2022年10月11日 更新
赤西仁と黒木メイサの結婚馴れ初め!離婚説の行方は?
赤西仁と黒木メイサの結婚馴れ初め!「音楽の趣味がピッタリ合った」
KAT-TUNメンバーだった赤西仁と女優の黒木メイサが結婚したのは、2012年2月のこと。かなりドタバタとした結婚で、新聞や週刊誌を賑わせました。現在はソロアーティストとして活動を続ける赤西仁、結婚当時はジャニーズ所属の現役アイドルでした。
赤西仁と黒木メイサの馴れ初めは、友人を介しての食事会との事です。しかし、2人はもともと仕事を通して面識があったと言います。2人の交際が始まったのは2011年秋頃と言われていますが、赤西仁がロサンゼルスに語学留学していた際、一人暮らしでホームシックになたところを黒木メイサが励ましていたという情報も。
留学は2006年10月から2007年4月ですので、交際に発展するかなり前から親しい交流があったことになります。これが本当ならば、友人としての長い交流を経て、2011年秋に一気に距離が縮まり、2012年2月初旬に入籍しました。
2人が交際関係に発展した理由の1つに、「音楽の趣味がピッタリ合った」ことがあるとか。役者としても歌手としても活動している2人には、共感する部分も多かったのでしょう。
また、黒木メイサと噂になる以前から、浮き名を流し続けてきた赤西仁。熱愛報道がたびたびありましたが、外国人女性との噂も多くありました。黒木メイサも目鼻立ちのくっきりした顔で、父方にはスペイン人の血も入っています。音楽性の一致と、好みの容姿。さらに励まし続けてくれた相手ならば、交際へ発展しても不思議ではありません。
2012年1月になると2人が一緒に行動する姿が多数目撃されるようになり、一度は交際を否定するも、2月2日に入籍したことが判明。赤西仁が黒木メイサにプロポーズしたあと、黒木メイサが妊娠2カ月であることが分かったそうです。
赤西仁と黒木メイサ離婚説の行方は?結婚披露パーティ開催に第2子妊娠発表
赤西仁は黒木メイサとの交際も入籍も、ジャニーズ事務所には伝えていませんでした。現役アイドルが結婚するというだけでも大変なことです。ましてや事務所やメンバーへ事後報告な上、お相手はすでに妊娠しているというスキャンダル。赤西仁は結婚直後から、事実上謹慎状態となってしまいました。
内定していた主演ドラマの降板、全国ツアーの中止というペナルティを受け、仕事がなくなった赤西仁。世間は、彼を黒木メイサの「ヒモ」と評しました。2012年9月23日に長女が誕生すると、「夜泣きがうるさくて寝られない」「遊ぶ時間がなくなった」などと赤西仁が愚痴をこぼしている、実は別居状態である、などと噂され、黒木メイサにも不倫疑惑が浮上しました。2014年には、子供の面倒を見ずに夜遊びしているとまで言われるようになり、いよいよ離婚かと、まことしやかに囁かれました。
しかし赤西仁は、黒木メイサの撮影現場に同行し、控え室で長女の面倒を見ている姿が目撃されています。結婚前に見られた2人のディズニーデートは、今度は長女を連れてのスリーショットに。飲食店帰りに、長女を挟んで親子3人で手をつなぐ仲睦まじい姿も報道されました。2016年2月13日には、育児が落ち着いたということで結婚披露パーティを開催した2人。その後11月26日には第2子の妊娠も発表され、順調に夫婦関係を続けています。
赤西仁の身長体重、プロフィール!英語勉強法が凄かった!
赤西仁の身長体重、プロフィール!「方向性の違い」が多い人生の歩み
赤西仁は、1984年7月4日生まれ、東京都の出身です。身長は176cmで、体重は63kg前後と言われています1998年11月8日にジャニーズ事務所のオーディションを受けて一度は不合格に。しかし、名札を返したおじいさんがジャニーズ喜多川社長で、その名札の番号が「No.1」だったことから、「YOUも残っちゃいなよ」と合格をもらい、入所しました。2000年からジャニーズJr.として活動を始めた赤西仁は、翌2001年から、堂本光一の専属バックダンサーKAT-TUNのメンバーになります。半年後に、語学留学を理由に芸能活動の無期限休業を発表し、ロサンゼルスへ。復帰したのは半年後の2007年4月20日で、再びKAT-TUNとして活動しますが、2010年8月31日に「方向性の違い」を理由としてKAT-TUNを脱退し、ソロ活動に入ります。
ソロ活動では、デビューシングル「Eternal」がオリコンチャート初登場1位と順調な滑り出しを見せ、全米デビューの「TEST FRIVE featuring JASON DERULO」も、iTunes Storeダンスチャート1位を獲得しました。しかし、2012年2月の電撃婚で謹慎状態に。2013年6月23日に芸能活動を再開しますが、再び活動の「方向性の違い」を理由としてジャニーズ事務所を退所しました。アメリカ進出を目指す赤西仁と、国内の活動を重視する事務所との間にズレがあったと伝えられています。
赤西仁の英語勉強法が凄かった!的を絞った地道な訓練を独学
赤西仁は、子供の頃から、アメリカで活動することを夢見てきました。ロサンゼルスへの語学留学もその一環でしょうし、自身が手がける曲に英語詞があるのも、アメリカでの活動を見据えているためです。インタビューを受けている赤西仁の英語を聞くと、「なるほど、本気なんだ」と感じます。
赤西仁の英会話力が飛躍的に伸びたのは、語学留学後の独学によるものだそうです。赤西仁の英語勉強法は、あくまで会話主体。アメリカでのアーティスト活動で必要になるのは、英語力は必須です。赤西仁は、英語を勉強する目的を、エージェントとのやり取りや、インタビューの受け答え、ファンとの応答、曲作りと定め、学ぶ英語表現の範囲を絞り込みました。
その上で、バイリンガルの友人の英語を聞いて真似をする、映画やドラマを何度も見て台詞を覚えるくらい真似をする、洋楽をたくさん聞いてフレーズや発音を練習する、知らない単語は素通りせずに逐一調べて覚える、といった地道な努力を重ねました。
赤西仁が強調するのは、文法の正しさにこだわりすぎないことと、間違ったら恥ずかしいという気持ちを捨てることです。こうしたポイントを絞り、赤西仁は急速にスキルアップしました。
赤西仁御用達「UMAMI BURGER」が表参道にオープン! 中国の音楽授賞式にもJINTAKA再結成で登場予定
2017年3月24日に行われた「UMAMI BURGER」日本1号店オープニングセレモニーに、赤西仁の姿がありました。イベントにサプライズ登場し、スティーブン・メディロス代表とともにテープカットを行っています。「UMAMI BURGER」は、アメリカ人のソウルフードと、日本人が発見した「第5の味覚」である「うまみ」とが融合したハンバーガー。赤西仁も「ロスでよく食べたハンバーガー」とコメントし、開店を祝いました。
また、2017年4月20日には、俳優の山田孝之と結成した音楽ユニットJINTAKAとして、マカオで開催される中国で最も重要な音楽授賞式「チャイナミュージックアワード」に出演します。JINTAKAは、2016年のエイプリルフールに、冗談として発表されたデビューシングル「Choo Choo SHITAIN」が実現する形で、2016年9月21日にデビュー。山田孝之は、10代の頃から赤西仁とつきあいがあり、映画で共演したいという話が盛り上がってJINTAKA結成に至ったようです。
デビューシングル発売直後には、東京の豊洲で記念スペシャルイベントも開催。デビュー曲のパフォーマンスやトーク、赤西仁vs山田孝之のゲームなどで会場を盛り上げました。しかし、併せて行われた記者会見で「今後の予定は?」と尋ねられた赤西仁の回答は「解散します」。「結成したばかりなのに?!」と騒然となる観客や記者たちに、「方向性の違い」が理由だとけむに巻いています。
熱しやすく冷めやすい性格ともいわれる赤西仁。熱中するときは一気に仕上げ、そうでないときは別のことをするというメリハリが、彼のアーティスト活動や経歴を特徴づけています。熱中すれば地道な努力もいとわない、やりたくないことを漫然と続けないという赤西仁の生き方は、「自由奔放」「身勝手」と一概にいえるものではないのかもしれません。