2019年9月23日 更新
9月20日開幕のラグビーワールドカップ2019。今大会に出場する日本代表チームの1人に、トンプソン・ルークがいます。
彼は現在38歳という高齢にもかかわらず代表入りを決めた実力者で、「生ける伝説」と呼ばれている男。そんなトンプソン・ルークの活躍を紹介します。
ニュージーランドから単身来日し、日本国籍を取得
スポーツ一家に生まれ、幼少よりラグビーに親しむ
ラグビーの強豪国として知られるニュージーランドで、農場の息子として生まれたトンプソン・ルーク。ラグビー選手の父と、バスケットボールのルールを女性向けに改良したネットボールという競技の選手である妹というスポーツ一家のもとで育ち、小さい頃からサッカーや13人制ラグビーに親しんでいたといいます。
クライストチャーチにある高校に入学してから、15人制ラグビーに本腰を入れ始めました。トンプソン・ルークはそこから頭角を現し、各年代の代表にも選ばれるほどの実力派となります。
しかし、彼のポジションであるロックは、男子ラグビー史上最強の代表チーム・オールブラックスの選手で競争が激化していたため、勝負の場を日本に変更。2004年に三洋電機ワイルドナイツ(現パナソニック)と契約します。トンプソン・ルークが23歳の頃でした。
とはいえ、三洋電機ワイルドナイツにいる期間はさほど長くありません。チーム方針が変わり、わずか2年で戦力外通告を受けてしまったのです。母国に帰るか日本に残るか悩むなか、オファーをかけてきたのが二部リーグで低迷していた近鉄ライナーズでした。
トンプソン・ルークは活躍の場を求め、2006年に近鉄ライナーズへ移籍します。そして、2年かけて同チームを一部リーグに昇格させた功績を認められ、2008年から2010年にかけて近鉄ライナーズ史上初の外国人キャプテンに就任。以来、近鉄一筋のラグビー人生を送っています。
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日本に帰化、「TOMO」の愛称で親しまれるように
「郷に入れば郷に従え」が座右の銘のトンプソン・ルーク。大阪の街にもすっかり馴染み、「まいど!」「なんでやねん!」と気さくにファンと言葉を交わせるくらい関西弁も流暢に。日本という国をいたく気に入った彼は2010年、日本国籍の取得を決意。名前をルーク・トンプソンからトンプソン・ルークに変えます。
ラグビーではニュージーランド国籍を持ったままでも、3年以上日本でのプレー経験があれば日本代表になれます。しかしトンプソン・ルークはあえて帰化し、日本人になることを選びました。出身国よりも日本に強い思い入れを持ってくれたことにファンは感謝し、親しみを込めて彼のことを「TOMO(トモ)」さんと呼んでいます。
4年前のW杯で「ブライトンの奇跡」を起こす
日本代表の真の立役者はトンプソン・ルークだった
2015年、日本に五郎丸旋風が巻き起こったのを覚えている方は多いのではないでしょうか。ラグビーワールドカップ・イングランド大会で、日本代表は当時、世界ランキング3位の南アフリカ代表に初戦で当たり、残り時間数分でまさかの大逆転を果たします。この出来事は「ブライトンの奇跡」と呼ばれ、日本国内だけでなく、世界的にも世紀の番狂わせとしてビッグニュースになりました。
同大会で話題になったのは「五郎丸ポーズ」と呼ばれたルーティンで知られる五郎丸選手ですが、ラグビーファンの間では「トンプソン・ルークこそが最高のパフォーマー」という声が多数上がっていました。その証拠に、2015年12月号の「ラグビーマガジン」が企画した「読者が選ぶワールドカップMVP」では、トンプソン・ルークが五郎丸を抜いて断トツで選ばれています。
事実、彼がいなければ奇跡の大逆転は起きなかったでしょう。試合終了間際、日本代表は29対32で劣勢の中、相手の反則によりペナルティを得ました。同点狙いのキックか、逆転を狙うスクラムかを選択する大事なシーン。確実性を上げるため、同点狙いのキックにすることもできました。
しかし、トンプソン・ルークは仲間にこう問いかけます。「歴史を変えるのは誰?」それに対して「俺らだ!」と応えたフォワード陣はスクラムを組み、最後の反撃に出ます。そして見事トライを奪い、大逆転を決めたのです。
最後の挑戦を呼びかけたのは、ほかでもないトンプソン・ルーク。彼がいなければ、「ブライトンの奇跡」は起きなかったかもしれません。
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代表引退からまさかの緊急復帰!日本代表史上最年長出場記録を達成
2015年のワールドカップで4試合フル出場した後、トンプソン・ルークは代表引退を宣言します。
「すごくプライドを持って戦うことができました。準々決勝には進出できなかったけど、新しい歴史を作ることができた」「キンちゃん(大野均)は4年後もたぶん大丈夫だけど、僕はおじいちゃんだから無理です」
しかし、プレーヤーとして完全引退というわけではなく、近鉄ライナーズでのプレーは続けていました。
そんな中、日本代表のヘッドコーチであるジェイミー・ジョセフから緊急招集がかかります。それはトンプソン・ルークが代表引退を表明して2年後の2017年、日本代表対アイルランド代表の第1戦終了直後のことでした。トンプソン・ルークのポジションであるロックが5人も怪我をしてしまい、日本代表として大きな痛手を負ってしまったのです。
「日本代表は特別なチームです。難しい判断だけど、簡単な判断でした。日本代表を助けたい」
日本代表に合流してすぐに先発を託されたトンプソン・ルークは、アイルランド代表との2戦目で、36歳というチーム最高齢ながら80分のフル出場。タックル数は両チーム合わせて最多の24回と、試合で最も身体を張った選手となります。彼の活躍ぶりは敵将のジョー・シュミットにも「トンプソンの精度の高いタックルは存在感が大きかった」と言わしめるほどでした。
しかし、復帰したのはあくまでも期間限定と語り、2018年の日本代表対イタリア代表戦は自宅でテレビ観戦していました。「Fight!」「Concentrate!」とテレビに向かって叫ぶトンプソン・ルークに、彼の戦いをずっと傍で見守ってきた嫁・ネリッサはこう言います。
「もし本当にやりたいのなら、いつも応援している」
嫁のひと押しのおかげで、38歳にしてワールドカップ日本代表に返り咲いたトンプソン・ルーク。これは日本代表史上、最年長出場記録です。
代表復帰後、「この代表ではニューフェース。毎日がアピールの場」と真摯に励むトンプソン・ルークの姿に、「ケガ人が出たから入っただけ」と復帰当初は完全な構想外としていた指揮官、ジェイミー・ジョセフは、代表発表会見の席で「ワールドカップで成功しているチームに一貫しているのは、ベテランが入っていること」「経験と不屈の精神を評価している」と語り、欠かせない存在であることを認めています。
ワールドカップ開幕を目前に控えた2019年9月16日に会見を開き、今季限りでの引退を明言したトンプソン・ルークは、本大会に強い思いをもって臨みます。
「調子いいです。全然問題ない。もうおじいちゃんだけどね」「ジャパンのジャージーにすごく高いプライドをもっている。ラストチャンス、いい結果がほしい」
来日から15年が経ち、「生まれたところじゃないけど、心は関西人」というトンプソン・ルーク。「僕は日本人。違う顔だけど、日本語あまりうまくないけど、僕の心は日本にある。プレーはチームと国と家族のため」と語る彼の言葉には、長年過ごした日本への愛が溢れています。
9月20日のワールドカップ開幕戦で、ロシア代表との初陣に臨んだ日本代表。後半残り19分で途中出場したトンプソンルークの背番号19がピッチに見えると、会場からはひと際大きな歓声が起こりました。この日もファイト溢れるプレーでチームの士気を高めた38歳の挑戦を、日本の多くのラグビーファンが見守っています。
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