清元斎寿の父は清元延寿太夫、弟は歌舞伎役者の二代目尾上右近!母も名家出身!

清元斎寿の父は清元延寿太夫、弟は歌舞伎役者の二代目尾上右近!母も祖母も名家出身!

清元斎寿の父は七代目清元延寿太夫!弟は人気歌舞伎役者の二代目尾上右近

清元斎寿(きよもとさいじゅ)は、歌舞伎の舞台には欠かせない音色を添える江戸浄瑠璃清元節高輪派の三味線奏者です。清元節は、江戸後期に、独特な高音のセリフ回しで人気を博した名門。清元斎寿は、その宗家・七代目清元延寿太夫の長男として誕生しました。

8歳年下の弟は、清元節の七代目清元栄寿太夫と二足の草鞋で、歌舞伎役者・二代目尾上右近としても活躍して人気を集めています。自分と弟の尾上右近について、「三味線奏者と歌舞伎俳優の兄弟は珍しい」「この珍しさも生かして清元節の魅力を発信していきたい」と語っている清元斎寿。

父である七代目清元延寿太夫や、弟の七代目清元栄寿太夫(尾上右近)は、清元節の中でセリフを担当する太夫(芸人)ですが、清元斎寿は三味線方。16歳で歌舞伎の舞台でデビューして以来、清元節の繁栄に尽力し続けています。

清元斎寿の母も祖母も名家出身!祖父は鶴田浩二で曾祖父は歌舞伎界の名優・尾上菊五郎

清元斎寿の母・千尋は鶴田浩二の娘です。そのため、清元斎寿の母方の祖父は任侠映画などで大活躍した昭和の二枚目俳優ということになります。その祖父・鶴田浩二の影響を受けて、若い頃には映画俳優を目指して演技の学校にも通っていたという清元斎寿。

一方の父方の祖母・岡村多喜子は、大正時代から昭和初期にかけて歌舞伎で一時代を築いた人気役者・六代目尾上菊五郎の次女と、これまたすごい血筋です。このように、清元斎寿は、異なるジャンルそれぞれの才能を受け継ぐ芸能界の真のサラブレッドと言えます。

清元斎寿は大変な病気を乗り越えていた!結婚は?

清元斎寿は余命3カ月と宣告されていた!?克服した大変な病気とは

左の腹部だけ骨盤が見えなくなるほどにポッコリと出てきた清元斎寿が検査を受けたのは2009年のこと。左の下腹部にあったのは、19cmもの大きな悪性腫瘍。これにより、非常に珍しい「粘液性脂肪肉腫」というガンに罹患していたことが判明しました。当時まだ25歳という若さだった清元斎寿は、医師から進行の早さと転移を疑われ、家族へ宣告された余命はわずか3カ月だったと言います。

他の箇所への転移は奇跡的に見つからなかったものの、腫瘍の状態によっては腰から左足を切断する可能性もあると告げられてしまいました。清元斎寿はその時、何よりもまず「もう三味線を正座で演奏することはできなくなるのか……」と不安になったそうです。しかし幸いなことに、足の切断は免れる結果に。懸命のリハビリを続け、手術から4カ月後には舞台「清き流れひと元に」に出演し、きちんと正座をして演目を披露し復帰を果たしました。その後も治療のための入退院は続きましたが、2012年の春からは元気な日々を過ごしています。

清元斎寿の結婚は?

清元斎寿には、公表されている結婚歴や、報道されている熱愛スクープなどはありません。名門清元宗家のサラブレッドともなると、結婚や子供の誕生も楽しみに待たれるところですが、今のところそのような動きはないようです。大きな病気を乗り越え、清元昂洋から初代清元斎寿に改名するという節目を迎え、父の七代目清元延寿太夫が清元斎寿を授かった年齢を優に超えた今。そろそろ人生の伴侶を得て、新たなスタートを踏み出そうと考えている頃かもしれません。

清元斎寿が太夫ではなく三味線方になった理由とは?2018年2月に記念公演を開催

清元斎寿の本名は岡村昂洋(おかむらたかひろ)と言い、2018年2月に初代清元斎寿と改名するまでは清元昂洋(きよもとたかひろ)と名乗っていました。3歳のときから清元節の太夫になるべく唄の稽古を始めるも、声が低いため、清元節のお家芸とも言われる高音の技巧的なセリフ回しがどうしてもできなかった清元斎寿。いくら叱られても高い声は一向に出ず、つらい稽古の日々を送っていたそうです。

7歳の時に、清元節の三味線方・清元美治郎に入門して本格的に三味線を始めたことで、ようやく自分の居場所が見つかったと述懐しています。清元美治郎に師事した清元斎寿は、瞬く間に三味線が大好きに。中学3年生の時に父が出演していた歌舞伎「保名」を見て、三味線の素晴らしさに改めて感動したことで、映画俳優ではなく三味線奏者になることを決意しました。

ガンを克服して以降は、「清元を世に広めるために、自分の命は救われた」という使命感に燃えており、三味線奏者としてさらなる高みを目指すようになったと明かしています。2018年2月26日に東京の歌舞伎座で行われた公演「延寿會」は、父・七代目清元延寿太夫の襲名三十周年と、父方の祖父・六代目清元延寿太夫の三十三回忌を記念したものでした。

その中で、清元斎寿は改名し、弟は七代目清元栄寿太夫を襲名。弟と共に「助六」を演じ、「気持ちを新たに修行に励んで行きたい」と表明した清元斎寿の演奏には、観客からの惜しみない拍手が送られました。清元200年の歴史が、300年、400年と続くよう、清元斎寿にはこれからも頑張ってほしいです。

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