加古隆が学長を務める音楽学校アン・ミュージック・スクールとは?

加古隆が学長の音楽学校アン・ミュージック・スクールとは?

加古隆が学長の音楽学校アン・ミュージック・スクール募集要項、カリキュラムは?

加古隆が学長の音楽学校アン・ミュージック・スクールは、40年以上の歴史を誇るプロミュージシャン養成を目的とした音楽専門の教育機関です。アン・ミュージック・スクールでは、作曲・編曲科、ギター、ベース、ドラムス、ピアノ、キーボード、ボーカルの7学科が設置されており、2年間のマスターコースから、好きな授業を1科目から自由選択できるセレクティブコースまで、音楽を学びたい人に広く門戸が開かれています。

入学資格は、”音楽学習への適正と、熱意アリと認められる者”とされており、学歴や年齢、その他の入学制限はありません。アン・ミュージック・スクールでは、従来の全日制音楽専門学校より授業時間が少な目ですが、それは、最小限の時間で、目的意識に絞った個人練習の時間を作って、最大限の効率を生み出すカリキュラムが組まれているからです。アン・ミュージック・スクールは「授業時間が多い=うまくなる可能性が高い」という音楽教育の風習を捨て、個々の技量や志向性、進歩状況を踏まえた綿密な指導を重視しているのです。

加古隆が学長の音楽学校アン・ミュージック・スクール理念「何歳からスタートしても遅くない」

加古隆が学長の音楽学校アン・ミュージック・スクールの募集要項に年齢や学歴の制限が設定されていないのは、「幼い頃から英才教育を受けたものだけが音楽家になれる」という認識がないからです。確かに子供の時とは違って、ある年齢に達すると、超絶技巧を身につけることは難しくなりますし、加古隆自身は、小学2年生の時からピアノ教室に通い、東京藝術大学作曲科、同大学大学院を経てパリ国立高等音楽院で学んだエリート作曲家・ピアニスト。

しかし、加古隆は「この歳で音楽の勉強を始めるには遅すぎないか」と言う人に、「音楽家に必要な要素は超絶技巧だけではないから、決して遅すぎはしない」と答えます。アン・ミュージック・スクールでは「上達しなかったために挫折した」「相当なブランクがある」「音楽を聴くだけではなく、自分で楽器に触れたり作曲したりしてみたい」「一生の趣味にしたい」など、プロ志向から趣味志向まで、それぞれに沿った指導が行われます。ある年齢に達していても、アン・ミュージック・スクールの系統立った短期間のカリキュラムで学び直せば、音楽の世界への扉を開くことができるのです。

加古隆のターニングポイントや映像音楽を作るときに意識することとは?

加古隆40年の音楽活動2つのターニングポイント!

加古隆はパリ国立高等音楽院在学中の1973年に、現地で即興ピアニストとしてデビュー。以来、現代音楽とフリージャズを共存させた前衛的な演奏スタイルを主としていました。しかし、帰国後の1985年にジャズ評論家・野口久光に「誰でも知っているメロディを1曲、取り上げてごらん」と言われたことがターニングポイントとなります。

その言葉を受けた加古隆は、イングランドの伝統民謡「グリーンスリーヴス」を題材に、「ポエジー」を作曲。この曲はあまりにも加古隆自身の音楽性とかけ離れていたために「自分を失ってしまわないか」とためらったそうですが、いざコンサートで演奏してみると、即興ではない、メロディから生まれてくる強烈な力と美しさを初めて感じたのだといいます。

2つ目のターニングポイントは「パリは燃えているか」。これは加古隆が1995~1996年に放送されたNHK「映像の世紀」のテーマソングとして書き下ろした曲です。誰の耳にも残るシンプルで美しいメロディへの人々の反響は大きく、これによって加古隆に映像音楽という新しい道が拓けていったのです。

加古隆のは映像音楽を作るときに意識する「コンセプト」と「自分のコンサート」

加古隆は「映像の世紀」以降、NHK「ドキュメントにっぽん」のテーマ曲「青の地平」、NHK「にんげんドキュメント」のテーマ曲「黄昏のワルツ」を始め、映画「大河の一滴」「阿弥陀堂だより」など、数々の映像音楽を手掛けて、日本アカデミー賞優秀音楽賞を2回、毎日映画コンクール音楽賞を2回受賞しています。加古隆が映像音楽を作るときに意識することは「コンセプト」と「自分のコンサートで演奏できる曲」。

まず、作品の映像にとらわれるのではなく、自分自身で台本を読んで浮かんでくるイメージを見つけ出す作業を踏んで、単純な言葉で、コンセプトをつかみ取ります。そのコンセプトに沿った音楽、なおかつ”いい曲”を自分の中から見つけ出して、作曲を行うのです。加古隆は、”いい曲”の目安の1つとして、”自分のピアノコンサートで演奏できるか”という基準を挙げています。こうしてできた音楽は、本来ならば完全に加古隆ワールドではありますが、不思議と映像作品自体のカラーになってゆくのです。

加古隆「映像の世紀」を描き出す「パリは燃えているか」2016年コンサート決定

加古隆が作曲したNHK「映像の世紀」のテーマ曲「パリは燃えているか」には、当時NHKに問い合わせが殺到したというエピソードがあります。加古隆がピアノで紡ぐメロディは、超絶技巧を駆使しているわけでもありませんし、ごくシンプルにもかかわらず、人類が「映像」として蓄積してきた記憶のうねりを、胸をえぐるように突き付けてくるような凄味を覚えずにはいられません。「パリは燃えているか」を聴くだけで、悲愴感漂う昭和の群像を瞼に浮かべる場合もあるでしょう。

「パリは燃えているか」は、第二次世界大戦末期に、アドルフ・ヒトラーが撤退したパリを爆破するように命令を出した後に繰り返し問うた言葉。加古隆は、約100年の変遷を描いた「映像の世紀」のコンセプトとして、最も激動期に生まれたこの言葉をつかみ取ったのです。加古隆は映像の雰囲気に合った作曲をするのではなく、自らつかみ取ったコンセプトから音楽で絵を描き出します。「ピアノの詩人」「ピアノの画家」と呼ばれているのは、決してピアノの音色だけのことを言っているのではありません。

「映像の世紀」は20年の時を超え、最新デジタルリマスター版として昨年秋に再放送されました。2015年10月~2016年3月までは、新しい映像内容で構成された「新・映像の世紀」が月1回放送されています。映像や音声がハイビジョン化されたことにより、私たちは一層、加古隆の迫りくる映像音楽の世界を体感できるようになりました。また、2016年4月には、「加古隆コンサート2016《新・映像の世紀~パリは燃えているか~》」が全国4カ所で開催されます。ぜひ、加古隆の生の音楽の世界に五感で触れておきたいものです。

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