ブラマヨ吉田の肌ブツブツは治る!?結婚した嫁、子供は?
ブラマヨ吉田の肌ブツブツは治る!?ブラマヨ吉田から学ぶ肌にNGなこととは?
ブラマヨ吉田は、京都府京都市出身。吉本興業所属の芸人で、1998年に相方・小杉竜一とブラックマヨネーズを結成し、現在は、ブラックユーモアが利いたブラマヨ吉田の喋りと、鋭い突っ込みの相方・小杉のトークで司会やバラエティ番組で活躍しています。
そんなブラマヨ吉田の長年の悩みは、ブツブツのお肌。トーク中にも、お肌の自虐ネタで会場を沸かせているブラマヨ吉田ですが、本人にとっては本気の悩み事ですからあまり笑ってもいられません。
肌がブツブツになってしまった原因は、中学時代のニキビが多い思春期の頃のこと。顔にできたニキビをどうにかしたくて、通販で「ニキビ消しローラー」を購入し、できたニキビを潰してしまったのだとか。これは、お肌にとってかなりのNG。ニキビは、潰すと跡が残り、クレーターのようになってしまうことを、思春期まっただ中だった、当時の吉田少年は知らなかったようです。
このクレーターのような、ブラマヨ吉田の肌のブツブツは治るのでしょうか?皮膚科の先生によると、ブラマヨ吉田のような凹凸のあるニキビ跡は、何もしなくても完治するということは残念ながらないようです。治療としては、レーザーやピーリングがありますが、場合によって悪化することもあるので、専門家はあまりすすめていません。
では、ブラマヨ吉田の肌のブツブツはもう治らないのか……というとそうでもないようです。実はこういったニキビ跡には、ターンオーバーを正常化するケアをするのが一番だそうで、男性ホルモンの分泌を抑え、保湿ケアを徹底することで徐々に完治。ただし、ブラマヨ吉田ほどのブツブツお肌となるとかなりの月日が必要かと……。
ブラマヨ吉田の結婚した嫁、子供は?実はモテてた!?
ブラマヨ吉田は、2005年のM-1グランプリで、敗者復活枠からまさかの優勝を機に人気が出て、今では有名人に!ブラマヨ吉田の印象に残るルックスは、多くの人に覚えてもらいやすい代わりに、2007年と2009年の吉本ブサイクランキングで2位という不名誉な覚えられ方も。「どうやったらモテるねん!」と、モテないオーラを出していたので、てっきり彼女はいないものと思っていたら、ブラマヨ吉田はちゃっかり結婚。しかもお相手は一般女性で、14歳も年下の嫁なのですから、モテなかったわけではないようですね。
ブラマヨ吉田と結婚した嫁は、元看護師。結婚当時26歳で、ブラマヨ吉田が40歳だったので、14歳差の年の差婚でした。ちなみに、ブラマヨ吉田が結婚したとき、嫁のお腹の中には新しい命が。結婚届けを出した2012年の8月23日から1週間後の8月30日、ブラマヨ吉田と嫁の間には男の子が生まれています。
出産報告では「あまり俺に似てなくて、嫁に文句言いそうになりました」と、ブラマヨ吉田らしいコメントが。その後には「でも子供の可愛さと嫁の頑張り、どうかしてるぜ!」と相方・小杉のネタを使いながら、出産後の嫁に対する労いの言葉と、新しい家族が生まれたことの喜びを伝えたブラマヨ吉田。ネガティブで難しい一面もあるブラマヨ吉田ですが、パパになったことで、また新たな一面が見られるかもしれません。
ブラマヨ吉田は天才か?遺書を書いた理由とは?
ブラマヨ吉田は天才か?トークの面白さは下積み時代の賜物
ブラマヨ吉田は、妬みや世間への怒りを面白おかしく皮肉るのが一級品!他にはないボケのスタイルと、相方・小杉のキレのあるツッコミは、ブラマヨにしか出せない世界観があります。
普通では思いつかない言い回しで笑いを作るブラマヨ吉田が、実はトークの天才なのでは?とネットで話題になっています。ブラマヨ吉田の笑いのファンは多く、「天才です!!面白すぎるもん」「面白さは中堅クラスでも群を抜いている」など絶賛する声が多数。ブラマヨ吉田の独特の笑いや、間の取り方、タイミング良くボケる頭の回転の良さは、天才だからできると思っている人が多いようです。
しかし、ブラマヨ吉田の独特のセンスは、相方・小杉のツッコミがあってこそ。タイミングの良い的確なツッコミがなくては、天才も顔を隠します。ブラマヨは、2人で1つの天才ということですね。
そんな2人も、全く無名の下積み時代を経験しています。ブラマヨ吉田は、もともとツインテールというコンビで活動していましたが、全く売れず、解散して京都へ帰り、一度はお笑いの道を諦めかけたこともありました。その後、相方・小杉とコンビを組むことで、ブラマヨ吉田の芸人としての道が再び始まります。
コンビを組んですぐブレイクというわけにはいきませんでしたが、ブラマヨ吉田本人いわく、下積み時代に、女子高生から「きもい」と言われて傷つきながらも、ネタ作りに励んだ我慢の時期を乗り越えたからこそ、今の自分たちがいると話しています。下積み時代の経験が、ブラックマヨネーズというトークの天才を作り出したといえそうです。
ブラマヨ吉田が遺書を書いた理由とその内容は?
ブラマヨ吉田が出演した番組内で、吉田の家から遺書が発見されました。相方・小杉が読み上げ、言葉をなくしたその内容は、ガチ過ぎて引いてしまうほど。
そもそも、ブラマヨ吉田が、なぜそのような遺書を書いたかというと、下積みの辛いどん底時代、「自分は死ぬ」と本気で思って書いたものなのだとか。それは、M-1グランプリを獲得する直前のことでした。「M-1獲って良かった……」と、思わずブラマヨ小杉の本音がこぼれます。
ブラマヨ吉田本人いわく、どれだけエンジン全開で挑んでも、物事があまりにもうまく行かず、悩んで悩んで悩むあまり、勝手に心臓が止まってしまうんじゃないかと思ったそうです。独特の感じ方で、苦悩の日々を振り返ったブラマヨ吉田の遺書の内容は、「親、小杉、祐士(弟)、(元カノの名前)ありがとう。俺多分もう死ぬ。怖いちゃあ怖い。(中略)寿命で言うたら俺早いな。なぜこうなる?不摂生やない。小杉ごめん。他の奴と組んでいいよ。たまに墓参りに来てくれたら!」……この後も、ずらずらと殴り書いたようなブラマヨ吉田の遺書は続きます。
かなり暗過ぎる内容に、スタジオは重い空気に包まれますが、そこはブラマヨ吉田。この時の番組視聴率のフリップを出し、遺書を発見した時が最高瞬間視聴率だったと発表。一気にスタジオの笑いをさらいました。こんなダークな内容も笑いに変えてしまうのですから、ブラマヨ吉田はやはり天才、すごいですね。
ブラマヨ吉田が出発の地・大阪移住を計画中?負けない努力をしたんか俺は?
ブラマヨ吉田は、現在、東京でレギュラー番組10本に出演するほどの売れっ子。しかし、そんな東京を離れて、ブラマヨ吉田の出発点である大阪の地で家を探す動きがあるようです。
以前から大阪を中心に活動したいという思いを持っていたブラマヨ吉田は、関係者や相方にもすでに相談しているようで、大阪の地で勝負を賭けようと計画しているといいます。
マイホーム購入は、消費税増税や子供の小学校進学などの前に考えているとのことなので、ブラマヨ吉田が本拠地を大阪に移す日は、意外と近いのかもしれません。ピンで活動しているところを見たことはありませんから、拠点を移す場合は、おそらく相方・ブラマヨ小杉も一緒に大阪へ来ることになるのでしょう。相方・ブラマヨ小杉にも子供がいて、築いてきた生活環境があるので、すぐには決められないですよね。OKをもらえて、大阪の地に拠点を移したら、テレビで2人を見る機会が増えるので、関西のブラマヨファンは待ち遠しいですね。
勝負といえば、パチンコ好きなブラマヨ吉田。連載中の「パチンコブツブツ日記」では、負け続ける悔しさをコラムにしています。「下げたくもない頭を下げて稼いだ金が、一瞬でなくなる……パチンコなんかもう止めじゃ!」と思いつつも止められないパチンコ。コラムの最後には、「負けたくないわがままな俺がいる。で、負けない努力をしたんか俺は?そこが大事と思っています」と文を締めています。ブラマヨ吉田が、勝負事の世界、パチンコで感じたことは、芸人としての道においても言えることなのかもしれません。
「負けない努力をしたんか俺は?」と自分に問いながら、お笑いやパチンコの勝負に挑み続けるブラマヨ吉田。今後の活動がますます楽しみになります。