尾藤イサオは「悲しき願い」で人気歌手に!名曲「あしたのジョー」は寺山修司が作詞
尾藤イサオは「悲しき願い」で人気歌手の仲間入り!実はイギリスのロックバンドのカバー曲だったって本当?
尾藤イサオは、ロカビリー歌手として知られるほか、俳優や声優としても活動しています。幼少時代は曲芸師として活躍していたという意外な経歴を持つ尾藤イサオは、高校時代にロカビリー音楽に興味を持つようになり、高校卒業後の1961年に渡米。本場ハリウッドで約1年間エンターテインメントを学びました。
帰国後は、ドイツ出身の歌手フランツ・フリーデル率いるバンドの一員として、ジャズ喫茶で音楽の腕を磨いていきます。こうしてプロの歌手として活動するようになった尾藤イサオに、1964年、大きな転機が訪れました。イギリスのロックバンドThe Animalsの「Don’t Let Be Misunderstood」を日本語でカバーした「悲しき願い」が空前の大ヒット。一躍人気歌手の仲間入りを果たします。
尾藤イサオの名曲「あしたのジョー」は寺山修司が作詞を担当!ファンイチ押しの名曲は?
大ヒット曲「悲しき願い」のほかに、「あしたのジョー」も、尾藤イサオの代表曲を語る上では欠かせない名曲の一つです。尾藤イサオの「あしたのジョー」は、高森明雄原作&ちばてつや画による同名の大人気ボクシング漫画がアニメ化されるにあたり1970年に制作された主題歌。
日本を代表する歌人であり劇作家である寺山修司が作詞を担当したことでも話題となりました。アニメ「あしたのジョー」の人気が高まるにつれて、尾藤イサオの歌う主題歌も大ヒット。「ルルル~」のフレーズをご記憶の方も多いことでしょう。
「あしたのジョー」の他にファンの間で名曲と言われている楽曲に、NHKの子供向け歌番組「みんなのうた」で放送された「赤鬼と青鬼のタンゴ」があります。一見子供向けに聴こえる「赤鬼と青鬼のタンゴ」ですが、AメロとBメロはテンポの良い歌謡曲調。さらに、サビがタンゴのリズムを意識したメロディという、音楽的にも大変興味深く聞きごたえのある楽曲となっています。
尾藤イサオの娘も歌手の道へ!所属事務所が自己破産していた
尾藤イサオの娘も歌手デビューしていた!強盗を取り押さえた衝撃エピソードとは
尾藤イサオの娘・尾藤桃子もまた音楽活動をしています。1975年2月26日生まれで東京都出身の尾藤桃子は、1994年に父・尾藤イサオのコンサートに参加したことをきっかけに音楽活動を始めました。1998年9月に、シングル曲「Ru Tu True」でデビューし、現在は、歌手活動以外にも、映画やCM、ミュージカルへと活躍の場を広げています。ソウルフルな歌声も魅力の尾藤桃子には衝撃のエピソードがありました。
デビュー前の1992年、尾藤イサオの自宅に強盗が侵入しましたが、家族の誰も被害を受けることなく、犯人はあっさり御用。それは、剣道3級の腕前を持っている尾藤桃子が、尾藤イサオと共に強盗犯を見事取り押さえたからでした。尾藤桃子は、力強い歌声だけでなく、肝の据わったところまで父親からしっかりと受け継いでいるようです。
尾藤イサオの所属事務所が自己破産!ギャラの支払い方法が特殊だった?
尾藤イサオには、所属事務所が自己破産してしまった経験があります。尾藤イサオがかつて所属していた「アトリエ・ダンカン」は、渡辺プロダクションでマネージャーを務めていた池田道彦が独立して立ち上げた芸能事務所でした。尾藤イサオをはじめ、木の実ナナや山崎育三郎、尾藤イサオの娘の尾藤桃子らも所属していましたが、2014年2月1日に業務を停止し、自己破産申請の準備に入っていたことが明らかに。
しかしそれ以前から、所属タレントのマネージメントだけではなく舞台製作も行っていた「アトリエ・ダンカン」は、舞台のギャラの支払い方法がおかしいと噂されていたと言います。それは、舞台初日にギャラの半金を支払って残りは千秋楽に支払うという分割払いや、千秋楽に全額を支払うといったパターンでした。
ギャラの額面自体は高めだったものの、端役の役者には遅れて支払われることも日常茶飯事だったとか。業界内では、倒産する直前まで、自転車操業で日々の資金繰りをしていたのではと指摘する声もありました。今の尾藤イサオの問い合わせ先は、「ケーワン・プロモーション」となっています。
尾藤イサオが「徹子の部屋」出演で明かした持病・黄斑変性症の苦しみとは
2018年2月28日、テレビ朝日系の「徹子の部屋」に出演した尾藤イサオは、目の病気を患っていることを明かしました。尾藤イサオが患っているのは黄斑変性症。目の網膜の中心部である黄斑に老化による障害が発生する病で、視力が下がっていき、最悪の場合は視力を失ってしまう可能性もあると言います。
投薬治療や手術、食生活の改善など、いくつかの治療法はあるものの不確定要素が多く、まだ根本的な治療法確立には至らない現状だそうです。対象を注視するほど見えにくくなるため、「見ようとすればするほどのっぺらぼうに見えてしまう」と黒柳徹子に断りを入れた尾藤イサオは、「徹子の部屋」で視線を落として話し続けていました。
すでに20年以上も黄斑変性症に苦しめられているとも語った尾藤イサオ。すれ違う人が判別できないため、知人を見過ごすことがないよう、あえて裏道を使って帰るといった苦労もあるそうです。
持病には抗えないとはいえ、ロカビリー音楽ブームの時代から多くの音楽ファンを魅了してきた尾藤イサオの歌声は今も健在です。2018年4~5月には、中尾ミエプロデュースのミュージカル「ザ・デイサービスショウ2018」出演のため、北海道から鹿児島まで全国各地を訪れます。音楽に情熱を注ぎ続けてきた尾藤イサオの歌声は、持病をも吹き飛ばす勢いで日本中に響き渡ることでしょう。