梅宮辰夫と山城新伍の友情、性病秘話!若い頃が破天荒すぎ!

梅宮辰夫と盟友・山城新伍の40年の友情

梅宮辰夫が、現在肺炎で極秘入院し、体調を心配されています。盟友といわれた俳優・山城新伍を、2009年8月に亡くしている梅宮辰夫。山城新伍と梅宮辰夫の友情は、40年以上にも及び、生き残ったほうが、相手の葬儀委員長をするという約束までしていたそうです。

山城新伍の葬儀は密葬でしたが、後日行われた「山城新伍さんを偲ぶ会」の発起人となった梅宮辰夫は、盟友との生前からの男の約束をきっちり果たしました。梅宮辰夫と山城新伍2人の出会いは、昭和44年頃。梅宮辰夫主演の映画「不良番長」シリーズに山城新伍が加わり、その他の作品でも多数共演したことが始まりでした。私生活でも盟友として、夜遊びを共にしたそうです。

梅宮辰夫と山城新伍が性病を一緒にうつされた?!破天荒エピソード

梅宮辰夫と山城新伍の破天荒な夜遊びぶりは、こんなエピソードも生んでいます。デビューを控えた新人女優に芸名をつけてあげた梅宮辰夫。何かお礼をしたいと言われ、間髪入れずに「1回やらせてくれ!」と言ったそうです。その後、梅宮辰夫は、性病を患ってしまいます。

すると、山城新伍も同時期に性病に。梅宮辰夫の話をどこかで聞きつけた山城新伍は、その新人女優に「あの芸名は俺と梅宮で考えたんだよ」と言って、「お礼」をいただいたとか。梅宮辰夫は当時を振り返って、「(俺の若い頃は)女、酒、金、車しか考えてなかった」と語っていますから、実際、2人の破天荒ぶりは相当なものだったのでしょう。

梅宮辰夫のお面がバカ売れする理由!自宅、出身はどこ?

梅宮辰夫のお面がバカ売れする理由!

梅宮辰夫は、今や大御所俳優ですが、2013年11月から、お面「体でモノマネ『梅宮辰夫』」が発売され、バカ売れしています。きっかけは、お笑いトリオ・ロバートの秋山竜次の大人気ネタ「体モノマネ」。2012年頃、恰幅のいい秋山が、「体だけなら大御所のよう」と言われて思いついたというネタです。

内容は、上半身裸になり、顔には梅宮辰夫のお面をおもむろにつけるというもの。レパートリーには、天竜源一郎等がありますが、やはり梅宮辰夫が鉄板で、お面が売れる理由でもあります。映画の公開イベントで秋山竜次と同席した梅宮辰夫もモノマネを「公認」。もちろん、発売されたお面も梅宮辰夫公認グッズです。

梅宮辰夫の自宅、出身はどこ?

梅宮辰夫は、モノマネも公認するほどの懐の深さを見せていますが、大御所らしく、自宅は高級住宅地の渋谷区松濤。テレビ等でもたびたび紹介されていますが、なかなかの豪邸です。そこに、妻のクラウディアと孫の百々果とともに暮らしている梅宮辰夫。

現在は家を出ていますが、かつては娘の梅宮アンナも同居していました。神奈川県の真鶴町には別荘もあり、盟友・山城新伍もたびたび遊びに来たとブログで明かしています。そんな梅宮辰夫ですが、出身はなんと満州です。陸軍士官学校卒業後に日露戦争に従軍した祖父がそのまま満州に移住。満州医科大学を卒業し、医師となった父・次郎の長男として生まれたそうです。

梅宮辰夫は医師の息子だった!俳優、不良番長から梅宮パパへ

梅宮辰夫は、1938年生まれで、現在78歳。今では考えられませんが、医師の息子として、跡を継ぐことを期待されていたといいます。
満州で生まれた梅宮辰夫は、中国で終戦を迎えました。第二次世界大戦終戦後、中国から引き揚げた一家は、茨城県水戸市に移住。その後、親戚のいた品川区戸越銀座へ居を移し、梅宮辰夫の父が開院したのが、梅宮医院です。梅宮辰夫は、跡継ぎとして将来を期待されていましたが、医大受験に失敗し、日本大学に進みます。

そして、大学在学中に、映画のスカウトを受けたことから、東映ニューフェイス5期生に。これが俳優・梅宮辰夫の誕生の瞬間です。梅宮辰夫は、二枚目スターとして、数々の映画に主演し、1965年には、『ひも』をはじめとする「夜の青春シリーズ」がヒット。

1968年には、代表作となる「不良番長」シリーズがスタートします。3作目からは盟友・山城新伍が加わり、コメディ色の強い作品となりますが、それによってますます人気に。結果、「不良番長」は、シリーズ16作が世に送りだされました。梅宮辰夫自身も「僕の真髄は、不良と女たらしを兼ねた「不良番長シリーズ」なんですよ」と語っています。1973年には、ヤクザ映画の名作と名高い「仁義なき戦い」に出演。貫録あるヤクザを演じ、俳優・梅宮辰夫のイメージはここで一度完成したともいえるでしょう。

その後、テレビドラマが全盛となると、梅宮辰夫は、ドラマの世界で役柄の幅を広げていきます。「前略おふくろ様」では渋い板前を演じ、学園ドラマ「スクール☆ウォーズ 泣き虫先生の7年戦争」では、情に厚いラーメン屋の店主を演じた梅宮辰夫は、お茶の間で親しまれる存在になっていきます。

また、料理の腕がプロ級だったこともあり、実業家として飲食店も経営。バラエティ番組でその腕を披露したりと、活躍の場をさらに広げていきました。娘の梅宮アンナがモデルとして芸能界にデビューすると、タレント・羽賀健二との交際騒動をまきおこし、ワイドショーをにぎわす存在にも。

「不良番長」シリーズや「仁義なき戦い」のファンからすると、今の梅宮辰夫の姿は、すっかり丸くなったと感じてしまうかもしれません。しかし、若い世代からすると、バラエティ番組で料理をしたり、娘と共演したりする姿のほうがお馴染みですね。
どちらにしろ、梅宮辰夫が、幅広い世代から親しまれている存在なのは間違いありません。78歳という年齢から体調を崩しやすいようですが、元気に活躍を続けてほしいものです。

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