川畑泰史の吉本新喜劇座長公演はつまらない!?持ちギャグまとめ

川畑泰史の吉本新喜劇座長公演はつまらない!?持ちギャグまとめ

川畑泰史の吉本新喜劇座長公演はつまらない!?他の4人の座長とは何が違う?

川畑泰史は、2007年、入団16年目で吉本新喜劇の座長に就任しています。苦労の末に座長となってから10年目となる川畑泰史ですが、現在の吉本新喜劇公演の中では、ファンの間でも”外れ座長”と呼ばれる傾向に……。吉本新喜劇の座長といえば、独創的かつ毒のある小藪一豊や、歌ネタ「すちこ&真也」でお馴染みで若者の支持も厚いすっちーがいます。

軽快なテンポのドタバタコメディが売りの”茂造じいさん”こと辻本茂雄も、依然として高い人気を誇っているといえるでしょう。そして、大ベテラン座長・内場勝則は、定番ネタをきちっと盛り込み、吉本新喜劇の王道ともいうべき、安定の笑いを提供してくれます。川畑泰史は、どちらかというと内場勝則に近い王道路線。決してつまらないわけではありませんが、個性全開の他の4人の座長に比べると、どうしてもインパクトに欠けてしまうのかもしれません。

川畑泰史の吉本新喜劇の王道をいく持ちギャグ!斬新さはないが安定感は抜群!

川畑泰史は、昔から吉本新喜劇には欠くことのない、容姿をイジったギャグを多用しています。代名詞と化した「顔パンパン」を基本に、「おたふく風邪」「おにぎりせんべい」とさまざまですが、「名探偵コナンの友達(小嶋元太)」「忍たま乱太郎のしんべヱ」は、あまりに真を突き過ぎ。そんな川畑泰史は、腹巻に両手を突っ込みがちなドラ親父風の「バタヤン」として舞台に立つことが多く、任侠風の音楽と共に登場し、「カー!」という効果音に合わせて、客席に見栄を切ります。

この「カー!」自体が、くどいほどにイジリネタになることがあるのも、吉本新喜劇ならではといっていいでしょう。また、「バタヤン」は、吉本新喜劇にありがちなアウトローとの戦いに威勢よく挑んだかと思えば、「冗談はここからや」「サンドバッグの川畑や」と、いで立ちに反してヘタレキャラです。婚約者や思い人にアピールしたいがために奮闘するのですが、幕切れはズッコケパターンばかり。斬新さを求める若者には不評かもしれませんが、小気味いいくらいに王道をいくギャグは安定感抜群です。

川畑泰史と元嫁・森内紀世の離婚理由!出身校やプロフィールは?

川畑泰史と元嫁・森内紀世は新喜劇婚だった!離婚理由や3人の子供は?

川畑泰史は、1997年、吉本新喜劇の先輩女優・森内紀世と結婚しました。内場勝則・未知やすえ夫妻に続く”新喜劇婚”としてファンの間で話題になった、川畑泰史と森内紀世。2005年までに3人の子供に恵まれ、結婚生活は順風満帆かのように思われましたが、2011年に離婚していたことが分かりました。川畑泰史が吉本新喜劇座長に就任してから5年間の”擦れ違い生活”が、離婚理由だそうです。

森内紀世は、1970年4月9日生まれ。吉本総合芸能学院大阪校を経て、吉本新喜劇に入団したようですが、以前は、映画「父危篤、面会謝絶」などに女優として出演したこともありました。自分も芸能界に身を置いてきたはずの元嫁・森内紀世が、川畑泰史の多忙さを理解できないというのも不思議な話です。

しかし、川畑泰史は、座長公演となると、地味ながらも緻密な設定にこだわり抜いたネタ作りをすることで有名。どうみてもイイ人にしか見えないだけに、「真面目過ぎる姿勢が仇となった」と考えたいものですよね。なお、3人の子供の親権は森内紀世が持っています。

川畑泰史は京都府立桃山高等学校出身!無名時代はホストだった!!

川畑泰史は1967年6月22日生まれ、京都府京都市出身です。京都府立桃山高等学校出身で、高校時代は、ラグビー部に所属していました。高校卒業後、薬品卸売会社の営業職を経て、NSCに入所したまではいいのですが、その後にはあまりにも意外すぎる経歴が。何と、あの川畑泰史が、NSC時代にお金がなさすぎて、ホストクラブで働いていたというから、全く想像が付きません。

とはいえ、川畑泰史は、友人とバンドを組んでいたり、テレビ番組でギターを披露したことがあったりと、何かと芸達者です。吉本新喜劇で歌を披露したこともありましたが、かなりウマイと評判になりました。若い頃に「顔パンパン」でなかったなら、ホストとしてアリだったのかもしれません。

そんな川畑泰史と同期芸人といえば、ナイティナインと宮川大輔らがいますが、1991年当時、吉本新喜劇に入団したのは川畑泰史と、岡村隆史だけだったとか。そして、後輩として入って来た小藪一豊と出会ったことで、川畑泰史の芸人人生は、大きく変わって行くこととなりました。

川畑泰史こそが吉本新喜劇の源流だ!座長公演「東京グランド花月」に初登場!

川畑泰史の吉本新喜劇座長公演が、2016年9月29日~10月2日、東京池袋のサンシャイン劇場で開催された「東京グランド花月」の舞台に初登場を果たしました。「東京グランド花月」は、NON-STYLEら人気お笑いコンビをはじめ、漫才、落語と吉本の笑いを詰め込んだ夢の饗宴です。「東京グランド花月」の吉本新喜劇公演では、全国区の知名度を誇るすっちー座長が、過去3回の公演を成功させています。

「つまらない」「ハズレ座長」と言われがちな川畑泰史にとって、これはなかなかのプレッシャーだったはずです。ただ、前回までのすっちーとは違い、川畑泰史の「これぞ吉本新喜劇!」という伝統芸には、東京の人々に、吉本新喜劇の基本的な笑いを知ってもらうための役割がありました。その昔、川畑泰史は、漫才から吉本新喜劇にやってきた小藪一豊と、「新喜劇で金持ちになるためには?」という試案を繰り返したといいます。

1つ目は「飛びぬけたキャラで人気者」、2つ目は「新喜劇になくてはならないベテラン」、3つ目は「座長になること」。3つ目しかないと確信をもった2人は、その日から、座長を意識した芝居を続けてきたそうです。川畑泰史より、1年先に座長になったのは、毒ありキャラで笑いを確立した小藪一豊でした。そんな中、王道を貫き、緻密な芸に徹する川畑泰史は、「ハズレ座長」どころか、今後の吉本新喜劇を支える屋台骨的存在のような気がします。

川畑泰史自身のツッコミに派手さはないかもしれませんが、彼ならではの緻密な計算があってこそ、周りの個性的なキャラが生きてくるというもの。角がない愛嬌のあるツッコミは、川畑泰史にしかない”イイ味”になりつつある気がします。

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