田知本遥(柔道)がかわいいと話題!姉・田知本愛とは不仲なの?

田知本遥(柔道)がかわいいと話題!姉・田知本愛とは不仲なの?

田知本遥(柔道)が武井咲似でかわいいと話題!柔道を辞めたくて仕方なかった少女時代

田知本遥(柔道)はリオオリンピック女子柔道70㎏級の日本代表選手ですが、ネットではかわいいと話題になっています。一部では武井咲に似ているとも。そんな田知本遥は、幼い頃はピアノを習いたい、かわいい少女でした。

ところが、中学時代に柔道経験があった父親の意向で、姉・田知本愛と共に、小学2年生から柔道を始める事に。すぐに辞めたいと思う様になり、中学では陸上に転向するつもりでしたが、熱心な父親に押されて、姉が所属する柔道部に入部させられてしまいました。しぶしぶ柔道を続けることとなった田知本遥でしたが、いい加減な事を嫌う性格だったため、練習には熱心だったそうです。

その結果、早くも1年生で全国大会の上位常連選手に。富山県立高岡第一高校時代には、インターハイや国体での活躍はもちろんのこと、国際大会ではオリンピック銀メダリストを抑えて優勝するなど、目覚ましい飛躍を遂げました。その後は東海大学柔道部を経て、2013年にALSOKに入社しています。

田知本遥(柔道)と姉・田知本愛の姉妹喧嘩がヒドイ!オリンピック出場を巡って不仲に?

田知本遥(柔道)と、2歳上の姉・田知本愛は、幼い頃からの柔道のライバル同士。階級こそ違えど、お互いが日本のトップ選手として意識し合う関係です。田知本遥と田知本愛は、姉妹喧嘩が絶えないそうで、1ヵ月以上口をきかない事も度々あるといいます。そんな姉妹仲が最も危機に瀕したが、2012年のロンドンオリンピック。

田知本遥が代表に選出され、世界ランキング1位だった田知本愛は選考漏れするという、気まずい状況に、案の定、姉妹喧嘩が勃発。その後、半年間も口をきくことはなかったそうです。しかし、その後に田知本遥がどん底に陥った時には、田知本愛がアドバイスをくれたり、叱咤激励してくれたという、心温まるエピソードが。実は、「大会前に姉妹喧嘩をすると好成績を残すことができる。」とのジンクスもあるのだとか。まさに、”喧嘩するほど仲が良い”とは、このことですね。

田知本遥(柔道)は体罰告発の張本人?ドーピング問題でどん底を経験

田知本遥(柔道)がオリンピック強化合宿の体罰を告発?騒動は後味悪い結末に

田知本遥(柔道)が7位という結果に終わった2012年のロンドンオリンピック。大会終了後の年末に、強化合宿での体罰問題が報じられました。報道によると、強化合宿に参加していた女子柔道選手15人が、”監督やコーチから体罰を受けた”と、日本柔道連盟に告発文を提出したとのこと。暴力だけではなく、脅しや、容姿に対する暴言などのパワーハラスメントが常態化していたというのです。

告発文を提出した15人の中には、田知本遥の名はありませんでした。しかし、最初に訴えを起こしたのは田知本遥だったという噂が、まことしやかに囁かれています。週刊誌の記事によれば、先陣をきった田知本遥は、既に監督の謝罪を受けて、和解を済ませていたという話。園田隆二監督の引責辞任で事態は収束しましたが、田知本遥の告発・和解が事実だとしたら、何とも後味の悪い結末です。

田知本遥(柔道)ドーピング規定違反薬服用は痛恨のミス!重い処分は免れるも…

田知本遥(柔道)にとって、2012年の体罰告発騒動は、どん底の始まりでした。やりがいを見いだせなくなって、引退を覚悟した時期もあったそうです。そんな中でのドーピング違反は、あまりにも不覚でした。2015年2月にドイツで行われたグランプリ大会に出場予定だった田知本遥。現地入りしてから風邪症状を発症し、柔道連盟から服用可能な薬を配布されていたにもかかわらず、同じく柔道選手の緒方亜香里が持っていた市販薬を貰って服用してしまいました。

服用後、この市販薬にドーピング規定違反物質が含まれていることに気づき、慌ててコーチに相談。かくして、田知本遥と緒方亜香里は欠場となり、帰国を余儀なくされたのです。本来なら1年以上の強化選手除外などの重い処分が下されるはずが、警告のみで済んだのは不幸中の幸いでした。しかし、2016年のリオオリンピック選考を控えた田知本遥にとって、精神的な痛手は”絶望”に近いものだった様です。

田知本遥(柔道)の不動心!姉・田知本愛に捧げるリオオリンピック金が美しい

田知本遥(柔道)にとって、ドーピング騒動の憂鬱は、なかなか抜け出せるものではありませんでした。リオオリンピックへの出場が決まったものの、姉・田知本愛が怪我で落選した事に心を悩ませた時期もあったといいます。喧嘩が絶えない姉妹ではありますが、揃ってオリンピックに出場する事を目標にやってきたことは、大きなモチベーションでもあったのです。

そんな田知本遥に、東海大学時代の恩師が1枚の色紙を送りました。そこに書かれていた言葉は、「不動心」のひとこと。7位に終わってしまったロンドンオリンピック以降、田知本遥は、自分で練習メニューやスケジュールを組み、外国人に対抗する筋力強化を行ってきました。邪念を振り払い、今一度、自分自身の道を見つめ直す「不動心」。

そして、出場が叶わなかった姉のためにも、リオオリンピックへ懸ける想いは動かざるものとなっていったのです。世界ランク11位の田知本遥は、頂点を確実視された選手ではありませんでした。しかし、決勝戦序盤では消極的として指導が与えられるも、2分19秒に技ありを奪って、そのまま抑え込みの1本勝ち。「絶対に離さない!」という不動心で、金メダルをもぎ取りました。

表彰式後、田知本遥が姉・田知本愛をの首にメダルをかけ、むせび泣く姿は感無量です。幼い頃から、自宅の6畳間の畳が擦り切れるほどに組み合った姉と歩んだ道のり。ロンドンオリンピックからの苦難の4年。全てが、田知本遥の心身を成長させ、最高の結果をもたらしたのです。

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