エフゲニー・プルシェンコは羽生結弦も憧れる銀盤の皇帝!引退の理由は?

エフゲニー・プルシェンコは羽生結弦も憧れる銀盤の皇帝!引退の理由は?

2022年5月30日 更新

エフゲニー・プルシェンコは羽生結弦も憧れる銀盤の皇帝!引退の理由は?

エフゲニー・プルシェンコは羽生結弦の永遠の憧れスケーター!

2017年4月2日、プロフィギュアスケーターで、「銀盤の皇帝」と呼ばれるエフゲニー・プルシェンコが、自身のインスタグラムで、羽生結弦の世界選手権優勝を祝福しました。羽生結弦が「銀盤の皇帝」エフゲニー・プルシェンコに憧れを抱いたのは、2002年のソルトレイクシティオリンピックでの演技を見てからだと言います。

エフゲニー・プルシェンコと言えば、マッシュルームカットが特徴的ですが、羽生結弦のノービス、ジュニア時代の「マッシュルームカット」にもその憧れの気持ちが表れているでしょう。また、技術の面においても、エフゲニー・プルシェンコを意識した部分が見られます。

たとえば、ビールマンスピンです。一般的に、女子選手よりも筋肉量が多く体が硬いため、高度な柔軟性が求められるピールマンスピンを取り入れる男性選手は多くありません。特に、シニアでこの技を取り入れたのは、エフゲニー・プルシェンコが初めてでした。

現在、現役選手でピールマンスピンをする男性選手といえば、羽生結弦とデニス・テンくらいです。そんな2人の最初の出会いは、ソルトレイクシティオリンピックから7年後のこと。羽生結弦は、アイスショー出演のために来日していたエフゲニー・プルシェンコと、通訳を介して少しだけ会話をすることができました。

その時、「銀盤の皇帝」からかけてもらった言葉は鮮明に覚えていると、羽生結弦は語ります。「俺を倒したら、おまえの時代だよ」。そして、ソチオリンピックを棄権した後のインタビューで、「銀盤の皇帝」は、このような言葉を羽生結弦に贈っています。「私は彼のヒーローだったかもしれないが、今は彼が私のヒーローになっている」。

エフゲニー・プルシェンコ「銀盤の皇帝」の軌跡と引退を決意した理由とは!?

「銀盤の皇帝」エフゲニー・プルシェンコは、旧ソビエト連邦ソルネチヌイ出身で、1982年11月3日に生まれました。金メダルの獲得数は、オリンピックで2枚、世界選手権で3枚、グランプリファイナルで4枚。旧採点法(6.0満点採点)と現在定着している新採点法の両方でオリンピックのメダルを手に入れた唯一の選手でもあります。

まさに「銀盤の皇帝」の名に相応しい功績の数々を残してきたエフゲニー・プルシェンコですが、怪我に泣かされた選手生活でもありました。バンクーバーオリンピックを銀メダルで終えた2010年の初夏、エフゲニー・プルシェンコは、アキレス腱付近にできたのう胞の切除と、左膝の半月板清掃の手術を行っています。その他にも、競技生活の続行のために、脊髄の神経を特殊な針で焼く治療も同時に行いました。

その後も、古傷の悪化により、シーズンを欠場しては手術を繰り返す月日を送ります。2013年1月21日から開催されたヨーロッパ選手権に急遽エントリーしたときには、ファンたちは、エフゲニー・プルシェンコの復帰に期待を膨らませました。しかし、公式練習中に背中から激しく転倒。これにより、椎間板ヘルニアを悪化させてしまいます。さらに追い打ちをかけるように、ショートプログラムでは、2004年以来一度も失敗したことのなかったトリプルアクセルで転倒。これは、椎間板ヘルニアの悪化に伴い足が麻痺してしまったため、着氷をコントロールすることができなかったためでした。

フリーを棄権すると、すぐにイスラエルのテルアビブへ飛び、潰れた腰椎の椎間板を人工の代替品と取り替える緊急手術を受けています。そして迎えたソチオリンピック。個人戦のショートプログラムの6分間練習中、エフゲニー・プルシェンコは、トリプルアクセルの着氷時に腰を痛めてしまいました。残り時間は、ジャンプやスピンの調整は全く行わず、ただ腰を両手で押さえたまま。

試合が始まり名前がコールされましたが、演技を始めずに審判の元へ行き、棄権の意思を告げました。そして観客に両手を挙げて挨拶すると、会場内に正式に棄権がコールされ、観客たちの静かな拍手が沸き起こりました。その後に再び脊椎手術を受けたエフゲニー・プルシェンコは「平昌オリンピックを目指す」と公言していましたが、2017年3月31日に現役引退を表明。

プロスケーターのカート・ブラウニングが、「素晴らしいキャリアの最後が、総立ちの拍手に囲まれてのものではなくて残念だ」とコメントしたように、「銀盤の皇帝」の競技人生の幕切れはあまりに寂しいものとなりました。しかし、手術に次ぐ手術でも改善されることのなかった故障の数々がありながらも、これだけの功績を残したエフゲニー・プルシェンコは、やはり「銀盤の皇帝」と名乗るに相応しいスケーターです。

エフゲニー・プルシェンコが羽生結弦のコーチに!?息子が可愛すぎると話題に!

エフゲニー・プルシェンコが羽生結弦のコーチ宣言?!の真相を探れ!!

2014年2月22日、スポーツ番組「Going! Sports & News」に、にエフゲニー・プルシェンコがVTR出演しています。番組MCのくりぃむしちゅー上田晋也は、「羽生選手のコーチにプルシェンコさんがおなりになるんじゃないかという噂があるんですけど、可能性はあるんですか?」と質問。すると、エフゲニー・プルシェンコは、「2010年から、私が羽生選手をコーチすることは可能かという話が出たが、あの時点では自分の練習を優先させたかったので断りました」と、何年も前から話し合いがあったことを明かしました。

さらに、銀盤の皇帝はこうも語りました。「私がコーチをすれば、結弦をあと頭2つ抜きん出た選手にできる」。ソチオリンピックのシーズン当時、羽生結弦が飛べる4回転ジャンプの種類は、トーループとサルコウの2種類のみでした。それを、エフゲニー・プルシェンコは、「羽生選手は2種類だけではなく、もっと多くの4回転ジャンプが跳べるはず。コンビネーションの可能性もある」と。

そして実際、現在の羽生結弦の4回転ジャンプの種類は、トーループ、サルコウ、ループにまで増えています。銀盤の皇帝エフゲニー・プルシェンコの目に狂いはありませんでした。実際、エフゲニー・プルシェンコ自身も天才的な4回転ジャンパーであり、強いこだわりを持っていることで知られています。しかし、このインタビュー後から現在までの羽生結弦は、ブライアン・オーサーコーチに師事したままです。

ロシアのスポーツ専門チャンネルでは、「(来年の平昌オリンピックに)間に合えばコーチとして選手と共に行くかもしれない」とも話しているエフゲニー・プルシェンコ。そうなると、平昌オリンピックのキス&クライでは、羽生結弦の隣にコーチとしてエフゲニー・プルシェンコが座っているという光景を目にする可能性も否定はできません。

エフゲニー・プルシェンコの息子サーシャが可愛すぎる!!

エフゲニー・プルシェンコは、2回の結婚をしています。最初の結婚は、2005年。サンクトペテルブルクの著名実業家の娘マリア・イェルマークとの間に、長男クリスチアン(後に「イェゴール」に改名)をもうけます。しかし、夫婦関係は結婚3カ月で破綻しており、2008年に離婚。クリスチアンの親権は、マリア・イェルマークに渡ってしまいます。2009年になると、音楽プロデューサーで実業家でもあるヤナ・ルドコフスカヤと再婚。2013年に、エフゲニー・プルシェンコにとって第二子となる息子、アレクサンドル・エフゲノヴィッチ・プルシェンコが誕生しました。

サーシャの愛称で親しまれるこの息子こそ、今「可愛すぎる」と話題の人物です。今ではモデルとして活躍しており、弱冠3歳にして、自身のインスタグラムアカウントも取得済み。インスタグラムでは、大人顔負けのモデルぶりが見られる他、父親であるエフゲニー・プルシェンコとの仲睦まじい動画もたくさんアップされています。サラサラのブロンドヘアーに透き通るような青い瞳は、父親であるエフゲニー・プルシェンコのトレードマーク。スケートも好んでしている様子から、ファンの間では、サーシャがこのままモデルとして活躍するのか、父親と同じくスケート選手になるのか目が離せないと話題になっています。

エフゲニー・プルシェンコが引退を決めた浅田真央に贈った温かなエール!

日本の女子フィギュアスケート界をけん引してきた浅田真央が現役引退を発表し、21年間の現役生活に終止符を打ちました。その浅田真央のファンであると昔から公言してきたのが、エフゲニー・プルシェンコです。浅田真央について、「真央が常に挑戦してくれたことで、世界のフィギュアスケートが発展した。本当にありがとうと言いたい」。そして、「真央もまだ若いから、振付師としても凄い才能を発揮するかも知れない。フィギュアは演じる競技だから、女優や歌手だってあり得る」と、浅田真央のこれからのキャリアへのエールを贈っています。

エフゲニー・プルシェンコが一番心に残る浅田真央の演技として挙げたのは、バンクーバーオリンピックでした。当時、キム・ヨナとのし烈な女王争いを繰り広げていた浅田真央は、ショートプログラムとフリースケーティングで3度トリプルアクセルを決めるも、わずかなミスが響き、銀メダルに終わりました。

スケート関係者のみならず、世間では、浅田真央とキム・ヨナのどちらがより良いスケートをしたか、試合があるたびに論争が繰り広げられたものです。そのたびに常に浅田真央の援護をしてきたのが、エフゲニー・プルシェンコ。競技者として、常に高難度の技に挑戦し続ける浅田真央の姿勢を評価し、敬意を示してきました。

女優や歌手の可能性もあるとは、浅田真央を敬愛してやまないエフゲニー・プルシェンコだからこそ言えた、後輩への温かなエールではないでしょうか。フィギュアスケート界に偉大な功績を残した「銀盤の皇帝」エフゲニー・プルシェンコと浅田真央。スケートファンは、2人が、これからの第2の人生を、怪我に苦しむことなく謳歌してくれることを願っています。

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