三波伸介(初代)の死因は何?「笑点」を盛り上げた名司会者の最期

三波伸介(初代)の死因は何?「笑点」を盛り上げた名司会者の最期

三波伸介(初代)は絶頂期の52歳の時、解離性大動脈瘤破裂で急死!

三波伸介(初代)は、昭和を代表するコメディアンにして、テレビスター。1970年から、日本テレビの長寿番組「笑点」の司会を担当したことで、三波伸介の知名度やランクが一気に上がりました。その後は、さまざまなバラエティ番組の司会者という、新たな分野で活躍した三波伸介。NHKの「お笑いオンステージ」では、「減点パパ」のコーナーが、大人気となりました。

またフジテレビでは、「スターどっきりマル(秘)報告」や、「夜のヒットスタジオ」の司会も務めた三波伸介。日々、多忙を極めていたことは間違いありません。そして、1982年12月8日、三波伸介は、自宅の居間で倒れ、そのまま帰らぬ人となります。死因は、解離性大動脈瘤破裂で、まだ52歳の若さでした。三波伸介は下戸で、酒は飲まなかったようですが、忙しくなるとともに、さらに太ってしまい、おまけに煙草は日に3箱、コーヒーも大好きだったためか、体にかなり負担がかかったのでしょう。

三波伸介の死に際して、てんぷくトリオのメンバーだった伊東四郎は、「体がまだ温かいんですよ。温かいものだから死んだ気がしなくて……。寄らば大樹の陰で、私などは彼のおかげでここまで来られた。(てんぷくトリオは)もう1人になってしまったんだなぁ……」と、号泣したそうです。

三波伸介(初代)の「てんぷくトリオ」は「びっくりしたなぁ、もう」で大ブレイク

三波伸介(初代)が世に出るきっかけとなったのは、お笑いグループ「てんぷくトリオ」。スナック菓子「カール」のキャラクター、カールおじさんと同じようなメークをして、「びっくりしたなぁ、もぅ」というギャグを放つ、三波伸介率いる3人組のコントグループこそが「てんぷくトリオ」でした。

1960年代の終わりには、一世を風靡した「てんぷくトリオ」のメンバーは、三波伸介、戸塚睦夫、そして今も現役で活躍している伊東四郎です。てんぷくトリオは、順調に活動していましたが、1973年、戸塚睦夫が肝硬変により42歳で急死し、その後は、三波伸介、伊東四郎それぞれが、ピンのコメディアンとして活動を始めました。

三波伸介(2代目)を襲名した息子も似顔絵がウマイ!現在の活動は?

三波伸介(2代目)は初代の死後、俳優として注目されていた?!

三波伸介(2代目)は、三波伸介(初代)の息子で、1964年生まれ、52歳のコメディアン。実は、三波伸介(初代)の有名なギャグ「びっくりしたなぁ、もう」は、2代目の、子供の頃の口癖だったそう。初代が、オーバーな顔芸と合わせて大うけし、以後、使うようになったそうです。三波伸介(2代目)は、大学に入った年から、初代の身の回りの世話を言い渡されますが、その半年後、三波伸介(初代)は急逝。

これは、無意識にも、三波伸介(初代)が、自分の芸を学ばせるだけでなく、息子を、業界にお披露目しておこうという気持ちがあったからかもしれません。三波伸介(2代目)は、初代の死後、1986年、人気コミック「まんだら屋の良太」の映画化で主演を務め、1989年のNHK大河ドラマ「春日局」では、松平伊豆守信綱役という大役を演じます。また、2003年のNHK連続テレビ小説「てるてる家族」では、三波伸介(初代)をモデルにした役で登場し、初代にそっくりと評判を呼びました。

三波伸介(2代目)は初代の大きすぎる存在に人知れず苦悩の日々

三波伸介(2代目)に関して、ここで1つ疑問が浮かびます。三波伸介(初代)が亡くなったのは、1982年。漫才ブームの後を受け、お笑い界では、「俺たちひょうきん族」のビートたけしや明石家さんまなど、新たなお笑い芸人たちが一斉に登場します。しかし、ほぼ同世代で、親の七光りもあり、演技も歌も、おまけに、初代と同じで絵もうまい三波伸介(2代目)は、どういうわけか旅回りの一座で、歌手やコメディアンとして過ごし、新たなお笑いの潮流を避けるようでした。

実は、三波伸介が2代目を襲名したのは、2009年のことです。今は、喜劇専門劇団「萬天舘」の座長として、新しい東京喜劇の確立を目指しています。三波伸介(2代目)は、長い迷走期を経て、初代の原点だった、東京喜劇の道を、やっと選んだのかもしれません。

三波伸介(初代)が久々に「お坊さんバラエティぶっちゃけ寺」に登場!?

三波伸介(初代)が亡くなって、34年の歳月が過ぎた今、久々に三波伸介の名を、テレビ欄に見ました。テレビ朝日「お坊さんバラエティぶっちゃけ寺 3時間SP」です。それは、三波伸介(2代目)が出演し、初代のさまざまな遺品整理をどうしたらいいかという相談を軸に、初代の活躍を偲ぶという内容でした。テレビを見ていた、三波伸介(初代)を知っている人誰もが、2代目が、いかに初代に似ているか驚いただけではありません。

父である三波伸介(初代)と同じ芸能の道を歩んできた2代目が、これまでどれだけ、親の存在の大きさに苦しみ悩んできたかを、感じずにはいられませんでした。番組を通して、もう1つ面白いことが分かりました。1960年代から1970年代にかけて、日本のお笑い界は、進駐軍相手にバンドや歌手をしていたミュージシャンや、新宿や浅草の芝居小屋出身のコメディアン、落語家が主流でした。つまりは、クレイジーキャッツや、ザ・ピーナッツ、渥美清や、コント55号、立川談志や、古今亭志ん朝、そして、三波伸介(初代)率いたてんぷくトリオなどが、人気を誇っていたということ。

しかし、ドリフターズの登場や、1980年から1982年の漫才ブームを経て、ビートたけし、明石家さんま、タモリなどが現われたことで、日本のお笑い界は、1980年を境に、戦無派の芸人たちへと大きく入れ替わったということです。1982年、三波伸介(初代)の突然の死は、ある意味、日本のお笑い界における、エポックメーキングであったかもしれません。

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