インディアンスは次来るお笑い芸人?木村亮介・田渕章裕のプロフィール!

インディアンスは次来るお笑い芸人?木村亮介・田渕章裕のプロフィール!

2022年5月16日 更新

インディアンスは次来るお笑い芸人?木村亮介・田渕章裕のプロフィール!

インディアンスが次に来るお笑い芸人と注目!キャッチコピーは「よしもとで一番元気な若手」!

インディアンスは、元気すぎるお笑い芸人として注目されているよしもと所属のお笑いコンビ。2016年4月から活動拠点を東京に移したこともあり、「次に出て来る新しい世代のお笑い芸人か?」と注目され、大きな声と明るさが売り物で、人気が上昇しつつあります。

インディアンスの木村亮介と田渕章裕は、共によしもと養成所・大阪NSC31期生。いったんコンビ解散しながら、2010年に再結成したという経歴を持っています。「よしもとで一番元気な若手」をキャッチコピーとして、よしもと漫才劇場を中心に、大阪で活動を開始したインディアンス。2015年1月放送の「新春大売出し!さんまのまんま」では、今田耕司が推薦する芸人紹介コーナーに登場し、その芸風から、「うざい、うるさい、お正月らしいめでたいコンビ」と紹介されています。

2015年は「平成27年度NHK新人お笑い大賞」や「第45回NHK上方漫才コンテスト」へ出場するなど、実績を積み上げてきました。4月に進出した東京には、元気が売りの漫才コンビがいないことも幸いしました。元気さを買われた形となっているインディアンスは、無事に東京進出を果たした今、テレビなどでの露出機会が増えてくることでしょう。

インディアンスのプロフィール!木村亮介はマラソン完走歴あり&田渕章裕はウザすぎるキャラが持ち味!

インディアンスのメンバーのプロフィールをご紹介。まずは、ツッコミ担当の木村亮介(きむらりょうすけ)のプロフィールですが、大阪府箕面市出身で、1987年12月24日生まれの28歳。立ち位置は、客席から向かって右です。ニックネームは「きむちゃん」「きむ」で、トレードマークは、八重歯と眼鏡。手先は不器用なのに、運動神経がよいことが売り、スポーツ関係のロケで活躍を見せます。

淀川寛平マラソン2016にも出場歴がある木村亮介は、タイム4時間55分で見事に完走しています。プロレスが趣味というのは分かる気がしますが、ミステリー小説コレクションとはなんとも意外です。そして、ボケ担当の田渕章裕(たぶちあきひろ)のプロフィールはというと、兵庫県たつの市出身で、1985年6月2日生まれの31歳。実家はそうめん屋を営んでいます。立ち位置は客席から向かって左です。

ニックネームは「たぶっちゃん」で、ウザすぎるほどのハイテンションキャラが持ち味の田淵章裕。黒のスーツに白いカッターシャツに身を包み、ヒマワリの形をしたバッジをつけているのが目印です。器用な手先で、工作や絵画が得意だという田淵章裕は、相方の木村亮介とは正反対に、芸術・創作関連のロケで活躍しています。特技である、変顔と上下の唇をひっくり返すことがネタに活かされる日はくるのでしょうか。

インディアンス・田渕章裕の胸のひまわりは何?コンビ結成のきっかけは?

インディアンス・田渕章裕の胸のひまわりは母親の手作りの品!ブラマヨ・吉田敬が「お偉いさん」とお辞儀?

インディアンス・田渕章裕は、「西のザキヤマ(アンタッチャブル山崎弘也)」と呼ばれるほど、ウザいキャラに定評がありますが、もう1つ有名なのが、胸のひまわりのバッジです。見る人に鮮烈な印象を与える胸のひまわり、これは一体何なのでしょうか?本人曰く「僕のトレードマーク」。胸に付けているひまわりは、上京する前に、田淵章裕の母親が手作りしてくれた思い出の品で、「明るくて好きな花」とのことで、ステージに立つ際には必ず付けているのです。

しかし、田淵章裕が胸に付けたひまわりを見て、「お偉いさんか?」と思ったのがブラックマヨネーズ・吉田敬でした。それは、今や超売れっ子となったブラックマヨネーズが、地元関西で、毎日放送主催の「第10回 MBS漫才アワード」のメイン司会を務めたときのこと。そこには、黒いスーツを着こなし、左胸にひまわりの花を付けていた男がいました。「貫録のある風貌に、豪華な花を付けたスーツ……これは主催の毎日放送のお偉いさんに違いない」と思ったブラマヨ吉田敬は、この日、最も丁寧なお辞儀をしたとか。

この人物が、出場者の1人に過ぎなかったことに気がついたのは、インディアンスがネタを披露し始めた瞬間でした。そんな勘違いも、考えてみれば当然のことで、活動拠点が東京中心に変わったブラックマヨネーズには、関西の劇場中心に活動するよしもとの若手芸人の顔は分かりません。それにしても、田渕章裕の風貌と胸のひまわりが「お偉いさん」と誤解させるほどの貫録を醸し出していたとは、将来有望ともいえそうですね。

インディアンスコンビ結成のきっかけは?一度に4人から誘われた田渕章裕!

インディアンスがコンビ結成のきっかけは、大阪NSC時代に相方を探していた木村亮介が、田渕章裕に「コンビ組もうや」と声をかけたようです。とはいうものの、クラスが別々だったこともあって、実はお互いによくは知らなかった間柄だった2人。しかも、田渕章裕は、他にも3人から同じ誘いを掛けられていたそうです。モテモテだった(?)田渕章裕が、木村亮介を相方に選んだ理由は、「他の3人が変な奴だと知っていたので、よく知らなかった木村を選んだ」。

しかし、「一番変なのが木村だった」と、しっかりオチをつけています。一度に4人からコンビの誘いがあったということは、その時点で、すでに田渕章裕のキャラが立っていたのでしょうか。そして、コンビ結成したものの、いったんは解散したインディアンス。ここまでもよくありがちな話ですが、同じコンビ同士で再結成というのは結構珍しいのではないでしょうか。なんだかんだ言っても、田渕章裕と木村亮介は、やはり波長が合っていたのかも知れません。

インディアンスが東京進出後も「フラットに見てもらえた」と安堵感!9月9日には東京初単独ライブ開催!

インディアンスは、キャッチコピー「よしもとで一番元気な若手」をかかげ、4月から東京に活動拠点を移しました。結成7年目にして東京進出を果たしたインディアンスは、うるさいくらい元気で勢いあふれる漫才を前面に押し出し、着々と実績を積み重ねています。「若手といわれている間に、東京に行こうと思っていた」(木村亮介)、「メディアが直結するのが東京」(田渕章裕)と、お互いに濃淡はあるものの、東京行きを目標としていたようです。

実際に東京行きが決まってからの意気込みは、「キャッチコピーにふさわしく、東京でも元気を振りまいて、見ている方を楽しくさせたい」(木村亮介)に対して、「日本一の都会で人の数も多いから、多少のストレスはあるかな。あ、意気込みと人ゴミ間違った!」(田渕章裕)。東京の舞台に出ての感想には、「コテコテと思われるかと思っていたけど、フラットに見てもらえた」と、予想以上にスムーズに受け入れてもらえた手応えに、安堵感がにじみ出ていました。

インディアンスの漫才には、かねてから定評があり、大御所たちのエッセンスが随所に感じられると評判でした。東京での順調な進出ぶりを見ると、これまでの芸風を変える必要もなさそうですね。9月9日には、ルミネtheよしもとで、インディアンス東京初となる単独ライブ「東京ラヴァー~え!?この間の単独のタイトル大阪ラヴァーやったのに!?~」が開催予定。今後も、インディアンス旋風が、東京を席巻しそうです。

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