久米小百合(久保田早紀)の代表曲は「異邦人」!ライブハウスのコンサートで夫婦共演

久米小百合(久保田早紀)の代表曲は「異邦人」!商業的音楽活動を辞め、現在の活動は?

久米小百合(久保田早紀)の代表曲は「異邦人」!大ヒットなるも胸中複雑だった?

シンガーソングライターの久米小百合は、1979年に、久保田早紀のアーティスト名にて、「異邦人」でレコードデビューしました。久米小百合(久保田早紀)の「異邦人」は、今までにないオリエンタルで神秘的なメロディーと歌詞が受け、デビュー曲としては異例の長期ヒットを飛ばし続けます。

こうして、デビュー直後は無名だった久米小百合は、まだ新人であるにもかかわらず、「異邦人」が一世を風靡したことにより大スター扱いされるようになっていきました。しかし、久米小百合の胸中は複雑だったと言います。わずか1曲のヒットで、キャリアも実力も過剰に評価する周囲の目に、久米小百合自身の気持ちが追いつかず、居心地の悪い日々が続いたそうです。

久米小百合(久保田早紀)はクリスチャン!商業的音楽活動を辞め、現在の活動は?

図らずもデビュー曲が大ヒットしてしまった久米小百合(久保田早紀)は、2年後となる1981年に、プロテスタントの教会で洗礼を受け、クリスチャンになりました。幼い頃は、教会の日曜学校に通っていた久米小百合にとって、教会はとても身近な存在で、礼拝で歌われる讃美歌も好きだったと言います。

このように、キリスト教の宗教的な側面ではなく、幼少期の思い出や、讃美歌という自身の音楽的ルーツに導かれるようにしてクリスチャンになった久米小百合。現在は、教会に招かれてコンサートや講演を行っています。また、ミュージック・ミッショナリー(音楽宣教師)として活動するかたわら、神学校へ通い、キリスト教についての学びを深めていきました。

久米小百合(久保田早紀)の子供や夫は?ライブハウスコンサートで夫婦共演

久米小百合(久保田早紀)が39歳で待望の第一子を出産!

1958年5月11日、東京都出身の久米小百合(久保田早紀)は、4歳からピアノを弾き始め、矢野顕子や松任谷由実に憧れ、自作曲を書き溜める日々を送っていました。仕事でイランに赴いていた父親が、お土産として現地の人気歌手のカセットテープを買って来てくれたことも、久米小百合の作曲活動に大きな影響を与えたと言います。

中東の独特な音楽からインスピレーションを得てオーディションに臨んだ久米小百合は、CBSソニー(現ソニー・ミュージックレコーズ)のディレクターに才能を認められ、レコードデビュー。音楽家の久米大作との結婚を経て、「久保田早紀としてはやりきった」との思いから、1984年のコンサートを最後に芸能界を引退することを発表しました。

その後、ミュージック・ミッショナリーとして活動し始めた久米小百合は、39歳の時に、待望の第一子となる男の子を出産しています。39歳の高齢出産であったことから、「長く不妊治療をしていたのでは?」等とも囁かれましたが、あくまでも噂の域を出ないものです。子供は成人したくらいの年齢になっていますが、両親ともに音楽家なので、同じ道に進んでいる可能性もあるかもしれませんね。

久米小百合(久保田早紀)の夫とは?ライブハウスのコンサートで夫婦共演!

久米小百合(久保田早紀)の夫・久米大作は、作曲家兼音楽プロデューサーです。主にジャズ・フュージョンの分野で音楽活動をしていましたが、近年は、コマーシャルや映画、舞台作品などに活動の幅を広げています。

久米大作との結婚を機に芸能界を引退した久米小百合は、2017年12月に「一夜限りのクリスマスコンサート」と称して、夫の久米大作と共演しました。讃美歌を中心に歌う中、久米小百合のヒット曲「異邦人」の特徴的なイントロが流れると、会場はヒートアップ。昔と違い高音が出にくくなったことからあえて歌っていなかった「異邦人」でしたが、夫のサポートもあり、見事に歌い上げています。

久米小百合(久保田早紀)がチャリティーコンサートを開催!引退から34年を経た今感じる音楽の力

久米小百合(久保田早紀)は、2011年3月11日に起こった東日本大震災のチャリティーコンサートを行っています。クリスチャンの久米小百合は「自分のしてほしいことを隣人にもしてあげなさい」という聖書の教えを思い出し、被災地のためのチャリティーコンサートを行うことを思いつきました。

そこで、仙台出身のゴスペルシンガー岩渕まことと連絡を取り、「東北応援団LOVE EAST」を立ち上げます。そして、教会のネットワークにより、国内外問わないチャリティーコンサートを開催。2013年には、被災地となった宮城県にある教会「気仙沼ホープセンター」でもコンサートを行っています。

「気仙沼ホープセンター」での単独コンサートでは、自身のヒット曲「異邦人」の他、「涙そうそう」や「上を向いて歩こう」など、懐メロの数々を観客と共に歌った久米小百合。スポットライトもオーケストラもない簡素な建物の中でも、音楽ひとつで、時間や宗教、国境を超えて心がひとつになる瞬間を味わったことで、引退から34年を経て、改めて音楽の力を感じたと明かしています。

現在は、ミュージック・ミッショナリーとして、心から音楽を楽しむ日々。そうした中で、苦い思い出のほうが多かったヒット曲「異邦人」も、新たな気持ちを持って人前で歌えるようになっていきました。清々しいほど伸びやかに音楽と向き合う久米小百合の歌声は、これからも変わることなく教会で響き続けていきます。

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