安藤忠雄 新国立競技場の説明責任から逃げた?「仕事をつくる-私の履歴書-」の真実は?!
安藤忠雄 新国立競技場問題の記者会見は、すっとぼけた大阪弁で記者たちを煙に巻く
新国立競技場建設計画、白紙撤回。事態はすでに第2ラウンドに入ったようですが、この騒動のキーパーソンとなったのが世界的に著名な建築家であり、東京大学名誉教授の他、様々な政府関連プロジェクトの要職を務める安藤忠雄です。
「2520億……。私も聞きたい!もっと、どっか下がるとこ、ないのと」デザイン選定の説明責任を果たすために開いた記者会見で、安藤忠雄は、すっとぼけた大阪弁で記者たちを煙に巻いただけではありません。
多くの視聴者を、「このオッサン、何なの?」と呆れさせました。しかし、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長である森善朗元総理や、下村文部大臣、遠藤利明オリンピック・パラリンピック担当大臣などのお役人たちとは、いささかそのスタンスは異なるようです。
安藤忠雄 独立独歩「「仕事をつくる-私の履歴書-」の真実
安藤忠雄。1941年生まれ、73歳。いわゆる団塊、全共闘世代ですが、この世代の一部には、当時の日本に嫌気がさして「地球の歩き方」というガイドブックを片手に、世界に飛び出した若者たちがいました。安藤忠雄もまた、そんなひとりだったのです。
安藤忠雄の自伝「仕事をつくる-私の履歴書-」によると、安藤忠雄は、家が裕福ではなかったため、大阪の工業高校を卒業後、大学には行かず、建築事務所でアルバイトをしながら、独学で建築士の資格を取得しています。今で言うなら「ヒーロー」の木村拓哉が中卒で検事になったような快挙とでもいえばよいでしょうか。
もちろん、安藤忠雄の尋常ではない努力の賜物でしょう。安藤忠雄はその後4年間、二度に渡って世界を放浪。特にインドの人々の生き方に強くインスパイアされ、帰国後、独立独歩で建築事務所を開きます。
バブル時代という追い風もあってか、安藤忠雄は、従来の既成建築にとらわれない、コンクリートの打ちっぱなしを基調にした斬新なデザインの建築で、一世を風靡するように。これら安藤忠雄の「仕事をつくる-私の履歴書-」に書かれていることの多くはもちろん真実。けれども、大阪人特有の大言壮語、自己宣伝色が強いのもまた事実なのです。
安藤忠雄 建築物作品、講演会、名言の評価は?
安藤忠雄の作品は、コンクリートの打ちっぱなしに斬新なデザインが特徴
安藤忠雄の建築設計は、一般住宅からスタートしました。「住吉の長屋」や、「風の協会」「水の協会」「光の協会」などが有名です。その後は「ベネッセハウス」や全国各地の美術館など、モニュメント的な建造物が増えていきます。安藤忠雄の建築は、とりわけ海外で高い評価を受け、イエール大学、コロンビア大学、ハーバード大学などの客員教授にも迎えられます。
しかしコシノヒロコなど、実際に安藤忠雄に家を建ててもらった関西の有名人などに言わせると、カッコはええけど住み心地はあんまりエエことない。というのが定説なよう……。建築においてはどうやら、デザイン性と住み心地や利便性は、別もののようですね。
安藤忠雄 講演会で偏固な大阪のオッサンが言い放つ名言
今や社会的名声と確固たる地位を手に入れた安藤忠雄ですが、本人は至って唯我独尊。ある意味、ただの偏固な大阪のオッサンと言えます。伝統体裁を重んじる古い体質の建築業界や中央の権威主義者にとっては、異端であり畏怖すべき存在として、安藤忠雄をその素顔以上に祭り上げてしまったのが、現状なのではないでしょうか。
おまけに安藤忠雄は、本格時にボクサーを目指したこともある武闘派でもあります。これもまた、中央の権威主義者たちを畏れさせたのかもしれません。その物言いがあまりにストレートであり、かつ核心に触れることも多い安藤忠雄。講演会にも引っ張りだこです。
「豊かさというのは、直感力を奪うんですね。豊かになるのはいいことですが、これまでの歴史を見ても、豊かさを極めた国は滅びています」「極限の状況を乗り越えられるのは、『この先にもっと面白いことがあるぞ』と思えるからでしょう」確かに、これら安藤忠雄が講演会で話す言葉は名言といえるでしょう。
安藤忠雄の名言には、自らの確信と実践があり、説得力があります。しかし、人間功なり得ると、自分の言葉で墓穴を掘ることも。安藤忠雄は、かつてこんなことも語っています。「日本にいると危ない。ある一定レベルを超えると、急に結果責任が甘くなりますからこの国は。だから私は、常に現状に満足せず、新しい情報を吸収するように心がけています」。
安藤忠雄 めぐりめぐって問われるデザインの選定責任
1300億円の予定が、2250億円という途方もない建築費となった新国立競技場の建築費問題。安倍政権の存在を揺るがしかねない問題にまで発展しました。そうして、とうとう安倍総理直々に、新国立競技場白紙撤回発言となったわけです。
ところが、担当省庁である文科省下村博文大臣は、さっそく責任の矛先を、デザインコンペの審議委員長であった安藤忠雄に向けました。確かにデザイン優先とはいえ、上限1300億円相当の物件が、なぜ2250億円にもなってしまったのか?デザインコンペはそういうものなんだということで、結局はうやむやになっています。
けれども、選考時点で、予算だけでなく建築自体の実現性を問われていたのも事実であり、安藤忠雄本人の言葉に従えば、明らかに今回の責任の一端が、安藤忠雄自身にあることは明白です。他の選考委員もまた、ある意味、業界の鬼っこ的存在である安藤忠雄に、決定責任を押し付けた、事なかれ主義の結果に他ありません。
では、新国立競技場の新たなデザインはどうなっていくのでしょうか?森会長に「ドロっとした生ガキのよう」と言わしめた、前回デザインナーのザハ女史が、新デザインに関して、協力というより、既得権を主張しているといいます。
今、ザハ女史を新たなデザインに関与させるのか、またさせないのか。ザハ女史と安藤忠雄は旧知の仲ともいいますが、安藤忠雄にはせめて、日本の建築家の代表として、明確な意思表示をしてもらいたいものですね。