸男役には、宮城県出身の菅原大吉。
三田村邦彦が演じるのが、菅直人役です。映画「太陽の蓋」は、あの震災が決して過去のものでなく、未だ続いているという事を私たちに思い起こさせてくれる映画になるのではないでしょうか。
津波による甚大な被害をもたらし、原発事故により、未だ多大な影響が残ることになった東日本大震災から3月で5年が経ちました。3月11日当日は、各地で記念の行事が催され、メディアも大きく取り上げましたが、それを過ぎると、被災地以外ではすでに過去のことと捉えられている感があります。
福島第一原発近くを訪れると、除染された放射性廃棄物があちこちに山積みになり、その最終処分場の建設先が決まらない、という現状。国は、福島第一原発事故の早期収束をアピールしていますが、なかなかそう簡単には行きそうにない現実があります。枝野幸男は下野して以降、政治の中枢にいるわけではありませんが、当時の反省も活かし、引き続き、事態の収束に責任をもって取り組んでいってほしいものです。