中森明菜の現在!伝説の歌姫は表舞台から姿を消しても残像濃く

中森明菜の現在!伝説の歌姫は表舞台から姿を消しても残像濃く

2022年5月26日 更新

中森明菜の現在の姿に迫る!活動休止でも伝説の歌姫は残像濃く

中森明菜の現在!伝説の歌姫は表舞台から姿を消しても人気は衰え知らず

中森明菜は、1980年代の名立たるアイドルの中でも、異彩を放った伝説の歌姫です。1982年に「スローモーション」でデビューして以来、楽曲の選定や振付け、ファッションに至るまで自分のこだわりを貫き、1986年の「DESIRE」で頂点に輝いた中森明菜。無期限の活動休止を発表した2010年10月以来、2014年大晦日の紅白歌合戦で4年間の沈黙を破り、ニューヨークからの生中継による出演を果たした時には、往年のファンが歓喜したものでした。

51歳となった2016年末に開催された全7公演のディナーショーは、1時間のライブで4万円以上のチケットだったにもかかわらず、わずか数分で完売。ひと頃から歌声の劣化が目立つようにはなりましたが、常に復活熱望論が止まないほど、人々は中森明菜の姿を追い求めています。

中森明菜の体調不良と活動休止には積年の人間不信があった!?

中森明菜は、2010年10月、過労による免疫力低下のため安静が必要と診断されたという理由で、無期限の活動休止を発表しました。症状としては、帯状疱疹を発症していたとも、後にうつ病を併発したとも伝えられています。2013年には、交際相手のマネージャーと同棲するマンションで、引きこもり生活を送る様子もスクープされていますが、それらは全て、長年の芸能生活で蓄積された人間不信の成れの果てではないかと思われます。

ことの始まりは、1989年7月、当時交際中だった恋人・近藤真彦の自宅マンションで起こした自殺未遂騒動でした。同年末には、2人の婚約会見と言われて連れて行かれた会場が、実は謝罪会見の場だったため、さらに絶望の淵に立たされることになったとされています。

その傷が癒えぬまま、歌手活動だけではなく、ドラマ主演なども精力的にこなしていた中森明菜でしたが、制作上の意見の食い違いによる移籍トラブルや、虚実ないまぜのゴシップ記事が誌面に乱立する日々。次第にやせ細っていく姿は、誰の目から見ても明らかでした。

中森明菜のプロフィール!家族との確執は今も続く

中森明菜は貧しい家族のために「スター誕生」へ!

中森明菜は、1965年7月13日、東京都大田区に、6人兄弟の5番目、三女として生まれました。間もなく清瀬市に移り住んだ中森家は、大家族だったためか、ひどく貧乏でした。幼い頃は保育士を夢見ていた中森明菜ですが、家族を喜ばせたいとの思いで、歌手を目指すようになります。

中学生になり、伝説の新人発掘番組「スター誕生」へ応募しはじめた中森明菜は、3度目の本選挑戦となった1981年、16歳の時に、山口百恵の「夢先案内人」を歌って、計11社からのスカウトを受けることに。在学していた明治大学付属中野高校定時制を中退し、1981年に「スローモーション」でデビューしてからというもの、2曲目の「少女A」でブレイクを果たすと、瞬く間に人気歌手としてトップに躍り出ました。

中森明菜は自ら家族と絶縁して孤独に!今も続く確執の裏事情とは?

中森明菜の夢を誰よりも純粋に応援していたのは、かつて歌手を志していたという母・千恵子でした。中森明菜がレコード大賞を受賞した際にも会場に駆けつけるなど、母とは深い絆で結ばれていたようです。しかし、母が1995年に亡くなる前に、中森家から戸籍を抜き、家族と絶縁してしまったそうです。

週刊誌に掲載された父・明夫のインタビューによると、中森明菜は、飲食店を経営する家族が、自分が稼いだ金を使い込んでいると誤解し、離れていったとのこと。もともとは、家族の生活を楽にするために歌手になったはずでしたが、それほどに人間不信は深刻だったということかもしれません。

しかし、中森明菜が自著で「家族の愛情を受けずに育った」と漏らしていることや、亡き母が、中森家ではなく実家の墓に入っていることからも、複雑な事情が垣間見られます。20年以上が経った今も、中森明菜が家族との縁を絶って孤独を選ぶ理由は、単純に心の病で片付けられるような話ではなかったのかもしれません。

中森明菜が殺到する出演オファーを断り続ける本当の理由!

中森明菜が第一線を退いてからしばらく経ちます。それにもかかわらず、CD不況が叫ばれる中でリリースされたベストアルバム「オールタイム・ベスト」が25万枚のセールスを記録するなど、音楽業界での存在感は薄れてはいません。しかし、2014年末の紅白歌合戦へのサプライズ出場や、翌年のニューアルバム&新曲発売で復帰の兆しを見せつつも、一向に完全復活の気配がないのが現状です。

実は今、中森明菜には、音楽番組やバラエティ番組などの出演オファーが、50本以上も殺到しているといいますが、本人が頑なに拒否しているといいます。それほどに心身の病状が芳しくないのかと想像してしまいますが、2016年にはディナーショーを開催。

2017年3月には海外でのバカンスも楽しんでいたそうです。体調に問題がないならば、一刻も早く……と願うのがファンの心情かもしれませんが、中森明菜にとって、人一倍に険しかった芸能界のいばらの道は、払っても払いきれないトラウマなのかもしれません。

それでも、2017年5月には米国サンフランシスコでのレコーディングも予定しているといいますから、歌への愛情は抱き続けているのでしょう。晒し者になるより、たとえ高額なディナーショーであっても駆け付けてくれるような純粋なファンの前のみで歌い続けるという選択は、薄幸にも見える中森明菜が選んだ、唯一の幸せなのかもしれません。

関連記事

ページ上部へ戻る