井口資仁が千葉ロッテで現役引退へ!生涯年俸は約35億円?次期監督就任にも意欲的

2017年11月1日 更新

井口資仁が千葉ロッテで現役引退へ!生涯年俸は約35億円?

井口資仁が引退試合で最後の花道へ!若手選手たちへバトンタッチ!

千葉ロッテの井口資仁(いぐちただひと)は、現役最年長の野手として存在感を放っていましたが、シーズン途中の2017年6月に現役引退を発表しました。千葉ロッテでは主に3番に座り、精神的な支柱としてチームを日本一にも導いた井口資仁。最近は代打の切り札的な存在でしたが、ここぞという場面での一打はさすがとしか言いようがありません。

しかし、走攻守フルの活躍がかなわなくなってきたのも事実です。若手選手たちの台頭でチームの戦力も充実してきており、バトンタッチの意味で晴れて引退の結論に至ったのではないでしょうか。そんな井口資仁が、伊東勤現監督の後任有力候補として早くも話題に上っています。

これまでは、コーチや二軍監督、ヘッドコーチなどで経験を積んでから一軍監督に就任するというプロセスが慣例でした。しかし、最近では、引退していきなり監督という事例も増えてきています。監督はチームの顔としての側面も求められるので、スタープレーヤーだった井口資仁が新しく指揮官となるのはむしろ必然的な流れなのでしょう。

監督の若返りを図ると、フレッシュなチーム作りというアピール材料にもなります。引退試合で花道を飾ってから、本格的に監督就任の交渉がスタートしそうです。

井口資仁の生涯年俸は約35億円?盗塁王2回の成績で日本一にも貢献!

井口資仁は日本球界で、通算17年で、1914試合出場で、6507打数1758安打250本塁打1010打点176盗塁、打率2割7分を記録。メジャーリーグでの通算成績は、通算4年間で493試合出場し、1841打数494安打44本塁打205打点48盗塁、打率2割6分8厘でした。

生涯年俸は、メジャー時代も合算すると約35億円近くを稼ぎ出した計算になります。プロとしてのキャリアのスタートは、福岡ダイエー(現ソフトバンク)でした。デビュー戦で満塁本塁打を放つというこれ以上ないスタートを切りながら、一時は低打率にあえぐなど、プロの壁に苦しんだ井口資仁ですが、持ち前の勝負強さを発揮して主力打者として活躍し、チーム日本一にも貢献。その後、ショートからセカンドにポジションをコンバートされてからは、打撃に確実性が増し、成績も上昇していきました。

盗塁王タイトルも2度獲得しています。特に、44盗塁をマークした2001年には、30本塁打に加え、史上3人目となった40盗塁も達成し、年俸1億円を勝ち取りました。42盗塁を記録した2003年は、打率3割4分、打点109と、2部門の成績はキャリアハイ。2度目の日本一にも大きく貢献し、年俸も2億4000万円へと上がっていきます。

その後、ホワイトソックスを皮切りにフィリーズやパドレスで4年間プレーし、メジャーリーグでは世界一も経験。複数のメジャーチームからのオファーを断り、千葉ロッテに年俸1億8000万円で入団し、日米通算2000本安打を達成するなど、主力打者として活躍してきました。2010年には、103打点に加えて、リーグ最多の44二塁打、112四死球の成績で、チーム日本一奪回に貢献しています。

井口資仁のメジャー時代は長打力に定評あり!青山学院大学時代アトランタオリンピック日本代表だった!

井口資仁のメジャー時代は長打力に定評あり!守備能力もメジャーで通用するレベル!

井口資仁が海を渡り、メジャーリーグに挑戦した4年間の打順は、日本時代とは異なり、つなぎ役を要求される2番での起用が多くなりました。それでも、ホワイトソックス時代はホームラン20本近くを打ち、何かと制約の多い2番打者としてのハンディを見事にはねのけています。

チームでは「2番から打順が変われば、25本塁打は打てる」と言われ、他チームからも「6番を打たせれば、30本塁打も打てる力の持ち主だ」と、その長打力には定評がありました。守備範囲は決して広くないものの、深めのポジションを多くとり、メジャーでも強肩二塁手の部類に入ると言われた井口資仁は、「最も守備に定評がある内野手」2位に選出されるほど。

ホワイトソックスのホーム球場で打席に入る時やファインプレーを演じた際には、観客から「グー!グゥー!」という奇妙な唸り声が一斉に発せられたものです。これは「ブーイング」ではなく「グーイング」と呼ばれる井口資仁へのオリジナル応援。現地では「イグチ」は「グ」にアクセントを置く独特な発音で呼ばれることが多いため、これが「グーイング」の由来と言われています。

井口資仁は青山学院大学時代アトランタオリンピック日本代表だった!妻や子供は?

井口資仁は、1974年12月4日生まれで、東京都田無市(現・西東京市)出身。身長178cmで、体重91kg、右投げ右打ちです。小学校4年の時に野球を始め、中学校までのポジションは捕手でした。国学院久我山高等学校進学後、遊撃手に転向。2年夏には甲子園出場を果たしています。青山学院大学では東都大学通算24本塁打を残し、4年時には、アトランタオリンピックで野球日本代表に選出され、銀メダル獲得に貢献。同年ドラフト1位で福岡ダイエー入りし、ルーキー初のデビュー戦満塁本塁打という快挙を達成しました。

盗塁王タイトルを2度獲得しているほか、ベストナインとゴールデングラブ賞表彰がそれぞれ3度。2004年オフにメジャーリーグ挑戦を表明し、ホワイトソックス入りした2005年には、2番・二塁としてワールドシリーズ制覇に貢献し、日本人選手2人目のチャンピオンリングを獲得しています。2008年フィリーズ在籍時も、ワールドシリーズ出場こそなかったものの世界一に。

2009年からは日本球界に復帰して千葉ロッテでプレーし、2010年には中心打者として日本一に貢献し、2013年7月には日米通算2000本安打を達成しました。そんな井口資仁の家族構成は、妻と娘の3人家族と伝えられています。妻は姉さん女房で、男前な性格だとか。「スポーツ選手には姉さん女房がいい」とはよく言われることですが、井口資仁にも見事に当てはまるようです。娘の琳王(りお)さんは、井口資仁がメジャーに在籍している間に英語が堪能になったそうです。

井口資仁が引退試合で劇的同点2ラン!「そういう時期が来ればやりたい」と千葉ロッテ次期監督就任に意欲的

2017年シーズンで現役引退する井口資仁がトークショーに登場し、詰めかけた多くのファンを前にして、千葉ロッテ次期監督就任に意欲を示しました。今シーズンをもって身を退く伊東勤監督の後任が有力視される井口資仁。ファンもどうしても気になるようで、質問が飛ぶと、「自分自身そういう夢(監督就任)を持っているので、いずれそういう時期が来ればやりたいと思う」と意欲満々に語っています。

花道となる引退試合では、「6番・指名打者」で先発に名を連ね、9回には劇的な同点2ランを放つ千両役者ぶりを見せたのはさすがです。始球式は愛娘が見事に務め上げ、チーム全員が井口資仁の背番号「6」の特別ユニホームを着用するなど、試合は井口資仁の送別ムード一色。試合後の引退スピーチでは、「本当に最高の野球人生だった」と21年間の現役生活に思いを馳せました。

そうした中、千葉ロッテ球団は、新監督の候補を井口資仁で一本化したというニュースも伝わってきています。複数候補をリストアップして検討を重ねた末、最終的に井口資仁にチーム再建を託すことになった模様です。球団上層部が希望したという、勝てて人気がある人材を新監督にという条件においては、日米で優勝経験を持ち、人気と実績も申し分なし。

球団内には、コーチ経験を積んでいないことを懸念する意見も出た様子ですが、最終的には井口資仁の実績評価が、新監督就任要請への後押しとなりました。今シーズン最下位となった千葉ロッテですが、若手が育ってきています。監督になったら、「足を使った野球をしたい」という具体的な構想も語っている井口資仁。本人の意欲も十分なことから、新監督就任は時間の問題でしょう。

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