石井一久 ヤクルト、大リーグ時代の成績は?年俸・勝利数推移は?
石井一久 結構スゴイ!ヤクルト、大リーグ時代の成績は?
元プロ野球投手の石井一久。ヤクルト、西武やメジャーリーグ・ドジャース、メッツで中心投手として活躍し、現在は野球解説者のほかに、吉本興業の契約社員としても活動しています。
現役時代は豪速球を主体に、制球難ながらも三振を次々に奪う粗削りさが持ち味だった石井一久ですが、その成績はどのような内容だったのでしょうか?その数字は、日米通算で22年プレーして524試合登板で182勝137敗と堂々たるものです。主にプレーしたのはヤクルト時代ですが、メジャーリーグでの3シーズンを間に挟み、計12シーズンでの成績は、300試合登板し、1527と2/3回を投げて、98勝63敗セーブ。奪三振数と与四球それぞれ、1610個と720個を記録しています。
なんといっても特筆すべき快挙は、チーム日本一の1997年に達成したノーヒットノーランですが、石井一久の持ち味がいかんなく発揮されたのは、14勝をマークした1998年のシーズンでしょう。自己最多となる241奪三振で最多奪三振を獲得し、三振奪取率11.047と20暴投は、いずれもシーズン日本記録として残っています。
変わっては、2002年から4シーズン在籍したメジャーリーグでの成績は、105試合登板、564回を投げて39勝34敗、435奪三振を記録しています。2002年のドジャースでは14勝をマークしながらも与四球は106個を記録。チームメイトだった野茂英雄も103与四球を記録し、2人でメジャー1・2位を独占しています。
2008年から6シーズン在籍した埼玉西武では、119試合登板して45勝40敗、505奪三振を記録し、2012年には、自身初の無四球完封勝利もマークしました。2013年シーズン限りで「時期的にそろそろかな」と現役引退を表明した石井一久。200勝へのこだわりは一切ありませんでした。
石井一久 年俸推移は大幅な増減なし 勝利推移は毎年コンスタントに2桁前後
石井一久の現役人生の推定年俸の推移はいかほどでしょう?ルーキー時には700万円でスタートし、1994年のシーズンに1200万円、1999年には1億円を突破しています。メジャーリーグ入り前は2億円に届かず、2001年の1億5000万円まで2000~3000万円微増もしくは減で推移。
メジャーリーグ在籍時は2億5000万~3億5000万円に上がり、日本球界復帰後は2億4000万~1億9000万円で推移していることから、大幅な増減はなかったようです。また、石井一久の勝利数の推移は、一軍に定着した1995年あたりからはコンスタントに2桁前後の勝利を挙げています。
日米通算で2桁勝利を10回挙げており、勝率も悪くありません。2桁勝てば同数負けるといったことはまれなところから、石井一久は勝ちを計算できる投手といえます。ただ、爆発的に勝ち星を稼ぐというタイプではなく、15勝以上勝利数を稼いだことが1回もありません。そういった事情もあってか、石井一久は最多勝利のタイトルを手中にすることはついにありませんでした。
石井一久 吉本事務所入りの真相!天然性格エピソード集!
石井一久 「スポーツ選手のマネージメント」が志望動機も吉本事務所入りの真相は?
石井一久は、現役引退の記者会見時に、吉本興業事務所入りを表明しています。もともと、吉本興業に芸能活動のマネジメントを委託していたつながりもプラスになったか、同社へスポーツ推薦で、高卒採用枠による入社となりました。給料も一般の高卒社員と同等とのことです。
石井一久の吉本入りの志望動機は「現役スポーツ選手のマネージメント並びに引退後のスポーツ選手のマネージメントでスポーツ界に貢献する」というものですが、「真相」は、現役引退会見での「野球選手はけっこう甘やかされるので、叱ってくれる人がいたほうがいいし、会社の仕組みを知りたいし、言葉遣いもしっかりしたいし」というコメントにあるようです。
普段は「天然」というイメージで語られる石井一久ですが、この会見時は、いつもとは一味違う人間的にしっかりした部分をのぞかせましたし、「学んで悪いことはないじゃないですか」という言葉には力強ささえ感じられました。
そして、2014年4月の入社式では「西武ライオンズ出身の石井一久です。靴のフェラガモにスーツがストライプなのは昔の名残なのでお許しください」とつかみで笑いを取ったあと、「消費税が上がっていきますが、消費税同様スキルアップしていきたい」と時事ネタをしっかり織り込んだスピーチで周囲を爆笑させています。席上で目をうつらうつらさせるところも含め、アピールは怠りなしといった雰囲気でした。
石井一久 天然な性格エピソード 爆笑必至のゆる~いつぶやき
天然な性格と、つかみどころのない独特のゆる~いコメントで、周囲を爆笑の渦に巻き込む石井一久。現役時代からその天然な性格ぶりのエピソードがあふれています。ドジャースでプレーしていた2002年に頭蓋骨の亀裂骨折という重傷を負いながら、本人は「サッカーできるかな?」。
ヒーローインタビューで「今日はいい天気ですね。ゴールデンウィークの中日ですが、家に帰るまで気を引き締めて帰ってください」とファンにコメント、現役引退会見の席上で「(明日は)iPhoneの電波の調子が悪いので、電話会社に行こうと思う」と語るなど事欠きません。
ところで、石井一久のTwitterにも天然テイストのつぶやきが満載で、これがなかなか爆笑必至です。一部を引用してきましたので、まずはご覧を。
「僕ごとですが、今日誕生日です。42才になりました。思い起こせば、まぁまぁの人生でした!できれば、希望は85才で最後はポックリ行きたいです(^_^)」、「みかん氷食べようと思いましたが、大盛りでこぼれそうで どこから食べていいのか分からないので食べんのやめます!」、「タン弁当。残り、1枚のタンが食べきれず残した。老いを感じた、ヤクルト VS 広島 の試合前でした(>_<)」、「(試合前の東京ドームの光景に)どうやら、野球をする感じがする。あくまでも、僕の予想ですけど。」、「今日、銀行で振り込みをした。野球では、押し出しや振り逃げはいっぱい経験したが振り込みは初めての経験だ!」などなど。石井一久のTwitterは、画像とセットで見ると、その面白さが倍増します。
石井一久 妻・木佐彩子が亡くなっても「運命」 それでも夫婦仲は良好「ド~ン! ってしてます」
昨年10月「ゆるキャラのすすめ。」を出版した石井一久。常にマイペースを貫いた生き方を記した著書ですが、その中で「僕は奥さんが死んでも、涙は出ないだろう」というくだりにショックを受けたのが、妻で元フジテレビアナウンサーの木佐彩子。日本テレビ系「踊る!さんま御殿!!」で夫婦そろって出演した際に、そのことを明らかにしました。
結婚発表から15年、どんなときでも夫の泣いた姿を見たことがない木佐彩子。「さすがに自分が死んだら泣くだろう」と確信していましたが、夫の著書を読んでびっくり唖然。当の石井一久いわく「昔、(ライナーの)ボールが当たってから、涙腺がなくなったのか泣けなくなっちゃったんですよ」。
これは、ドジャースでプレーしたときに、打球の直撃を受けて頭蓋骨亀裂骨折の重傷を負ったことを指しています。さらに「奥さんが死ぬのは、しょうがないじゃないですか。運命なんで」と割り切った言い方をしたもので、木佐彩子も笑いながらも「えっ!?」と反応。
MCの明石家さんまは「その気持ちはなんとなしにわかるけど」と肯定しつつ「文字には……。それ、女はショック受けるで!?」と諭しました。それでも、夫婦仲はいたって良好なようで、夫の魅力を「ド~ン!ってしてます。勝負師だけど。荒れたりしない。あと、ほのかな色気(笑)」と木佐彩子は語り、番組は最後までハッピーな雰囲気に包まれていました。
今後の石井一久ですが、「とにかく何があってもいいように。野球だけで生きていきたくない」とプロ野球の指導者にこだわらず、吉本興業入社の志望動機通り、スポーツ全般のマネージメントを目標としているようです。そのために「何があってもいいように、野球を外から見たり、会社に入ったり、いろんな可能性を持ちたいので。お話があったときには、しっかりそれに応えられるような土台、器を持っておきたい」と自らのスキルアップを口にしています。
現役を引退するプロ野球選手で、引退後に一社会人としてのスキルアップを明確に口にする例は珍しいです。ここまで明確な人生設計を立てていれば、期待してよいでしょう。しかし、天然めいた発言とつかみどころのない雰囲気から、石井一久はバラエティー番組でもまだまだ欠かせない存在ですね。