池田純は経営再建の請負人!横浜DeNAベイスターズを赤字から黒字に転換させた手腕とは?

池田純は横浜DeNAベイスターズ初代代表取締役社長!プロフィールや経歴を調査!


池田純のプロフィール
◆生年月日:1976年1月23日
◆出身:北海道
◆埼玉ブロンコスオーナー兼取締役
◆一般社団法人さいたまスポーツコミッション会長

池田純は横浜DeNAベイスターズ初代代表取締役社長として活躍!

池田純(いけだじゅん)はプロ野球球団横浜DeNAベイスターズの初代代表取締役社長で、2011年から2016年までの間に驚異的な経営再建を成し遂げたことで知られる実業家です。2011年12月、DeNAが横浜ベイスターズをTBS(東京放送ホールディングス)から買収したタイミングで、同球団の社長に就任しました。

少年時代を横浜市で過ごした池田純は、横浜DeNAベイスターズの前身大洋ホエールズ時代からのファンでした。DeNAのプロ野球参入が決定する1カ月半ほど前、プロジェクトが動き出した頃から社長就任を志願していたと言います。就任時、池田純は35歳。12球団中で最年少の球団社長でした。慣習にとらわれずに数多くの改革を実現させ、横浜DeNAベイスターズを盛り上げていきました。

池田純のプロフィールや経歴を紹介!

池田純は1976年1月23日生まれで、北海道出身。小学3年生の時に神奈川県横浜市に引っ越してきました。早稲田大学を卒業して、住友商事、博報堂と大企業での勤務を経験し、2007年にDeNAに入社。2009年4月に執行役員マーケティングコミュニケーション室長に就任し、2010年にはNTTドコモとDeNAとの合弁会社であるエブリスタの代表取締役社長に就任しました。

横浜DeNAベイスターズ代表取締役社長を2016年まで勤め上げた後、2016年12月には日本プロサッカーリーグの特任理事に就任。2017年4月には日本ラグビーフットボール協会特任理事に就任するなど、日本のスポーツビジネス界においてのキーマンです。株式会社文藝春秋とともにNumber Sports Business Collegeというスポーツビジネスの学びのサロンを立ち上げ、自身の経験を伝える活動もしています。

青山光司の会社経営手腕がスゴい!セレブ社長の学歴は?観月ありさとの結婚生活は順調?

池田純がDeNAの黒字化に成功した秘訣は?自腹で自宅にブルペンまで作っていた!

池田純がDeNAの黒字化に成功した秘訣は?

池田純が横浜DeNAベイスターズ社長に就任した当初は、球場の稼働率が50%を切り、年間20億円を超える赤字を抱えていました。しかし、約5年間でスタジアムの稼働率を90%以上に上げ、黒字転換を達成したのです。

社長就任後、池田純はまず横浜市全体に「ベイスターズがおもしろい」「ハマスタはイケてる」という空気を作ることに着手しました。野球に興味がない人にもかっこいい球団Tシャツやおいしいクラフトビールを提供するなどして興味を持たせ、球場に足を運びたくなるように仕掛けたのです。黒字化の秘訣は球場を野球ファンのものから、市民のエンターテイメントの場へと変えたことでしょう。

「球場を居酒屋化する」ことをモットーにさまざまな企画を実施して盛り上げた結果、球団の売上は52億円から110億円超えへと倍増して、赤字続きだった収支も黒字化。リーグ下位だったチームの空気は一変し、初のクライマックスシリーズ進出も果たしたのでした。

池田純は自腹で自宅にブルペンまで作っていた!

池田純は就任直後、選手や監督とどうやってコミュニケーションをとればいいのか模索していたようです。考えた末にキャッチボールの腕を上げて選手や監督と一緒に行うことで共通の言語が増え、本質的な理解につながると思い立ち、練習に励みました。しかし、素人がいくら練習してもなかなかプロ並みにはなれないもの。そんな時にテレビで元プロ野球選手の桑田真澄が自宅にブルペンを作っていたという番組を見て「これだ」と思いつきました。

早速自宅に10万円かけてブルペンを作り、投球練習を続けました。その結果、当時の監督であった中畑清から「社長もキャッチボールが上手くなりましたね」と言われます。こういった地道な努力で選手らの信頼を得たようです。経営者だからと数字だけ追うのではなく、スポーツそのものを知り、関わる人の心理に寄り添った池田純。球団の成績や売り上げが飛躍的に上昇した鍵は、戦略だけでなく池田純の人柄にもあったのではないでしょうか。

伊藤裕季也は1996年世代の大砲!?本塁打率がすごい!私物プレゼントに大注目!

池田純の現在はさいたまブロンコスのオーナー兼取締役!別のチームを買収しようとしていた?

池田純の現在はさいたまブロンコスのオーナー兼取締役!

2020年3月に池田純が男子バスケットB3リーグに所属する、さいたまブロンコス(当時の表記は埼玉ブロンコス)のオーナー兼取締役に就任することが発表されました。

2019年3月からさいたま市の清水勇人市長に要請されて、一般社団法人さいたまスポーツコミッション会長に就任していた池田純。さいたまブロンコスの株主の1人からチームの再建について声をかけられた時、心が躍ったそうです。池田純の出身高校はバスケ漫画「スラムダンク」の聖地、県立鎌倉高校。卒業後も同校の体育館で夜間にバスケを楽しんでいた記憶が甦り、縁を感じたと述べてます。

新型コロナウイルスの影響で厳しい状況にあるスポーツ業界。さらに横浜DeNAベイスターズ時代とは違って個人での出資のため、リスクのある決断です。再生請負人の名を持つ池田純にとって、血が騒ぐ大勝負となることでしょう。

池田純は別のチームを買収しようとしたことがあった?

さいたまブロンコスの個人オーナーとなった池田純ですが、過去には別のバスケチームのオーナーになろうと試みたことがありました。2017年にBリーグに所属する川崎ブレイブサンダースを買収しようとしていたのです。当時の親会社の東芝から友好的買収を試みていましたが、個人での出資ということからどうしても折り合いがつかない条件があり、断念。皮肉にも東芝から川崎ブレイブサンダースを譲渡されたのは、DeNAでした。

DeNAはもともとは横浜のチームである横浜ビー・コルセアーズを狙っていて、同チームが2016年にBリーグに参入した頃から強い関心を示し、2017年には本格的に買収の話を持ち掛けていましたが、頓挫。そんな2017年8月に池田純が個人的に川崎ブレイブサンダースを買収しようとしているという報道が出て、横浜がだめなら川崎でと急遽東芝と交渉を行い、川崎ブレイブサンダースの買収に成功したのでした。

これには池田純も相当悔しかったようで自身のFacebookに「ちっくしょ~~~バスケ買収、本件の存在に気づかせてしまった」と投稿。悔しさをにじませながらエールを送っていました。それから3年の月日が経ち、遂に個人オーナーとなった池田純。さいたまブロンコスの再建がこれまでのうっ憤を晴らすチャンスなのかもしれません。

岡田侑大がBリーグ新人賞を獲得!大学中退でプロバスケ選手に!大量得点の秘密に迫る
田中大貴は将来有望なバスケ界のプリンス!広瀬アリスもメロメロ!?
ROLAND(ローランド)は現代ホスト界の帝王!自信に満ちた名言集も話題に

関連記事

ページ上部へ戻る