夏目漱石の病気・神経症の症状が壮絶!死因は何だったの?

夏目漱石の病気・神経症の症状が壮絶!死因は何だったの?

夏目漱石は実は病弱だった!神経症を患ったすさまじい闘病生活とは

夏目漱石は、少し前まで日本国の千円札に使われていたほど有名な文豪です。たくましい口髭と、凛々しい眼差しの写真を、国語の資料などで見かけたことのある人も多いと思います。そんな夏目漱石ですが、実は非常に体が弱く、病気がちでした。

昔から、神経質で癇癪持ちであった夏目漱石は、ストレスに耐性が低かったといわれています。現代の医療技術から考えると、実はうつ病と統合失調症の気があった可能性まで浮上している夏目漱石。壮年期に、国費留学生となって英国文学研究のために渡英しますが、そこで、人種差別に悩み、日本人が英文学を学ぶ意味に迷います。帰国後、当時の一高と東京帝国大学という一流の学校で教鞭を取ることになった夏目漱石は、生徒を厳しく叱責してしまいました。

その後、その生徒が自殺してしまったことから、夏目漱石は、いよいよ本格的な神経症の症状を表わします。家では家族にキレて八つ当たり、外でもレストランの客と喧嘩するなどということは日常茶飯事でした。繊細過ぎたといえばそれまでですが、これをきっかけにさまざまな病気を呼び込んでいきます。夏目漱石の晩年は、健康であった時期のほうが少ないほどでした。

夏目漱石の死の原因はいったい何だったのか?

夏目漱石は、ストレスに弱く、非常に神経過敏でした。そのため、過食や、糖分依存などに陥り、胃腸に負担をかけすぎたともいわれています。この過食行為の結果、夏目漱石の胃の消化機能は、低下の一途をたどりました。夏目漱石の直接の死因は、腹部の膨大な内出血によるものとされていますが、その遠因となったのが胃潰瘍でした。

夏目漱石は、死ぬまでに、5回以上大きな胃潰瘍を患っています。最初はそこまで深刻ではなかったのですが、ストレスに弱い夏目漱石の性格と神経症とが治療の効果を妨げました。ストレスを解消するために大食いをし、甘いものを食べる夏目漱石。時には、ジャムをそのまま瓶からすくって舐めていたようです。

このような食事の仕方が、胃酸の過剰な分泌と、胃壁の異常を呼び、複数回の胃潰瘍を再発。晩年の夏目漱石は、消化機能の衰えた胃の影響で痔を患い、さらに糖尿病まで併発させてしまいます。医者の助言から、夏目漱石は、伊豆の修善時に療養に赴きますが、そこで800ccにも及ぶ血を吐いてしまいました。

これが俗に言う「修善時の大患」です。夏目漱石は一命をとりとめたものの、その後ほどなくして腹腔内の大量内出血を引き起こし永眠します。ストレスは万病のもと。夏目漱石は、文豪ゆえに、逃れられなかったのでしょう。

夏目漱石と正岡子規、高浜虚子の交友関係が興味深い!

夏目漱石と正岡子規の深い交友関係とは?

夏目漱石は明治時代を代表する文豪ですが、実は、意外な人と交友がありました。その交友相手の1人が正岡子規です。夏目漱石は、1889年(明治22年)、正岡子規が編集した詩集「七草集」が縁で知り合いました。正岡子規はもともと漢学者の家の生まれで、漢詩と俳句に造詣が深かったのですが、夏目漱石も漢文が得意でした。

「七草集」に寄せた夏目漱石の漢文に興味を示した正岡子規が、夏目漱石に近づいたことで、2人は、文学仲間として意気投合。当時は、金之助という本名で活動していた夏目漱石は、このときに、正岡子規が中国の古文から引用した「漱石」という言葉を筆名にしています。正岡子規なくして夏目漱石は生まれなかったともいえるでしょう。夏目漱石は英文学を専攻しましたが、漢文も同じように愛し、また、自ら作成してもいました。

正岡子規は、夏目漱石の漢詩が、リズムも発音も優れていることに驚嘆したといいます。夏目漱石が英国に留学している間に、病床で没した正岡子規は、帰らぬ人となりましたが、その友諠は、手紙を交わす中で最後まで変わらないままでした。

夏目漱石と高浜虚子の関係!実は「坊ちゃん」は高浜虚子の改作だった?

夏目漱石は、漢詩と俳句に長じていたことから、正岡子規との友情を深めることになりました。そこにもう1人、夏目漱石と関わりの深い文豪が登場します。その文豪とは、高浜虚子。正岡子規と同じく、愛媛県松山市の出身です。正岡子規からは俳句のイロハを教わり、京都で大学生活を過ごすも、東京に上京した高浜虚子。正岡子規を頼って生活しながら、俳句誌「ホトトギス」の運営に携わり、夏目漱石には、俳句を投稿してもらったりしていました。

やがて、夏目漱石は、高等師範学校の英語嘱託となり、東京から松山に中学校教師として赴任します。この時の経験をもとに、夏目漱石は、小説「坊つちゃん」を一気に書き上げました。しかし書き上げはしたものの、根が神経質な夏目漱石は、作中の松山方言が正確かどうか気になり、高浜虚子に添削を依頼。高浜虚子は快諾して、方言の添削をしました。

しかし後世の研究によれば、この時の添削が、直しというよりは改変にまで及んでいる可能性が高いという結果が出ています。私たちが読んだ「坊つちゃん」は、もしかしたら高浜虚子と夏目漱石の意図せぬ共作なのかも知れませんね。

夏目漱石がドラマ「夏目漱石の妻」で新解釈?これからの日本にどのような影響を与えていくのか?

夏目漱石は、何といっても日本の近代文学の礎を築いた人間の1人です。夏目漱石の文学は、今の人々には読みにくいところが多少あるとしても、ユーモアに富んでおり、読者の心をつかんでやみません。「吾輩は猫である」「三四郎」「坊つちゃん」「こころ」「それから」という題名を、これまで1つも耳にしなかった人はいないでしょう。

国語の教科書にも必ず出てくる夏目漱石は、現代の学生たちに、文章の持つ味わい深さを教えてくれます。最近では、夏目漱石の妻・鏡子が残した作品「夏目漱石の思い出」をベースにしたドラマ「夏目漱石の妻」が、NHKで放映され、話題を呼びました。

今まで、夏目漱石の妻といえば、夏目漱石が残した文章などから「悪妻」と理解されているのが一般的でした。夏目漱石曰く、妻は朝早く起きることができず、家事もできず、不器用で、すぐ感情的になる役立たずだ、と。しかし、今回のドラマ「夏目漱石の妻」では、物語の目線を妻に移しています。その結果、自由気ままで、溌剌とし、人間味に溢れた鏡子(尾野真千子)が、神経症の夏目漱石(長谷川博己)を見捨てずに最後まで付き添っていく、というヒューマンドラマに仕上がりました。

現代的なDV夫として描かれている夏目漱石。これには、夏目漱石も、草葉の陰から苦笑いしているかもしれませんね。夏目漱石が亡くなって100年となる今年は、NHKのBSプレミアムで、豊川悦司が夏目漱石に扮する「漱石悶々」が12月10日に放映されるなど、映像作品も続きます。夏目漱石は、手を変え品を変えながら、これからもずっと、日本人の心の中で生き続け、語られ続けていくでしょう。

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