新井貴浩が結婚した嫁も韓国人?「辛いです」FA宣言がネタに!
新井貴浩が結婚した嫁・大橋裕美子も韓国出身?子供は?
新井貴浩は、日本に帰化した元在日韓国人のプロ野球選手ですが、2003年12月に結婚した嫁・大橋裕美子も「韓国人?」と言わんばかりの色白美人。出自の情報はありませんが、実は、新井貴浩の嫁・大橋裕美子は、フジテレビが主催していたタレント育成講座「乙女塾」6期生の元アイドルということですから、その美貌にも納得です。
嫁・大橋裕美子は、新井貴浩が駒澤大学に在学中からの熱愛彼女で、「もし男に生まれていたら野球をやる」と語るほどの野球ファンなのだとか。当時、広島カープのプロ野球選手だった新井貴浩と美人嫁・大橋裕美子が結婚したというのは、至極当然のことでしょう。新井貴浩と嫁・大橋裕美子の間には、小学6年生になる長男・亮規浩と、小学4年生の次男・颯真がいますが、2016年4月29日の広島VS中日戦の始球式で2人揃ってストライクを披露しています。将来が楽しみですよね。
新井貴浩「辛いです」、FA宣言での迷言がネットの餌食に!
新井貴浩は1999年から2007年まで活躍した広島カープから、FA宣言して、阪神タイガースに移籍しています。新井貴浩は広島県出身で、「生涯カープ宣言」とも受け取れそうな発言をしていただけに、この移籍には批判の嵐が。そんな中行われた会見では、涙ながらに「辛いです。カープが好きだから」と語った新井貴浩。
しかし、会見後には、阪神球団関係者と笑顔で会食していたという目撃談も出てきてしまいました。広島カープ在籍時代には、当時の山本浩二監督から守備の粗さをもじられ、「粗いさん」と命名されていた新井貴浩。広島カープファンのカープ愛を逆撫でした「辛いです」という迷言によって、「粗いさん」から「辛いさん」と呼び名を変えて、ネット上のネタにされてしまいました。
新井貴浩はチャンスに弱い?得点圏打率、成績推移を検証!
新井貴浩はチャンスに弱い?過去の得点圏打率、成績推移は?
新井貴浩は、長打を売りにしたスラッガーですが、いまいちチャンスに弱いと言われてきました。デビュー以降の広島カープ在籍時、2002年までは順調に成長したものの、金本知憲の阪神移籍に伴って4番に座った2003年には、打率.236、本塁打19本といまいち振るわず、2004年も、打率.263、本塁打10本と低迷しています。期待に反してチャンスをものにできなかったとするなら、この頃の成績でしょう。
その後、2005年には、打率.305と、自身初の3割台をマークすると、FA宣言する年の2007年まで、新井貴浩は、打率2割9分台をキープ。本塁打王になった2005年43本、2006年25本、2007年28本と、スラッガーらしく本塁打も量産しています。新井貴浩は2005~2007年にかけては常に100打点前後の働きをしていますから、決して得点圏打率が低かったわけではありません。
新井貴浩、広島カープ復帰で生まれ変わる!現在の得点圏打率は?
新井貴浩が、もっとも「チャンスに弱い!」と叩かれたのは、2008年シーズンから移籍した阪神タイガースでのこと。年棒2億円の契約とは裏腹に、在籍7年間で打率3割に達したのはたったの2回。新井貴浩自慢の本塁打さえ、2桁に満たないこともありました。
ただ、打率.250で、得点圏打率.233ということは、打てばそれなりに得点に絡んでいたということ。チャンスに弱いというよりは、明らかに打てない時期だったのです。この頃の新井貴浩が登場すると、甲子園球場では「仕事しろ」「少年野球からやり直せ!」とキツイ野次が飛んだものでした。
2014年のシーズンオフ、阪神タイガースから1億3000万円の減棒を突き付けられて、年棒2000万円の提示で古巣広島カープに戻った新井貴浩。2015年は、打率.275、本塁打7本と振るいませんでしたが、今シーズンは、23試合終了現在で打率.318、得点圏打率も4割超えと復調を見せています。今では、”チャンスに強い新井貴浩”と呼ばれるようにもなりました。
新井貴浩が通算2000安打達成!波乱万丈の野球人生を努力で実らせた!
新井貴浩が、2016年4月26日の東京ヤクルト戦で、史上47人目となる通算2000本安打を達成しました。今年でプロ18年目となる新井貴浩ですが、デビュー時から広島カープに在籍した数年間は、試合に出られず規定打席に足りなかったり、波乱のFA宣言で移籍した阪神でも振るわなかったりと、決して順風満帆な野球人生ではありませんでした。身長189cm、体重96kgと体格に恵まれながらも、1999年に駒澤大学からドラフト6位で広島カープ入りした新井貴浩。
当時の新井貴浩には、球界からも「駒澤大学出身のヘッドコーチのコネ入団」という見方がされており、4番に座ってタイトルを獲ったり、2000本安打を達成したりする選手になろうとは誰も想像していませんでした。その上、守備もひどく、総じてプロで通用するような選手ではなかったのです。「どこに行っても野球は野球」とFA宣言を後押しした新井貴浩の父親も、「いつクビになるか」と毎年のように心配していたといいます。
しかし、新井貴浩には、少々無理をしても故障しない強靭な肉体と、人一倍の根性、ミスを引きずらない図太さが備わっており、誰よりも技術的な進歩を遂げてきたことは明らかです。そして絶好調の2016年シーズン。2000本安打達成は、かつて「辛いです」と言いながら後ろ足で砂をかけてしまった格好になった広島カープファンへの恩返しの序章となりました。この調子ならば、通算300本塁打達成もあり得るかもしれません。リーグ優勝、日本一に導くだけの器量が、今の新井貴浩には感じられます!