新渡戸稲造は旧5千円札の肖像!日本の教育を変えた思想家の願いは“太平洋の架け橋”

農業経済学や農学の研究も行っていた、日本の教育者・思想家である新渡戸稲造(にとべいなぞう)。国際連盟事務次長や東京女子大学初代学長なども務めました。また、著書のひとつとして有名な「武士道」は流暢な英文で書き上げられた名著で、現代にまで読み継がれています。

ただ、なんといっても「新渡戸稲造」と聞いて真っ先に浮かぶのは「旧5千円札」でしょう。現在の5千円札よりも、まだまだこちらの方が馴染み深い人は多いのではないでしょうか。

新渡戸稲造はお札の顔!旧5千円札の肖像画で有名

1984年11月1日に発行された、D号券・五千円紙幣の肖像画として採用された新渡戸稲造。D号券の肖像からは名だたる文化人が採用されるようになり、現在は一万円札に福沢諭吉、五千円札に樋口一葉、千円札に野口英世。そして2024年上期からの発行が発表されたE号券でも、一万円札に渋沢栄一、五千円札に津田梅子、千円札には北里柴三郎の肖像が採用されています。

当時、五千円札の肖像画には女性を採用することで見解が一致し、女性らしい清純さをアピールする目的から、紫式部や与謝野晶子、清少納言などが候補に挙げられていました。

しかし、紫式部や清少納言は写真自体がなく、与謝野晶子は反戦歌を作ったことや、当時国会議員を務めていた与謝野馨が孫であったことなどを理由に、見送られています。また、現在の五千円札で肖像に採用された樋口一葉も候補に挙がりましたが、24歳没と短命であったことを理由に、採用には至りませんでした。

最終的に新渡戸稲造に決定したのは、東京女子大学の初代学長を務め、特に女子教育に力を入れていたことが評価されてのことだったようです。ちなみに、五千円札に描かれている新渡戸稲造はお祝い事に使う白いネクタイを締めていますが、この写真は55歳の時に養女・こと(琴子)の結婚式で撮影されたものなのだそう。

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北大の前身・札幌農学校の二期生として入学!

15歳になった新渡戸稲造は、現在の北海道大学の前身である札幌農学校の二期生として入学しました。あの「少年よ大志を抱け」という名言で有名なクラーク博士が教師として赴任した学校ですが、当時はすでにアメリカへ帰ってしまった後で、新渡戸稲造を含む二期生とは入れ違いになってしまったようです。

さぞ優等生だったであろうことが想像できる新渡戸稲造ですが、なんとあだ名は「アクチーブ」だったとか。これは「活動家」という意味で、何かと小競り合いや問題を起こしては教授と論争になり、ついには殴り合いにまで発展することもあったところから付いたあだ名です。

写真や残された言葉からは冷静沈着な印象を受ける新渡戸稲造が、若かりし頃はそれほどアツい人物だったとは、意外ですね。

「武士道」は現代にも読み継がれる名著

教授として札幌農学校に赴任することとなった新渡戸稲造。彼の初著作となった「日米通交史」が出版されるやいなや、同校から名誉学士号という立派な称号を得ました。

しかし、妻とそろって体調を崩していた新渡戸稲造は札幌農学校を休職せざるを得なくなり、アメリカ・カリフォルニア州へ移って療養に徹しました。アメリカでの静養を選んだのは、新渡戸稲造が1891年に30歳で結婚した妻がアメリカ人だったせいもあるのかもしれません。

このアメリカでの静養中に見事な英文で書き上げたのが、有名な「武士道」です。同書は、留学先で「日本人は宗教教育なしに、どうやって道徳を学んでいるのか」と問われた新渡戸稲造が、その答えとして著したものです。「武士道は、日本の象徴である桜花とおなじように、日本の国土に咲く固有の華である」とし、日本の礼や義、誠など、武士道精神につながる日本人の思考を欧米社会やキリスト教との対比も交えながら、外国人でも理解できるよう論理的にまとめられています。

ちょうど日清戦争における日本側の勝利などで、海外からの日本および日本人に対する関心が高まり始めていた時期だったこともあり、1900年に同書の初版「Bushido: the soul of Japan」がアメリカで刊行されると、間もなくドイツ語やフランス語など、各国語に翻訳されて一躍ベストセラーに。アメリカの第26代大統領のセオドア・ルーズベルト、第35代大統領のジョン・F・ケネディら、各国の要人も手にしています。中でもルーズベルトは同書に感動したことがきっかけで親日家になり、日露戦争を終結させるための仲裁役を担っています。長引けば日本が敗戦する可能性が高まっていたと言われており、新渡戸稲造が日本を敗戦から救ったともいえるでしょう。

「武士道」日本語訳の出版は、日露戦争の後わった1908年のこと。その後、時代が変わっても読み継がれ、「武士道 現代語で読む最高の名著」(三笠書房)、「新訳武士道 ビギナーズ日本の思想」(角川ソフィア文庫)など、現代に至るまで様々な解説本が出版されています。

また、翻訳本も複数出版されており、その中には新渡戸稲造が設立を支援し、開校後は顧問を務めた津田塾大学の設立に携わった櫻井鴎村が翻訳したものもあります。津田塾大学(創立時は女子英学塾)を設立し、新五千円札の肖像に決定した津田梅子と新渡戸稲造は親友で、1929年に津田梅子が病でこの世を去った際、葬儀に参列した新渡戸稲造は30分にも及ぶ弔辞をよんでいます。親友だった二人がともに同じお札の肖像画に選ばれるとは、なんとも奇縁ですね。

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新渡戸稲造の名言が奥深い!「自警録」や「人生読本」など

研究や教育に尽力した新渡戸稲造は子供の頃から西洋の文化に触れる機会に恵まれ、札幌農学校時代にはキリスト教に深く感銘し、洗礼を受けています。敬けんなクリスチャンであったことから人々の平等と平和を願い、21歳にして「願わくは、われ太平洋の橋とならん」と口にし、その生涯を閉じるまで日本と諸外国との懸け橋となるべく、心血を注いだ人物でもあります。

東西の融和に努め、国連事務次長、太平洋問題調査会長として国際平和にその身を捧げた新渡戸稲造でしたが、晩年は激動の波にのまれて彼の愛国心は誤解され、生命の危険に脅かされるまでの状況に追いやられてしまいます。批判や中傷にさらされる中、それでも日本の孤立化を食い止めようと海外へ飛び、最期まで諦めず平和への道を模索した新渡戸稲造の心根に宿っていたのは、武士道の精神に他なりません。

「武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である」

「信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である」

自著「武士道」にこう記した新渡戸稲造。その言葉の真実を自ら示したことこそが、彼が偉人として称えられる所以なのでしょう。

新渡戸稲造は「武士道」の他にも、多くの自著で数々の名言を遺しています。

「理想を行動に移すことが人生である。理想なしにぶらぶら流れのまにまに生きているのでは、存在するというだけで、人間の生活をしているとは言いがたい」
(「自警録」)

「善い意味のプライドとは、自分の心を潔く守るように努力することである。悪いプライドは、他を侮り、見下げ、いばることである。本当は持たない者なので、感情的に持つ者をねたんだり、恨んだり、憎んだりするのである」
(「人生読本」)

「他人にどのような欠点があっても、程度が違うにしても、同じ人間である以上は、自分にも必ずいくぶんの同じ欠点がある」
(「世渡りの道」)

ここで全ては紹介しきれませんが、心に迷いが生じた時、新渡戸稲造の名言に救いのヒントが見つかるかもしれません。

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