香川京子の現在はゴミ屋敷の住民!?東大出身の息子や夫が気になる!

香川京子の現在はゴミ屋敷の住民!?東大出身の息子や夫が気になる!

香川京子の今も変わらぬ美しさが生んだ「ごみ屋敷の住人」というフェイクニュース

香川京子は、1931年生まれで85歳。最近でも、年に1本は映画やテレビに出演しているベテラン女優です。子育てが落ち着いてから女優に復帰すると、現代に至るまで、コンスタントに活動を続けてきた香川京子。

多くのベテラン女優が亡くなってしまった21世紀に入ってからも、香川京子の容姿は衰えることがありません。香川京子を知らない若い世代からも、「あのきれいな老婦人役の女優は誰」と注目を浴びていたのでしょう。2014年、深田恭子主演のドラマ「サイレント・プア」で、ゴミ屋敷の住人を演じた香川京子。

その後、香川京子自身がゴミ屋敷の主だったというフェイクニュースが広がったのも、いまだ衰えることのない美しさとのギャップが原因だったに違いありません。

香川京子は戦後映画黄金期の人気美人女優だった

香川京子は、戦後ブームだった美人コンテストに合格し、1949年に新東宝からデビューしました。「若い時はさぞかしきれいだったろうなあ」と思う高齢の女優は数多くいますが、香川京子の美しさは、ずば抜けています。香川京子は、自社作品に俳優を縛る悪名高い五社協定より前にフリーとなったことから、東映「ひめゆりの塔」、松竹「東京物語」、大映「近松物語」、東宝「天国と地獄」など、名監督による各社の戦後映画の名作に数多く出演することができました。

また、東宝では、三船敏郎作品で、ヒロイン役を数多く務めてもいます。香川京子は、日本の映画全盛時代、ノーブルでありながら、知的かつ現代的な美貌で、もっとも人気があった女優といえるでしょう。人気の絶頂期の1963年に、新聞記者と結婚した香川京子は、夫の仕事の都合で、3年間をニューヨークで過ごし、映画の世界から離れたことも。子供は1男1女に恵まれ、息子は、東大出のエリートだという噂です。

香川京子のプロフィール!映画「ひめゆりの塔」を転機に名女優へ

香川京子は東京育ちでも戦争の悲惨さを知らなかった?!

香川京子は、多くの名監督の作品に出演し、女優としての実力を養っていきました。中でも、1953年の今井正監督作品「ひめゆりの塔」は、香川京子を一人前の女優に成長させ、かつ、代表作となった作品です。香川京子は、戦時中、まだ旧制女学校に入ったばかりで、東京から茨城県に疎開していたため、東京の大空襲を免れることができたようです。

戦後に東京の女学校に戻った香川京子は、復興と解放感に満ちた東京の街で育ち、女学校を卒業後は、美人コンテストを経て女優となりました。つまり香川京子は、同世代でありながら、沖縄の女学生であったひめゆり学徒隊の想像を絶する戦争体験など全く知らなかったことになります。

香川京子が同世代の女性として沖縄戦の悲惨さを日本中に知らしめた「ひめゆりの塔」

香川京子は、映画「ひめゆりの塔」の今井正監督から、役作りとして、ひめゆり学徒隊に志願した理由を作文に書かされました。また、香川京子自身も、実際にひめゆり学徒であった女性たちに会って、話を聞いたそうです。香川京子は、その後も長く、ひめゆり学徒だった女性たちと私的な交友を続けたといいます。

女優としてだけでなく、同世代の女性として、「この沖縄の悲劇を伝えなくてはならない」という強い使命感を持って撮影に臨んだ香川京子。こうして「ひめゆりの塔」という映画を通じて、今まで伝えられていなかった沖縄戦の悲劇が、広く日本に知られるようになりました。

香川京子はもはや戦後映画黄金期の数少ない語り部に

香川京子をはじめ、戦後に活躍した女優たちの作品が上映されるイベントが、2016年末から2017年1月末まで開催されています。それが、溝口健二さん得と増村保造監督作品の映画祭、「変貌する女たち」(東京の角川シネマ新宿)です。香川京子の出演作品は、溝口健二監督の「山椒大夫」と「近松物語」が上映され、トークイベントも行われました。香川京子は、初めて人妻役を演じた「近松物語」に出演した時、まだ結婚もしておらず、どうしてよいか全く分かりませんでした。

しかし、溝口健二監督は、香川京子に具体的な演技指導はせず、ただ、「もう1回」と言うだけ。「芝居は頭で考えたんじゃいけない。芯から役に入っていれば自然に動けるはずだ」と話したといいます。エピソードを披露した香川京子は、芝居の根本とは何かを教えてくれた監督として、今も大いに感謝していると続けました。

トークイベントでの話は、黒澤明監督にもおよび、2人の監督の共通点として、香川京子は、たいへん興味深い指摘をしています。1シーン1カットの長回しが多かったという黒澤明監督と溝口健二監督。香川京子は、役者としては、演じるのが難しい反面、気持ちがつながるので、自分はそのほうが好きだったと話しました。

戦後72年、日本映画の黄金期を体験した俳優やスタッフは、ますます少なくなっています。香川京子には、戦争体験だけでなく、映画の語り部として、これからも長生きしてほしいものです。

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