三木谷浩史 経歴、その評判、年収、資産は?妻、子供は?30億円大豪邸に堀江貴文が苦言を呈した理由はとは?   

2020年3月5日 更新

三木谷浩史 経歴、その評判、年収、資産は?

三木谷浩史 華々しい経歴と否定的な評判

日本を代表する実業家として有名な三木谷浩史は、1965年3月11日、兵庫県神戸市出身の50歳。楽天株式会社の創業者で、現在は、代表取締役会長兼社長を務めています。

そんな三木谷浩史の経歴はまことに華々しいもので、「エリート」という言葉が似合っています。三木谷浩史の経歴は、経済学者の三木谷良一の次男に生まれ、1988年に一橋大学商学部を卒業し、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。1993年にハーバード大学経営大学院を修了し帰国した後、1995年、日本興業銀行を退社して、楽天を創業し、会長に就任しました。2004年にはプロ野球新規参入を表明し、ライブドアとの競争の末、楽天のプロ野球加入が認められて球団オーナーとなり、現在も東北楽天ゴールデンイーグルス会長兼球団オーナーなどを兼任しています。

楽天を育て上げた立志伝の人物である三木谷浩史ですが、その評判は、賛否両論というより「ワンマン経営者」、「やり方がせこい」など否定的な内容のほうが多いように見受けられます。しかし、楽天を立ち上げたときはゼロからのスタートで、苦労の連続だったと聞きます。否定的な評判が多いのは、新たな道を切り開く者の宿命なのでしょう。

三木谷浩史 年収は?資産は世界でも指折り?

気になる三木谷浩史の年収ですが、本人が公開しているわけでないので推定ですが、おそらく1億円は下らないと思われます。ただ、某週刊誌が2年前に公開した「年収1億円以上稼ぐ社長・役員実名ランキング」という企画記事で、日本企業の社長・役員の年収がリストアップされていますが、97位の1億5600万円までに、三木谷浩史の名前が登場しないのです。ということで、三木谷浩史の年収は、その当時で1億5600万円未満とも推定されます。

「産業競争力会議」で議員として出席していた三木谷浩史は、そのことに不満があったのか「日本は社長の給料が低すぎる」と発言したことあります。しかし、こと資産となると、Wikipediaによれば、2008年にはフォーブス誌の日本人富豪ランキング8位にランクイン、38億ドル(約4000億円)保有していると報じられ、翌2009年には36億ドル(約3384億円)で7位、2010年は47億ドル(約4277億円)で6位、2011年には56億ドル(約4648億円)で5位にランクイン。2015年には68億ドル(約1兆400億円)で3位に上がっています。

要するに、年収はさておき、三木谷浩史の資産額は世界でも上位5位に入るのだということです。

三木谷浩史 妻、子供は?30億円大豪邸に堀江貴文が苦言を呈した理由とは?

三木谷浩史 妻は楽天市場拡大の功労者

三木谷浩史は、妻である晴子と、職場恋愛の末に結婚しました。その三木谷浩史と妻との間に、子供は長男が1人と言われています。妻、晴子の父親は、農水省の官僚で、晴子自身も上智大学に入学し、大学在学中にはアメリカ留学も経験。妻の弟には、外食産業を手がけるグラナダの創業者、下山雄司もいます。そんな妻の晴子は、三木谷浩史と日本興業銀行のテニス部で知り合ったのが結婚のきっかけでした。

三木谷浩史夫婦は、ともに高い学歴を持ち、誇るに足る家族がいるという共通点を持っているのです。また、妻の晴子は、楽天市場を拡大した功労者として、三木谷浩史を支えてきました。楽天市場のスタートした、1997年の出品店舗はわずかに13店舗。今と比べると信じられない小規模ですが、インターネットの普及が始まったころで利用者数もそれほど多くありませんから、無理もないでしょう。

また、当時のインターネット上のショッピングモールは、専門的なプログラミングの知識が必要であり、出品や編集を行うにはハードルが高い環境でした。そこで、広報を担当していた晴子は「情報は生もの。新鮮な情報を提供することが今後の成長のカギ」というビジョンで、顧客を開拓していきました。その過程で、ワープロさえ入力できれば誰でも編集できるシステムができあがり、誰もが出品しやすい環境が整備されていったのです。

かつてインタビューに答えて「何でもあるショッピングモールにするのが目標」と語っていた三木谷浩史の妻の晴子。目標どおり、楽天市場は、日本最大級のネットショッピングモールに成長しました。三木谷浩史の経営者としての経歴に、妻・晴子の活動があったことを欠かすことはできないでしょう。

三木谷浩史 30億円豪邸にホリエモン「スケールが小さい」

三木谷浩史は、渋谷区の高級住宅街に、推定30億円の豪邸を建築しました。近隣には、財界人、有名芸能人などが多く住む日本有数の高級住宅街。その30億円大豪邸の広さは270坪にもわたるようです。昨年10月の情報番組で、ゲスト出演したホリエモンこと堀江貴文がこの話題に「なんでこんなん買うのかなって思った」とコメントし、話題となりました。

続けて、堀江貴文は「なんか、日本のIT起業家の人たちってつまんねえなと思った」と苦言。苦言の理由は、金の使い道は、人類全体に夢を与える事業に投資すべきということでしょう。GoogleやAmazonなど米国の起業家は、宇宙開発や電気自動車開発に出資しているという事例を挙げ、「三木谷さんが豪邸に23億円(注:番組では23億円と表記していた)っていうのは、スケールが小さすぎ。俺が人類の夢に投資するんだと言って欲しいのに、23億円あるんだったら他に使う場所があるんじゃないか」とバッサリ切り捨てました。

三木谷浩史と堀江貴文は、2004年のプロ野球新規参入を巡って火花を散らした間柄。堀江貴文はTwitterでも三木谷浩史に文句を言い、知り合いである、楽天ゴールデンイーグルス社長の立花陽三経由で「たまには褒めてよ」と言われたなんていうエピソードもあるようです。堀江貴文の発想も面白いですが、なにか三木谷浩史に一方的な対抗心がくすぶっているのかなとも見受けられます。

三木谷浩史 度重なる現場介入が田代打撃コーチ退団劇の原因?

7月30日、東北楽天ゴールデンイーグルス・田代富雄打撃コーチが退団しました。シーズン途中の異例の退団で、表向きはチームの打撃不振の責任を取る形となっています。しかし、田代コーチの退団劇の原因は、実は球団オーナーである三木谷浩史の度重なる現場介入とされているのです。

元横浜大洋の主力打者として活躍した田代コーチですが、打撃指導でも優れた手腕を発揮し、実直な人柄とあわせて選手たちからの信頼が厚い人物。その田代コーチの語るところによると、再三再四にわたる三木谷浩史の「鶴の一声」には目に余るものがあったようです。

たとえば、大久保博元監督とともに懸命に考えた先発オーダーをひっくり返された、代打や走塁にまで口出しされたなどなど。ある試合では、投手・捕手両方交代をさせ、捕手がベンチ裏で荒れるなど異様な雰囲気が漂っていたといいます。こうしたことは、以前から続いていたようで、田代コーチは昨シーズン限りで退団することを決めていましたが、周囲からの慰留で、引き続き今シーズンも楽天での指導を行っていました。しかし、ついに今回堪忍袋の緒が切れたというわけです。

それにしても、三木谷浩史は、それほど現場に口出しするような人物なのでしょうか?有能で合理的な経営者として知られる三木谷浩史が、野球チームのオーダーや采配一つ一つに口出しするというのはかなり異常です。
ここで、三木谷浩史と対照的な姿勢が、ソフトバンクのオーナーである孫正義。孫正義は、チームに限りない愛情を注ぎ「金は出すが口は出さない」タイプです。楽天も孫正義がオーナーだったらずっとやりやすいことでしょう。想像ですが、三木谷浩史は、こと野球となると「俺が俺が」としゃしゃり出てしまうタイプなのではないでしょうか。とすれば、合理的な経営感覚だけでなく、人間臭いところもあるようです。

しかし、野球も、通常の企業経営と同様に、現場が権限を持たないと崩壊してしまうスポーツですから、三木谷浩史もそのあたりをわきまえるべきです。今回の件で、田代コーチという有能な人材を失っただけでも、重大な損失。ともかく、三木谷浩史は、日本有数の優れた実業家である反面、プロ野球楽天ではまだ経営者として勉強することが多いということがはっきりしています。

今後の、実業家かつプロ野球経営者としての三木谷浩史の動向と才覚に注目が集まります。

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