が~まるちょばのサイレントコメディーが面白い!海外の反応は?」

が~まるちょばのサイレントコメディーが面白い!海外の反応は?

が~まるちょばって何モノ?サイレントコメディーが大評判に!

が~まるちょばのトレードマークは赤と黄色のモヒカン。何とも奇抜なスタイルで、言葉を一切発しない「サイレントコメディー」を武器に、世界を股にかけて大活躍しています。1999年にコンビを発足したが~まるちょばの2人とは、赤いモヒカンのケッチ!と、黄色いモヒカンのHIRO-PON(ヒロポン)。

もともとは、パントマイムのソリストとして活動していました。見た目はパンクな2人ですが、舞台上でのパフォーマンスはまさに圧巻!中でも、テレビなどでも評判の「エスカレーター芸」では、紙一枚使うだけで、エスカレーターの上り下りの動作を普通に乗っているかのごとく完璧にこなし、「スーパースロー芸」では、実際にスロー再生したものと全く判別が付かないほどの完成度です。

しかしながら、が~まるちょばの凄さは、その完璧なまでの動きに、ストーリー性を持たせたことにあります。中でもチャップリンの代表作をモチーフにした「街の灯」では、2人で8役を演じ分け、ファンの中でも一番リクエストの多い作品となっています。ちなみに「が~まるちょば」とは、グルジア語(ジョージア語)で「こんにちは!」という意味だそうです。

が~まるちょばって面白い!海外での反応が凄かった!

が~まるちょばの舞台は、活動の拠点を海外に置いていた時期もありことから、世界的に高い評価を受けています。YouTubeにアップされた2人のパフォーマンス動画に寄せられるコメントには、海外からのものも多数。「2人は正真正銘なる喜劇の天才!めっちゃ面白い」「単純なトリックなのにアンビリバボー!」「日本の人たちなの?キミたちはソウ・クールだね」「マイムやジェスチャーはコメディの基本だけど、彼らはそれをアートにまで進化させている。

素晴らしいとしかいいようがない」など大絶賛の嵐で、世界中からオファーが殺到しているそうです。そんな中で、が~まるちょばは、「僕らだけじゃない。もともと日本のパントマイムは世界でも評価が高いのです」と、ストイックな芸風とは裏腹に、謙虚な姿勢を崩していません。

が~まるちょばプロジェクト・カンパニーの歴史!メンバーはしゃべるの?

が~まるちょばプロジェクトからカンパニーへと進化!その歴史とは?

が~まるちょばの2人は、コンビ結成後、独自で開発したサイレントコメディーを、日本各地はもちろん、海外で上演してきました。その活動に加えて、2010年には、「が~まるちょばプロジェクト」なるプロのアーティストを養成する機関を立ち上げます。

そして、2人から多人数になったことによって、さらにストーリー性や演出に幅が広がり、「世界で初めてのサイレントコメディーによる世界ツアー」を実現する確信を得た2人の次なる挑戦が始まりました。2014年10月24日「ザ・が~まるちょばカンパニー」の設立です。メンバーは、ケッチ!とHIRO-PON(が~まるちょば)、MASA とhitoshi (GABEZ)、それに「が~まるちょばプロジェクト」のメンバーだった角谷将視、浜口啓介の6人で結成。

「ザ・が~まるちょばカンパニー」設立にあたり、6人を代表して、HIRO-PONが「ビートルズが『All You Need Is Love』を世界に届けたように、ゴレンジャーが5人で世界を救ったように、ボクたちは6人で、言葉を超えて世界に飛び出すのである」とのコメントを発表しました。

が~まるちょばのメンバーがしゃべるってどういうこと?

が~まるちょばは、今や、言葉の壁を越えて世界で大絶賛されるサイレントコメディーのデュオですが、話さないプロの2人が、なんと!ラジオでおしゃべりしていました。その番組とは、TBSラジオで、2014年3月31日~2015年2月23日まで放送された「が~まるちょば、しゃべる」。

驚異のパフォーマンスで世界から高い評価を受けている2人のおしゃべりのテーマは、ズバリ「世界の国々!」。番組内で毎回1つの国を取り上げ、ストリートや劇場で2人が出会った、あらゆる年代の人たちとの心の交流や体験談を話すというものです。

しかしながら、元来舞台でのパフォーマンスが専門のが~まるちょばの2人は、ラジオ番組を飛び出してリアルライブを決行。2014年9月2日(火)~9月7日(日)の6日間、赤坂ブリッツを会場に、放送では話せなかったレアなしゃべりとパフォーマンスで観客を魅了しました。

が~まるちょばが語る「運命の出会い」と「パントマイムの醍醐味」とは?

が~まるちょばの2人が、天職である「パントマイム」に目覚めたのは、奇しくも同じ10歳の時。HIRO-PONの場合は、1人で何か演じてみたいと思っていた時に、本人曰く「天から降ってきた」のがパントタイムでした。ケッチ!に至っては、「沢田研二がテレビでマイムを披露しているのを観て、強く興味を抱いた」のだとか。

しばらくは個人で活躍していた2人が運命的な出会いをしたのは、1997年に参加した長野フェスティバルでの舞台でした。最初は「マイムは1人で演じるものだ」と結成を渋っていたHIRO-PONでしたが、「一緒にやるなら、1つのモノを2人で命を懸けてやろう!」と、1999年にコンビ結成を決意します。

今では海外でも高く評価されている2人ですが、結成した頃は、海外での活動は1年でわずか1カ月ほど。笑いにもお国柄が出るのか、韓国やラテン系の国々の笑いに対する、日本では考えられないストレートな感情表現には2人も驚いたといいます。それでも2007年に横浜で行った公演では、終わった後に、観客全員がスタンディングオベーションで称えてくれて、「それはないだろう」と号泣してしまったそうです。

一言も語らないサイレントコメディーで観客を沸かせるが~まるちょばですが、時折「あのセリフはどっちが考えているの?」と聞かれ、「え?セリフないけど」と答えると、「うそ?言っていたでしょ。あれ?」と困惑されることがあるそうです。

「僕らが演じるだけで、観客はあたかも僕らがセリフを語っているかのように想像する。十人十色の感動、これこそがマイムの醍醐味!」と熱弁するが~まるちょばの2人。2016年6月16日、天王洲の銀河劇場でスタートした「が~まるちょばサイレントコメディーJapan Tour 2016」でその醍醐味、味わってみませんか!

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