越前屋俵太の伝説は今も……!探偵ナイトスクープの人気探偵が消えたワケ

越前屋俵太の伝説は今も……!探偵ナイトスクープの人気探偵が消えたワケ

越前屋俵太の幻のコーナーが「探偵ナイトスクープ!」を生んだ?!

越前屋俵太(えちぜんやひょうた)は、関西人のテレビフリークにとって、もはやカルト的存在です。1970代から1980年代にかけて、関西では、ローカル番組が数多く制作されていました。中でも、朝日放送の「ラブアタック」をはじめとした視聴者参加番組は大流行り。その当時、多くの大学生たちが、出演者や番組スタッフとして、テレビ局に採用されていました。

構成作家から始まり、今では大作家となった百田尚樹も、そんな1人でした。そしてもう1人、その存在がテレビスタッフに面白がられ、タレントとしてテレビデビューしたのが越前屋俵太。関西のテレビでよく見かけるようになったのは、1988年にスタートした朝日放送「探偵ナイトスクープ!」を遡ること5年前、島田伸助の深夜テレビ「TV-JACK」です。

その頃から、越前屋俵太は、総髪で髭面。現地リポーターのパロディのようなコーナーを担当し、スーツ姿で、どうでもいいようなテーマを、それまでの大阪芸人にはない、人をくったスラップスティックなノリでリポートしていました。このコーナー企画が、後の伝説的番組「探偵ナイトスクープ!」のヒントになったことは間違いありません。

越前屋俵太は自らの生き方に疑問を持ちテレビ界を去った

越前屋俵太は、以後1995年まで、「探偵ナイトスクープ!」の初代探偵として出演するだけでなく、その特異なキャラで全国区のタレントとなりますが、その後、少しずつテレビに出なくなります。その原因として、囁かれたのは、「視聴者に飽きられた」「スタッフに干された」という説。しかし実際は、越前屋俵太自身が、自らのタレント活動に疑問を持ち、2004年には、完全にテレビ界から身を引いてしまったのです。

越前屋俵太の現在は書道家!?本名やプロフィールは?

越前屋俵太は書道家「俵越山」となって教育界でひっぱりだこ

越前屋俵太が、芸能界を去って傷心の日々を送っていたかといえば、全くそうではありません。番組で取材した孤高の書道家・榊莫山に感銘を受けた越前屋俵太は、決まりに縛られない自由な書道を始め、書道家・俵越山(たわらえつざん)としてユニークなパフォーマンスを行います。

また、桜島ポーランドと自称して、写真家としても活動するなど、その自由奔放な生き方が評判を呼ぶように。やがて、学校や教育関係者の間で、越前屋俵太の生き方が注目されるようになり、現在は、教育評論家としてもひっぱりだこととなっています。

越前屋俵太はお笑いタレントは仮の姿!今は客員教授で敏腕社長に

越前屋表太の本名は谷雅徳といい、大手銀行重役の息子に生まれました。関西大学在学中には、タレントとして活動するだけでなく、有限会社「越前屋電視社」を設立して、数々の番組の企画・プロデュースを行い、日本民間放送連盟賞で最優秀賞を受賞するなど高い評価を得ています。

そして現在は、「お金では買えない物を創って売る会社」をスローガンに掲げる会社の代表取締役社長と、関西大学総合情報学部の客員教授を兼任するという文化人のような暮らしを送っている様子。越前屋俵太は、テレビというメディアにとらわれない、マルチな才人なのかもしれません。越前屋俵太には、お笑いのセンスだけでなく、彼のスローガンに共鳴する、ユニークな人材を育ててほしいものです。

越前屋俵太13年ぶりに鶏牛の着ぐるみを着てラジオ番組に復帰

越前屋俵太が、2017年1月より、13年ぶりに、ABCラジオの昼帯番組「武田和歌子のぴたっと。」で、MCパートナーとして復帰しました。ラジオの収録を終え、復帰理由を聞かれた越前屋俵太は、「タレントになったことも、芸能界から離れた生き方も、全ていきがかり上で、今回の再開もまた同じ。自分は究極の寄り道をしているだけ」と、淡々と答えました。

しかし、そのインタビューに答える格好がまた、鶏の頭に牛と、人をくった着ぐるみ姿。この着ぐるみは、彼の仕事に対するポリシー「鶏口牛後」(大きな集団の末端でいるよりは、小さい組織でも、その集団の長、頭となって働く)を表しているそうです。「探偵ナイトスクープ!」のときも、何の説明もなく、この着ぐるみを着て仕事をしていたと、さっそくインタビュアーや周りのスタッフを煙に巻いています。

このスタイル、誰かに似ていると思いませんか。そうです。いまや芸能界の頂点に君臨する、所ジョージです。越前屋俵太がもし東京に生まれていたならば、マルチタレントとして、所ジョージのようなポジションを確立していたかもしれません。同じように、大阪出身で、越前屋俵太と1歳違いのタレントに、当時キッチュと呼ばれていた松尾貴史がいます。

彼もまた、従来の大阪芸人のテイストとは全く異なるタレントで、結局、彼らは、大阪のお笑い業界を離れてしまいました。大阪のお笑いは、間口が広いようで、意外にドメスティックで古風な世界なのかもしれません。

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