松尾伴内はたけし軍団から外部修行で明石家さんまの付き人に!乙女チックな衣装にみる「チュルリラ」の謎!
松尾伴内はたけし軍団から外部修行で明石家さんまの付き人に!新幹線で同乗していると全く気が抜けない!
松尾伴内(まつおばんない)は、「たけし軍団」のメンバーとして芸能界デビューしたお笑い芸人。現在は、「開運!なんでも鑑定団」のレポーターとしても活躍中です。
松尾伴内は、「たけし軍団」に所属しながら、明石家さんまと共演する機会が多い印象があります。それに、「たけし軍団」から明石家さんまの元へ外部修行に出されていたからです。外部修行の折には、明石家さんまの付き人を務めていたという縁で、公私にわたって親しい間柄に。
松尾伴内のラジオ番組でのトークによれば、明石家さんまと新幹線で同乗していると「まったく気が抜けない」とか。というのも、東京と大阪を新幹線で行き来する際、明石家さんまはずっとしゃべりっぱなし。話を振られれば機転の利いたリアクションを返すことを求められるため、リクライニングシートにもたれて、ゆっくりというわけにはいかなかったそうです。
文句ひとつ言うわけでもなく、ずっと付き合っていた松尾伴内の忍耐強さには脱帽です。付き人を務めていたことでかなり気苦労もあったと思われますが、芸の引き出しが増えたことも間違いないでしょう。
松尾伴内の乙女チックな衣装にみる「チュルリラ」の謎!実は「フリル」を指す松尾伴内自身の造語
松尾伴内は、「痛快!明石家電視台」で披露している乙女チックな衣装でも話題となっています。明石家さんまからの「松ちゃん、それ女物やろ?」というツッコミに、「お求めやすいお値段」「男女兼用でございます」と返すのが、通称「定食」と呼ばれるお約束ネタ。今や番組名物の1つになっているとも言えます。
この独特な乙女チックな衣装を「チュルリラ」と形容することが多い松尾伴内。どうやら、「チュルリラ」とは、服の装飾である「フリル」を指す松尾伴内の造語のようです。松田聖子の「野ばらのエチュード」が由来で、当時のフリルの多い衣裳の着用が目立ったことから、「フリル=チュルリラ」と松尾伴内の頭の中でイメージされたとか。「痛快!明石家電視台」であまりに「チュルリラ」を多用しすぎているため、今では一般名詞と勘違いされるほど定着しています。
松尾伴内は、1963年5月3日に長崎県大村市で生まれました。東京都目黒区育ちで、本名は松尾憲造(まつおけんぞう)です。ビートたけしに弟子入りした際は本名でしたが、「もっとインパクトのある芸名に」と改名。コントでいろいろな役を演じることから、映画「七つの顔を持つ男」の主人公・多羅尾伴内に由来する「松尾伴内」としたそうです。
松尾伴内の妻は元女優の栗林知美!双子の息子は父に瓜二つ?!
松尾伴内の妻は元女優の栗林知美!デートで辛抱強く待ち続けた松尾伴内に栗林知美から求婚!
松尾伴内の妻は、元女優の栗林知美(くりばやしともみ)です。セクシー系映画やオリジナルビデオをメインに活動していました。1972年1月11日生まれで、松尾伴内よりも9歳年下です。2人の馴れ初めは、「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」での共演。番組のイメージガールとして出演していた彼女に惚れ込んだ松尾伴内が、電話番号を渡すなど猛アタックを仕掛けました。
ようやくデートの約束を取り付けたものの、彼女は完全にデートの約束を忘れ去っており、松尾伴内は10時間近くも待ち合わせ場所で辛抱強く待ち続けたとか。そのことを知った栗林知美が、逆に結婚を申し込んだそうです。入籍は2001年1月。
この結婚には師匠のビートたけしもビックリで、「よく松尾みたいなのと結婚する気になったなあ」とコメント。「アイツは最初に家に彼女を連れてきたと思えば、一緒に見せるのが都はるみのビデオなわけだ。そんなヤツが結婚だなんて、一生かかっても無理だと思ってたんだけどな」と、呆れ半分で振り返っています。
松尾伴内が新潟に自宅を建てたワケ!双子の息子は父に瓜二つ?!
松尾伴内は、現在、新潟県新潟市に在住しています。2人の間に授かった、双子の男の子の育児に疲れた妻の栗林知美が新潟県の実家に帰ってしまったため、その近くに自宅を建てたそうです。営業や舞台出演などで長期間留守にすることも多いですが、自宅に帰れば、家族のために自ら食事を作っているなど家族思いの松尾伴内。
新潟のローカル番組にも出演するなど、すっかり新潟に馴染んでいます。2005年に生まれた双子の男の子は、新潟市内の公立中学に通学しているとの噂ですが、名前や顔写真は一切公表されていません。噂によると、顔は父親の松尾伴内にそっくりで、担任の先生も見分けが付かないほどだとか…将来は双子の二世タレントとして、芸能界デビューもあるかも知れませんね。
松尾伴内&ガダルカナル・タカが伝説の「熱湯風呂」の裏側を告白!たけし軍団内の上下関係でひと悶着あり!
日本テレビ系列で伝説的な人気を博した、ビートたけしが総合司会を務めていた「スーパーJOCKEY」に、もちろん松尾伴内も出演していました。名物コーナー「熱湯コマーシャル」から生まれた「熱湯風呂」は、今でもバラエティ番組の種目として欠かせない仕掛けです。
AbemaTV「日村がゆく」では、MCのバナナマン日村勇紀が、その「熱湯風呂」をテーマにトークを展開。ゲストに「熱湯風呂」で鍛えられた松尾伴内とガダルカナル・タカを招き、その舞台裏の秘話やエピソードをたっぷりと聞きました。この「熱湯風呂」で名を馳せた元祖リアクション芸人松尾伴内は、熱湯風呂誕生の場に居合わせていた様子です。
曰く、「プロデューサーの『何度くらいからが熱湯か』という質問に、たけしさんが『軍団の連中は芝居ができねぇから湯は熱くていいんだ』と返してた」。実際に「スーパーJOCKEY」がスタートしてから、「『あっ!このことを言ってたんだ』と気づいた」そうで、メチャクチャなノリで始まったことが明かされました。実際の湯の温度は、ガダルカナル・タカを「この雑な状況だから最初はやたらに熱かった」「もうお湯じゃない。油だと思った」と言わしめるほどの熱さだったそうです。
悪ノリで突っ走る、当時の制作の雰囲気が伝わってきますね。松尾伴内はまた、読売テレビ「マヨなか笑人」に、ガダルカナル・タカとつまみ枝豆とともにゲスト出演。3人は、「たけし軍団」のパワーバランスを図で解説しようとしますが、軍団内での上下関係の解釈でひと悶着が勃発します。
「自分は2人より早く弟子入りした」と主張する松尾伴内に対して、ガダルカナル・タカとつまみ枝豆両名が「俺らが芸歴は上」と反論。そのほかにも、世間を騒がせた「フライデー襲撃事件」の裏話が語られるなど、番組は終始盛り上がりました。松尾伴内は個性が強いキャラではないものの、「細く長く」芸能界で生き続けるという芸人の鑑と言うべき存在です。
腰も低く、大御所やテレビ局にとって共演しやすいお人柄なのでしょう。「チュルリラ」な乙女ファッションが高じて、神戸コレクション2015にもデビューするなど、活動範囲を広げている今後の活躍に注目です。