桂雀々が東京に拠点を移した理由とは?芸歴40周年記念独演会に明石家さんまと桑田佳祐がスペシャルゲスト

桂雀々が芸歴35年で東京に拠点を移した理由とは?桂の屋号を「雀々や」に改名!?

桂雀々は上方落語で芸歴35年目!しかし大阪から東京へと活動の拠点を移した理由とは?

1977年6月1日、二代目桂枝雀の門を叩き、2017年で芸歴40周年を迎えた桂雀々(かつらじゃくじゃく)は、35年目を迎えた2011年に突如、大阪から東京へ移り住むことを決心しました。上方落語の人気者である桂雀々が、活動の中心だった大阪から東京へと拠点を移した理由とは何だったのでしょうか?

桂雀々は、芸歴30周年を迎えた2007年に、故やしきたかじんがプロデュースした「雀々十八番」を6日間に渡って開催しました。当時親交があった上岡竜太郎や桂ざこば、円広志、藤山直美などの人気芸能人が出演した「雀々十八番」は、全公演が完売するという大成功を収めます。

また2010年には、全国各地の地獄や閻魔大王に縁の深い地方を訪れ「地獄八景亡者戯」を演じました。このツアーの成功もあってか、翌2011年、51歳の時に、「大阪でやれることは全てやった。今後は東京で勝負がしたい」と、お世話になった米朝事務所からも離れて、東京へ活動拠点を移しています。

桂雀々の屋号が「雀々や」に改名される?「雀々や剛々」とは?

桂雀々の弟子には、意外な実力派俳優がいます。2016年に東京の国立演芸場で落語家としてのデビューを果たし、「雀々や剛々」の高座名を得た伊原剛志です。もとより落語に興味津々だった伊原剛志は、NHK連続テレビ小説「ふたりっ子」にて二代目桂枝雀と共演したことがきっかけで、弟子の桂雀々と知り合いました。

その後、猛特訓の末に、念願かなって桂雀々の独演会で落語を披露する機会を得た伊原剛志。観客のアンケートによって決まった高座名である「雀々や剛々」は、対案の「雀々や大々」ともども桂雀々が考案したものです。実は、師匠の二代目桂枝雀から、「60歳くらいになったら『雀々や雀々』にしたらどうや」「いつも皆からフルネームで呼ばれるから親しみがわいて愛される」と提案してもらっていたという桂雀々。

屋号を変えるとは前例のないことですが、「還暦記念と一緒に、改名披露をやっているかもしれませんね」とまんざらでもない様子です。伊原剛志の高座名は、師匠からの想いもこめた、桂雀々ならではのなんとも粋な計らいだったと言えます。

桂雀々が自伝「必至のパッチ」で明かした壮絶な生い立ちとは?!妻は桂ざこばの夫人の妹、娘は芸能界で活躍中!

桂雀々が自伝「必至のパッチ」で明かした壮絶な生い立ちとは?!

桂雀々が生まれた1960年は、日本の高度成長期でありながら、まだ戦後の爪痕が少なからず残っていた時代です。今ほどに物が豊かで溢れておらず、繕ってもらえずに穴の空いた衣服を着ている子供たちも決して珍しくはありませんでした。そんな時代背景をもってしても、桂雀々の生まれ育った環境は想像を絶する悲惨さだったようです。

自伝「必死のパッチ」によると、一人っ子だった桂雀々がまだ幼い頃に母親が突然の蒸発。その後、賭け事に溺れた父親の元には連日借金取りが押し寄せ、切羽詰まった父親は息子と無理心中を図りますが、死にきれずにまだ12歳だった桂雀々を見捨てて出て行ってしまいます。

一人ぼっちになってしまった桂雀々でしたが、当時の日本にはまだ人情という希望が残っていました。民生委員や隣近所のおじちゃんおばちゃんに助けられた桂雀々は、アルバイトで生計を立てながら必死で生き抜いたと明かしています。

桂雀々の妻は桂ざこば夫人の妹!子供は一男一女、娘は芸能界で活躍中!

壮絶な少年時代を生き抜き、17歳という若さで二代目桂枝雀へ入門。落語の道に飛び込んだ桂雀々には、妻と、息子と娘2人の子供がいます。妻は、旧知の仲である桂ざこば夫人の妹で、桂ざこばとは義兄弟の関係です。活動拠点を大阪から東京へ移した際に、仕事のみならず住居もろとも東京に移り住んだため、現在は、大阪に住んでいる妻や息子とは別々に暮らしています。

ちなみに桂雀々の娘は、女優として台湾や中国などでも活動していた経験もあるタレントの麻生唯。父娘の関係は良好で、東京で仲睦まじく生活しているそうです。

桂雀々が芸歴40周年記念独演会の「地獄八景亡者戯二〇一八」に招くスペシャルゲストは?東京公演は桑田佳祐と明石家さんま!!

大阪から東京へ活動拠点を移した上方落語界の人気者・桂雀々が、芸歴40周年を記念した独演会「地獄八景亡者戯二〇一八」を、2018年1月28日に大阪の新歌舞伎座で開催することが決定しました!落語界以外にも幅広い人脈がある桂雀々は、2017年6月に行われた東京公演では、なんと大御所歌手の桑田圭祐を亡者姿で登場させて観客の度肝を抜いています。

さらに、後半のフリートークでは、芸歴35周年記念公演にも出演しており親交の深い明石家さんまが登場。会場を大いに沸かせました。それゆえに、40周年記念の独演会も「誰がスペシャルゲストとして呼ばれるのか?」と今から話題になっているようです。

当の桂雀々も「大阪公演では大物歌手を呼びます!」と宣言。「新歌舞伎座は芝居公演で使われる劇場なので、セリや回しも使ってスーパー歌舞伎ならぬスーパー落語にしたい。ゲストの出る幕も考えないと」と、並々ならぬ意欲を燃やしています。それにしても、大阪時代は、落語以外でもタレントとしても人気者だった桂雀々に、これほどまでの壮絶な生い立ちがあったとは正直驚きでした。

自伝のタイトルにもなった「必死のパッチ」とは、関西弁で「最上級の必死さ」を表す言葉。いくら周囲の人々の援助があったとはいえ、12歳の幼い子供が1人で生きていくことは並大抵の試練ではなかったはずです。それこそ毎日が「必死のパッチ」だったに違いありません。

しかし桂雀々は、「必死のパッチ」を未来への糧に代えて、上方落語界を代表する落語家として大成しました。2017年10月にスタートした人気ドラマ「陸王」でも、嫌味辛みたっぷりの銀行の支店長役で、俳優としても抜群の存在感をアピールしています。「神様は超えられない試練は与えない」……桂雀々の今の活躍ぶりを見ていると、この言葉のずっしりとした意味の重さを感じざるを得ません。

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