日野皓正は日本人初ブルーノート・レコードと契約した偉大なるトランペット奏者!

日野皓正は日本人初ブルーノート・レコードと契約した偉大なるトランペット奏者!

日野皓正は日本を代表するトランペット奏者!日本人初でブルーノート・レコードと契約した偉大なる経歴!

中学生へのビンタ報道によりワイドショーを賑わせている日野皓正(ひのてるまさ)は、日本を代表する偉大なトランペット奏者です。1942年10月25日に東京都で生まれ、9歳からトランペットを始め、日系アメリカ人のジャズミュージシャンのティーブ・釜萢が創立した、日本初のジャズ音楽の専門学校「日本ジャズ学校」でトランペットを学びました。

1964年に、日本の著名なジャズドラマーである白木秀雄を中心とした「白木秀雄クインテット」に参加した日野皓正は、ベルリン・ジャズ・フェスティバルへ出演すると、瞬く間に世界のジャズ界から注目を集めることに。その後、エディ・ダニエルズやエルヴィン・ジョーンズなど世界の名だたるジャズミュージシャンと共演を果たし、日本を代表するトランペット奏者になりました。

1975年からは、活動拠点をアメリカへ移している日野皓正。1989年には、日本人ミュージシャンとして初めて、ジャズの名門レコードレーベルである「ブルーノート・レコード」と専属契約を結び、その地位を確固たるものとしています。

日野皓正の代表曲は19歳の時に完成していた!?「Alone Alone And Alone」他ディスコグラフィーをおさらい!

日野皓正の代表曲は、1973年ドイツのクラブ「ドミシル」で行われたライブを収録したアルバム「TARO’s MOOD」の中の1曲「Alone Alone And Alone」。日本人ジャズミュージシャンが作曲した中で最も有名な曲として名高い作品です。まるで音遊びをしているかのような、軽やかなメロディーラインと鬼気迫る音色の対比が美しいこの曲は、日野皓正が19歳という若さで作曲したものとか。

また、この曲を最初に録音したのが、日野皓正ではなく、アメリカの著名なジャズ・トランペット奏者ブルー・ミッチェルであったというから驚きです。日野皓正の代表曲を聴いたブルー・ミッチェルは、感動のあまり日野皓正直々に楽譜をもらい受け、自身のレコードに収録しました。さすがは、日本を代表する偉大なトランペット奏者と納得させられるエピソードです。

日野皓正のディスコグラフィーも、また注目に値すべき内容です。1969年に録音され、ロックやエレクトリックサウンドを取り入れた「Hi-Nology」は、いわゆる「ヒノテルブーム」のきっかけとなった作品。次いで1975年に録音されたライブ作品「Wheel Stone」は、日野皓正のディスコグラフィーの中でも歴史的名盤と言われるレコードです。特に、アドリブ部分が普段以上にエネルギッシュで、「アメリカへ移住する前に日本で完全燃焼してやる」という日野皓正の熱意がみなぎっています。

日野皓正の息子や娘もジャズミュージシャンとして活躍!長年の「粘膜奏法」から脱却するまで

日野皓正の父はタップダンサーだった!!息子や娘もジャズミュージシャンとして活躍

日野皓正は、父親の日野敏がタップダンサー兼トランペット奏者だった影響で、9歳のころからトランペットを始めました。そして、2歳下の弟・日野元彦と共に、「日野ブラザーズ」として米軍キャンプのステージに立つようになります。父の指導は、時には革ベルトで体罰を与え、登校前と下校後それぞれ30分間のレッスンというノルマが課されるなど厳しいものでしたが、「日野ブラザーズ」は着実に名を挙げていきました。

そんな日野皓正には、プライベートで3度の結婚歴があり、息子を2人、娘を1人もうけています。日野皓正の長男である日野雅信は、ベース奏者として活躍していましたが、現在は、ギターやベースなどの楽器制作の仕事に従事。日野皓正のもう1人の息子・日野賢二は、「日野”JINO”賢二」の芸名で活躍するベース奏者かつ作曲家、編曲家、音楽プロデューサーです。ジャズ以外の音楽も得意としており、アメリカの人気R&Bグループ「Boys Ⅱ Men」や西野カナとも仕事をしています。

娘・日野良美は、1999年に旅券法違反の疑い、さらに2009年に覚せい剤取締法違反で逮捕されています。日野皓正は父親として、「大人だから自分で責任を取ってもらう」と言いながらも、落胆の色を隠せませんでした。

日野皓正の粘膜奏法は重症だった!努力と新しいマウスピースで長年の癖から脱却

トランペットには「粘膜奏法」と呼ばれる、あまり推奨されない奏法があります。粘膜奏法の定義は個人によって見解がやや異なりますが、一般的に、「唇の内側の粘膜をめくってマウスピースに当て、粘膜を振動させて音を奏でる」というものです。粘膜は柔らかいため振動させやすい利点がありますが、反面、傷つきやすくもあり、出せる音階に限界が生じるほか、音が弱々しくなるなど問題が多くあります。そのため、日本では間違った奏法と言われていますが、一度その癖がついてしまうと矯正するのが大変困難だとか。

実は、日野皓正もまた、粘膜奏法を続けていた1人でした。しかし、活動拠点をアメリカに移し、さまざまな技巧を持つトランペット奏者と接したことで、粘膜奏法から脱却するための技を身につけたと言われています。加えて、スーパーチョップス奏法で有名なジェローム・カレにマウスピースを新たに作ってもらったことで、長年の癖であった粘膜奏法から脱却しました。

日野皓正が中学生にステージ上でビンタ!?賛否両論が渦巻く世間と日野皓正の持論!

世界のジャズ界でも認められたトランペット奏者・日野皓正の指導の仕方について、世間で議論が飛び交っています。東京都世田谷区教育委員会主催の音楽体験学習に協力している日野皓正が、中学生約40人と4カ月間の練習の成果を発表するジャズコンサートで、騒動は起こりました。

自分のソロ・パートが終わっても演奏を続けたため、中学生の手からドラムスティックを取り上げた日野皓正。しかし、中学生は素手でドラムを叩き続け、演奏を止めませんでした。すると、日野皓正は、その中学生の頬を往復ビンタする仕草を見せました。この様子が収められた動画が公開され、「指導としてはやり過ぎでは」と物議を醸し出しました。

2017年9月1日、羽田空港にて取材に応じた日野皓正は、「行き過ぎた所ところは分かる。それは謝る」と一部の非は認めたものの、「でも必要な時もある」と持論を展開。日野皓正と渦中の中学生は、今回の体験学習以前から親交があり、師弟のような親子のような間柄。

父子のような間柄であるが故、子供が間違いを犯し、周りに迷惑をかけてしまった時は、手をあげることも必要との思いだったのでしょう。ジャズ界で世界レベルに上り詰めた、日野皓正の音楽人生の歩みは決して平たんなものでは無かったはず。体罰も往々にしてあったでしょう。しかし、体罰にデリケートになっている現代では、日野皓正の指導が世間の理解を得ることは難しいようです。

体罰騒動で、自身のディスコグラフィー以上にワイドショーを賑わせている日野皓正。トランペット奏者としては、2004年に紫綬褒章を受章しています。また、チャリティ活動も熱心に行う傍ら、2013年には自身のレーベルを創設するなど、さらに精力的に音楽活動を続けています。御年74歳となった日野皓正には、今後も一層熱く、そのジャズを世界に響かせて欲しいものです。

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