城戸真亜子が子供たちへ送る学研アートスクール!油絵の実力は?

城戸真亜子が子供たちへ送る学研アートスクール!油絵の実力は?

城戸真亜子が子供たちの感性を磨く!学研アートスクールのプログラムとは?

城戸真亜子は、学研の社外取締役として、感性の成長が著しい年中~小学6年生までの子供を対象とした「学研・城戸真亜子アートスクール」を開催しています。このアートスクールでは、城戸真亜子が面接・採用、研修を行った専任講師が、城戸真亜子が作成したオリジナルカリキュラムに沿って指導を行っています。

カリキュラムの基軸は、この時期の子供たちの発育に焦点を当てたものとなっており、絵画・造形、彫刻など、さまざまな画材と技法を豊かに学ぶことによって、各年齢の子供たちが、のびのびと楽しみながら表現力を伸ばしていけるプログラムが組まれているそうです。迷った時、「自分は絵描きだ」という自負に支えられてきたという城戸真亜子。自身に子供はいないものの、表現の手段を持つ喜びを知っているからこそ、これからの世代にも広く伝えてあげたいという愛情を感じさせられます。

城戸真亜子の油絵は”芸能人の趣味”ではない!出身大学、作品群に注目!

城戸真亜子は、モデルとして、1981年のカネボウ化粧品キャンペーンガールに選出されてから、同年10月の映画「アモーレの鐘」の主演で女優デビュー。1984年には「やさしく描いて」で歌手デビューし、「3時にあいましょう」の司会を務めるなど、多岐にわたるタレント活動を展開してきましたが、並行して、油絵画家としても活躍しています。

城戸真亜子の場合は、後に油絵という意外な才能を開花させた芸能人たちとは違って、桐朋女子中学校・高等学校を卒業後に、武蔵野美術大学、通称ムサビの油絵学科で油絵技術を磨いた根っからの絵描き人。これまでに個展もたびたび開催していますが、油絵作品としては、東京・海ほたる内の壁画や、神田神保町の「ギャラリー珈琲店・古瀬戸」の巨大壁画が特に有名です。

上野の森美術館と第一生命が共催するVOCA展の入賞歴もあり、2013年には「城戸真亜子の油絵って楽しい!」として、NHK趣味Do楽の講師にも就任。城戸真亜子の芸術活動のキャリアは、画家としての実力を物語るに値するものです。

城戸真亜子が義眼をカミングアウト?「ほんわか介護」の心温まる内容とは?

城戸真亜子は義眼をカミングアウトしていない!噂の出どころは?

城戸真亜子が、義眼をカミングアウトしたという記述が、ネットで多く見受けられます。ところが、城戸真亜子自身がそのような発言をした事実はなさそうですし、画像や動画を検証する限り、左右の眼球の焦点がズレているなどの不自然な点も見当たりません。そして、54歳になった今でも、城戸真亜子は相変わらずの美人。

どこからこのような噂が出たかは分かりませんが、城戸真亜子の瞳をじっとのぞき込むと、吸い込まれてしまいそうな奥深い輝きは、美しくもあり、少し怖くも感じてしまいます。多くの鬼才たちの瞳がそうであるように、油絵の世界を創造する城戸真亜子の瞳に普通ではないものを感じた人々が、「城戸真亜子が義眼である」と感じたことが噂の発端だったのかもしれませんね。

城戸真亜子「ほんわか介護」工夫をこらした介護に込められた義母への真心!

城戸真亜子が2009年に出版した著書「ほんわか介護」には、辛く苦しいはずの介護生活のイメージを一変する温かさを感じさせられます。「ほんわか介護」は、城戸真亜子が5年にわたって認知症の母を介護したノンフィクション物語です。まず「眠れなかったのは認知症の母に困惑したからではなく、これから始まる新たな生活へのやる気で興奮したため。」と綴られていることに驚かされます。

メモや刺しゅう、写真や絵で工夫を凝らした個性あふれる介護は、城戸真亜子の真心がうかがえるものばかり。そして何より懐の深さを感じさせられるのは、一貫して”母”と表現されている女性が、実母ではなく、1990年に結婚した所属事務所社長・吉田裕史の母であり、城戸真亜子とは血のつながりのない義母だったことです。

城戸真亜子には、仕事にかまけて、病気で亡くなった実の両親へ孝行ができなかった思いから、義母の介護にあたっては「神様がくれた親孝行のチャンス!」と向き合うことができたそうですが、なかなかそう思えることではありません。

城戸真亜子の介護は現在も続く!絵と芸能活動の間にあった葛藤とは?

城戸真亜子が、2016年5月31日放送の「徹子の部屋」に登場し、現在も続けている94歳の義母の介護について語りました。認知症のせいで、寸前の事をも忘れてしまう義母が後で見返せるようにと、毎日の介護生活を絵日記に綴っているという城戸真亜子。彼女の絵の魅力は、そういった心根の美しさにもあるような気がします。

幼い頃から、単にお絵かきが好きな少女というわけではなく、飼っていたザリガニが死んだ時には、「天国に行けますように」と願いを込めて、描いた絵と共に埋葬した城戸真亜子にとって、絵は、言葉にできない魂を伝達する手段でした。画家を目指して進学した美大に一度は居場所を見失い、カネボウ化粧品キャンペーンガールに選出されたのを機に休学という選択をするも、やはりその目も、魂も、画家としての光を失っていませんでした。

19歳で初めて女流画家協会展で入選し、制作活動を続ける城戸真亜子でしたが、芸能活動が充実していくにつれ、知名度を利用した絵描きとみられることに迷いが生じたそうです。そんな時、誰にどんな助言をされようと、城戸真亜子の中に確たる魂がなければ、表現者としての自分に自信をもって画家を続けることはできなかったでしょう。昨年、ユキトリヰの2016年春夏コレクションのドレスでも、城戸真亜子の絵画とのコラボレーション作品が発表されました。この活躍ぶりは、芸能人の特権を超えた城戸真亜子の絵の真価といえるでしょう。

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