宮川大輔「お祭り男」日本テレビ意外のレギュラーは?嫁は例の噂に耐えられる?

宮川大輔、ついに不死身のゾンビとなる

宮川大輔、ゾンビのような芸能生命力

「ワッショーイ!」「うまいっ!」などと叫びまくり、黒縁メガネにししゃものようなしゃくれ顔。やたらテンション高く、京都なまりの関西弁でまくしたてる宮川大輔は、中堅お笑いタレントとして、今や不動の地位を確立しています。

つい先日も、後輩芸人である品川ヒロシ監督、哀川翔主演映画「Zアイランド」で、絶対死なないゾンビマスター役の出演が発表され、今や絶好調の宮川大輔ですが、彼は決していきなりブレイクしたわけではありません。大阪から出てきて、ここまで来るまでには長い道のりがあったようです。

宮川大輔、大阪の夢は夢のまた夢

宮川大輔。1972年生まれ42歳。1991年に、今はピンで活動しているほっしゃんこと星田英利と、チュパチャップスを結成。大阪ではダウンタウン以後、若手漫才師たちが大人気でした。吉本の方針で、彼らも他の漫才コンビたちとともに、吉本印天然素材というユニットを作ります。彼らの他、メンバーには、ナイティナインをはじめ、雨上がり決死隊、FUJIWARA、バッファロー吾郎、へびいちご(すでに解散)が参加しました。現在では、ほとんど全員が東京進出を果たし活躍していますが、当時、大阪での人気は10年と続かず、チュパチャップスも1999年に解散。宮川大輔は、役者の仕事をめざしますが、2001年、東京新宿にルミネthe吉本が出きてからは、新喜劇にも出演するようになります。彼は、ダウンタウンや、東京に出て早くも成功したナイティナインの引きもあり、単発でバラエティに出たり様々な映画にも出演し、ある程度注目を集めますが、以後10年間は、不遇の時代であったといえるでしょう。

宮川大輔、すべらない話でイッテQ

宮川大輔は、「すべらない話」で二度とすべらない

そんな中出演した「人志松本のすべらない話」では、自らの思春期体験を、独特の擬音を繰り返しエキセントリックに語ることで、その存在を強くアピールしました。2000年代後半からは、日本テレビとの縁が深く、「満点☆星空レストラン」や「世界の果てまでイッテQ」、「笑神様は突然に」など、順調にレギュラーを増やしていきました。
自らが役者を目指したように、その性格は熱く、極端で危ういものもあるらしく、バイセクシャル疑惑やご乱行が取り沙汰されたこともありましたが、決してそれを否定することもないところが、腰の据わった芸人たる由縁でしょう。大阪時代に若くして結婚した奥さんは、度量があってさばさばした性格らしく、2010年には子どもにも恵まれ、夫婦生活も円満とのことです。
宮川大輔、お祭り男はどこまでもイッテQ
宮川大輔は、優れた身体能力のもち主でもあります。最近も「世界の果てまでイッテQ」のロケで、お祭り男の本領を発揮しました。オーストラリアで行われた、ボブスレーコースを中華鍋で滑走するレースにエントリーした彼は、たった1回の練習だけで決勝進出を果たし、地元マスコミや人々から大喝采を受けたのです。世界の祭りに飛び込みで参加して入賞したのはこれだけに限らず、スタッフや視聴者の期待を絶対に裏切らない、体を張った芸人魂も評価されている点なのでしょう。
変態元気芸人宮川大輔は、今日もどこかで叫んでいます。ワッショーイ!

宮川大輔の出身地、京都府京都市ってどんなとこ

宮川大輔の出身地、京都府京都市はクールジャパンを目指す

京都府京都市は、言わずとしれた千年の都。春夏秋冬、観光客が途切れることはなく、ここ数年は外人観光客が増えて、年間5000万人以上の観光客が訪れています。中でもゴールデンウィークから夏の祇園祭にかけては、京都観光のピークとなります。
京都はまた、関西有数の学生の町でもあります。京都大学をはじめ、同志社、立命館など有名私立大学が数多くありますが、最近注目なのがマンガ学科を持つ京都精華大学です。京都市と共同運営する京都国際マンガミュージアムを開設し、クールジャパン推進の一翼を担っています。横浜でイギリス人・C.ワーグマンが発行していた「ジャパン・パンチ」というイラスト雑誌や、日本人が刊行した最初の漫画雑誌とされる「絵新聞日本地」、日本最初の子供向け漫画雑誌とされる「少年パック」など、どれも明治初期の貴重な資料を所蔵しているだけでなく、マンガにまつわる様々なイベント展示やワークショップを開催しています。いかにも新しもの好きの、京都らしい取組みといえます。

宮川大輔の出身地、京都府京都市の漬物は、やっぱりすごかった

京都のグルメやお土産は数知れずですが、他府県から来られる人にとって京漬物は、やはり、特別洗練されたイメージがあるようで、多くの老舗やニューウェーブの漬物が人気を競っています。ちなみに伝統的な京漬物には、塩漬け、粕漬け、みそ漬けがあり、糠漬けは意外に新しく、江戸時代以降のものだそうです。
京の三大漬物をお教えしましょう。まず1つ目は、かぶらを薄く切り昆布と漬けた「千枚漬け」。今から140年前、宮中に仕えていた大藤藤三郎が、漬物店「大藤」を興して売り出したのが起源で、明治23年、京都で開催された全国博覧会で名物番付に入選。「京に千枚漬あり」と全国に知られるようになりました。二つ目は、上品な酸味が後をひく「すぐき」。京都・上賀茂神社の社家が桃山時代に、すぐき菜というかぶらの種を入手し、社家の屋敷で作っていたことから「屋敷菜」、また京都御所から種子を賜ったことから「御所菜」という格式高い名称で呼ばれていました。そして三つ目が、茄子や胡瓜などに茗荷、赤紫蘇を加えて塩漬けした「しば漬け」。平家滅亡後尼となった建礼門院をなぐさめるため、村人が紫蘇で漬けた野菜を献上したのがしば漬の始まりといわれ、里の大原女が、頭に柴をいただき売り歩く姿にちなんで「しば漬」の名が付いたとされています。漬物1つにも、これだけの所縁がある京都は、やはりさすがですね。

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