原節子の突然の引退を振り返る!生涯独身を貫いた女優の生き様
原節子は小津安二郎監督に殉じて映画を引退した?!
原節子は、伝説の女優として、亡くなった今もその人気が衰えることはありません。戦後まもなく、「わが青春に悔なし」「安城家の舞踏会」「青い山脈」など、数々の名作に立て続けに出演。トップスターの地位を築いた後、名匠小津安二郎監督の「晩春」から「小早川家の秋」に至る、日本映画史に名を残す6作品に出演しました。
そして小津安二郎監督の死に殉じるかのように、映画界から身を引き、その後いっさい世に出ることはありませんでした。原節子には、もう1つ、他の女優にはない呼び名があります。それは原節子が生涯独身を貫いたことから、名づけられた「永遠の処女」です。それでも交際相手として、小津安二郎監督や、東宝の社長だった藤本真澄、ビッグスター三船敏郎の名があがったりしたこともありました。しかし、それらが公になることは一度もなく、原節子は、伝説の女優としてのイメージを死ぬまで守りぬいたといえるでしょう。
原節子は戦後復興期を代表する「伝説の女優」
原節子は1920年生まれ。戦前から女優として活躍し、その絶頂期といえる1963年、女優業を突然引退。以後50年以上に及ぶ長い隠遁生活を経て、2015年、95歳で静かにこの世を去っています。戦後すでに71年。映画界には、これまで幾多の女優が現われては消えていきました。
しかし、これまでに、「伝説の」と前置きがついた女優は、2人だけしかいなかったと思われます。1人は70年代を駆け抜けた山口百恵。そしてもう1人が、映画ブームの終焉とともに、映画界を去った原節子です。ちなみに2012年に亡くなった森光子と、原節子とは同い年でした。
原節子の現在も褪せない代表作!藤本真澄の本当の関係とは?
原節子の代表作は小津安二郎監督紀子3部作「晩春」「麦秋」「東京物語」
原節子と聞くと、今では、昔の楚々とした日本美人を想像しがちですが、原節子は、目鼻立ちが大きく、はっきりした顔立ちの、非常に現代的な美女といえます。だからこそ、小津安二郎作品にみられるように、戦後復興期における日本女性の等身大の美しさを、いかんなく発揮できたのではないでしょうか。
原節子の魅力が注目されたのは、なんといっても、1949年、原節子が29歳の時の作品「青い山脈」でしょう。戦後民主主義を代表するかのような、毅然とした女教師の役は、原節子にピッタリでした。そしてこの年、小津安二郎監督との記念すべき第一作「晩春」が制作されます。「晩春」では一転、やもめの父と、少し婚期を逃がした娘の、きめ細かな日常が描かれました。
これが、戦後という新しい時代とその価値観を受け止めて、懸命に生きようとする当時の人々の多大な共感を得て、原節子は、女優として不動の地位を築くことになります。「晩春」は、やがて、「麦秋」「東京物語」と続く、主人公の名を冠した紀子3部作の第1作とされ、完結作となる1953年の「東京物語」は、日本のみならず、世界映画史上に残る名作として、今なお高い評価を得ています。
この年、原節子は33歳になっていました。1957年「東京暮色」につぐ、1960年の「秋日和」は、「晩春」のやもめを、美しい未亡人に置き換えて、婚期を迎えた娘との心の機微を描いた作品です。原節子が未亡人役を、娘を、戦後を代表する女優の1人である司葉子が演じています。奇しくも、この作品が小津安二郎監督の遺作となりました。もはや戦後ではなくなった日本は、高度成長と60年安保という、また新たな時代を迎えます。このとき、原節子は40歳になっていました。
原節子を「伝説の女優」として引退後も守った男、東宝社長藤本真澄
原節子は、戦後復興という時代に、新しい女性の象徴でもありました。しかし、新時代の到来に、小津安二郎監督とともに映画界から去ることで、伝説の女優として永遠に生き続けることになったのです。そんな原節子を、伝説の女優として、その後も守り続けたのが、東宝の社長となった藤本真澄でした。芸能マスコミからの庇護や、経済的支援を、惜しまなかったと伝えられています。
原節子よ、永遠に。鎌倉市喜多映画記念館にて特別展「鎌倉の映画人、映画女優原節子」開催
原節子は、長年隠遁生活を続けてきましたが、1994年、突然世間を驚かせます。前年度の高額納税者75位に、原節子の本名、會田昌江の名が載っていたからです。納税額は3億7800万円で、所得総額は、なんと13億円だったとか。これは、原節子が、女優を引退するまで住んでいた土地の売却益だったそうです。
原節子は、女優引退後、ずっと鎌倉で暮らしていました。そんな原節子が余生を過ごした鎌倉市では、2016年3月から7月にかけて、鎌倉市川喜多映画記念館において、特別展「鎌倉の映画人、映画女優原節子」を開催。往年の名作「東京物語」や「麦秋」をはじめ、原節子が出演した映画13作品を上映しました。
期間を通して、来場者が1万3000人近くになるという大盛況だったそうで、来館者からは、早くも、次回開催の希望も数多く寄せられているそうです。原節子に対して、懐かしいようで、なぜか新しいイメージを感じるのは、いつの時代にも通底する、つつましやかで賢く、芯が強い日本女性の理想的な美しさを、彼女に垣間見るからに違いありません。「伝説の」と前置きがついた原節子は「永遠の処女」と称され、もう1人の山口百恵は、「時代と寝た女」と例えられました。これもまた、時代の移り変わりというべきなのかもしれません。