ジャニー喜多川の年収や資産がトンデモナイ!成功までの道、荒れる後継者問題

2016年1月13日 更新

ジャニー喜多川の年収や資産がトンデモナイ!成功までの道、荒れる後継者問題

ジャニー喜多川の年収や資産がトンデモナイ

ジャニーズ事務所は、年間で700億円を超える売り上げをあげるといわれています。その社長である、ジャニー喜多川の年収はもちろん、トンデモナイ額です。2012年の長者番付では、ジャニー喜多川の年収は8億9000万円。ちなみに、ジャニーズ事務所の女帝と言われるジャニー喜多川の実姉で、副社長のメリー藤島も、年収は8億円超。姉弟ですごい年収になっています。もちろん、ジャニー喜多川の資産だって半端ではありません。

ジャニー喜多川が堂本剛に譲ったとされるタワーマンションの最上階は、新築時に購入した物件で、時価およそ7億円。所有する不動産もこれだけはないでしょうから、ジャニー喜多川の資産がどれくらいかを想像することすら難しい気もします。毎年億単位で稼いでいるジャニー喜多川にとっては、そのくらいはたいした買い物ではないのでしょう。

ジャニー喜多川の成功までの道と荒れる後継者問題!藤島ジュリー景子か飯島三智?!

ジャニー喜多川は、年収も資産もトンデモナイ額なのですが、もう御年84歳。自らがコーチを務めていた野球チームのメンバーから、アイドルグループ「ジャニーズ」を結成。1962年にジャニーズ事務所をたちあげてから、およそ半世紀。姉のメリー藤島とともに、ここまで大きな事務所に育てあげてきました。成功をつかみ大手芸能事務所となった今、ジャニー喜多川には後継者問題がもちあがっています。

副社長のメリー藤島の実娘・藤島ジュリー景子、SMAP等を育てあげた飯島三智、この二人が後継者の有力候補と言われ、所属タレントはこの二大派閥に分かれて火花を散らしているとか。どちらが社長になるかで、自身が優遇されるかどうかが変わるとしたら、所属タレントも気が気ではないでしょう。

ジャニー喜多川の一番のお気に入りは北公次、松本潤、郷ひろみ、堂本剛?

ジャニー喜多川が一代で築いたジャニーズ帝国とお気に入りアイドルの存在

ジャニーズ系という言葉が生まれるほど、日本の男性アイドル界をけん引してきたジャニーズ事務所。そのジャニーズ帝国を一代で築いたのが、事務所の社長であるジャニー喜多川です。
その実績は「最も多くのナンバーワンシングルをプロデュースした人物」「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」としてギネスブックにのるほど。ジャニー喜多川の持つ、売れるアイドルを見出す眼力に狂いはありません。木村拓哉、岡田准一、山下智久……と、多くのアイドルタレントを育ててきた中でも、ジャニー喜多川には、特に肩入れする「お気に入り」な存在が。北公次、嵐の松本潤、郷ひろみ、KinKi Kidsの堂本剛が、歴代のジャニー喜多川のお気に入りと言われています。

ジャニー喜多川のお気に入りの傾向とは?北公次、松本潤、郷ひろみ、堂本剛の共通点

ジャニー喜多川の一番のお気に入りとして有名なのが、KinKi Kidsの堂本剛です。そのお気に入りの度合いは、ジャニー喜多川が、渋谷区にもっている高級マンションの一室を、堂本剛に譲っていたという報道もあったほど。ファンの間では、堂本剛はジャニー喜多川の「スペシャルお気に入り」、「スぺオキ」としてすでに有名。

そして、ジャニー喜多川のお気に入りにはある傾向が。堂本剛以外にも歴代のお気に入りといわれている北公次、松本潤、郷ひろみには共通点が見られるのです。それは……顔立ちを見ると一目瞭然。太め目の凛々しい眉、強い目力、濃いめの顔立ち、この三つが、ジャニー喜多川のスペオキの重要なポイント。そして、性格としては、やんちゃで天真爛漫な子を気に入る傾向があります。

ジャニー喜多川の波乱万丈な半生と、これからのジャニーズ事務所とは?

ジャニー喜多川といえば、「YOU、~しちゃいなよ」とフランクに話しかける逸話が有名です。SMAPや嵐、キンキキッズといった所属タレントが披露するこのエピソードは笑いを誘います。これには、ジャニー喜多川が名前を覚えるのが苦手だという説と、たとえ若手でも、名前を間違えられるのはショックだろうと考え、あえて所属タレントを皆平等に「YOU」と呼んでいるという説があります。そして、ジャニー喜多川が英語に堪能だという大前提があることを忘れてはいけません。

なんと、ジャニー喜多川の出身はアメリカのロサンゼルス。1931年に高野山米国別院の僧侶であった父・喜多川諦道の次男として生まれました。戦時中は、日本の那智勝浦に疎開して過ごしますが、戦後は再びアメリカ・ロサンゼルスにわたり、高校、大学と進学。そのアメリカ時代に本場のショービジネスにふれ、今につながるセンスを身につけます。

そして、美空ひばりがロサンゼルス公演を行った際に、父の勤務先・真宗大谷派東本願寺ロサンゼルス別院が会場になったことから、ジャニー喜多川は、日本の芸能界とつながりを得ることに。その後、来日したジャニー喜多川は、アメリカ大使館軍事顧問団への勤務をへて、近所の野球チームから初めてのグループ「ジャニーズ」を芸能界へ送りだすことになります。

もしも、ジャニー喜多川が日本で生まれ育っていたなら、この類まれなるショービジネスに対するセンスを身につけることはできなかったかもしれません。日本とアメリカの両国にわたり波乱万丈な半生を送ったことが、ジャニー喜多川が成功をつかんだ隠れた理由なのでしょう。

姉のメリー藤島と、二人三脚で築きあげてきたジャニーズ帝国ですが、後続に道を譲る時期が近づいているのは間違いありません。ジャニー喜多川が84歳、姉であるメリー藤島も年齢は公表されていないですが、80代。二人とも非常に元気で仕事も続けているとはいえ高齢ですから、もしもの時のために周囲としてはそろそろ後継者を決めてもらいたはず。

ジャニーズ事務所は、ジャニー喜多川が60%、メリー藤島が10%、藤島ジュリー景子が10%ずつ株を所有しています。順当に考えて、藤島ジュリー景子が後継者となるのが普通でしょうが、結局は社長であるジャニー喜多川の意思次第ということになるのでしょう。しかし、姉弟の間でもし確執でも生じるようなことがあれば、藤島ジュリー景子の社長の座は危うくなります。
今後もジャニーズ事務所の繁栄を続けていくためには、後継者問題で事務所が分裂といったお家騒動は避けたいものです。

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