岡田克也 夫人、息子、弟、家族は?イオン、ジャスコの御曹司の資産がとんでもなくスゴすぎる!
岡田克也 妻は村上水軍の末裔? 弟は東京新聞政治部長で「兄でも容赦しない」
今年1月に民主党代表に返り咲いたばかりの岡田克也。清廉潔白なイメージの反面、「堅物」とも評されることもありますが、実際、岡田克也の家族はどのような人物なのでしょうか?
妻の多津子との間に2男1女をもうけています。岡田多津子は、村上水軍の末裔と言われており、自由民主党の村上誠一郎衆議院議員の妹です。岡田克也は司法試験を目標に所属していたサークルで、村上誠一郎と一緒でしたが、その村上が第37、38回衆議院議員総選挙に出馬。
選挙活動で多忙なのをいいことに、選挙支援グループにいた妹の多津子にアタックして親密になり、結婚に至ったそう。交際が、兄である村上誠一郎にばれたときには、「俺がいない間に、父親代わりに育てた妹に手を出しおって。」と激怒されたとか。
子供たちについては、あまりオープンにされていないようですが、夫婦そろって息子、娘の小学校の運動会に参加していました。詳細は不明ですが、平成初期に娘の誘拐未遂があり、警察署で警備を強化したという話しがありますので、公表は避けているのでしょう。
また弟で、東京新聞政治部長をつとめる高田昌也がいます。養子縁組に入ったことで姓が異なるわけですが、兄同様に真面目で堅物として知られ、「たとえ兄でも記事では容赦しない。」という信条。
岡田克也も「批判的なことを弟に書かれないように注意しないと。」と周囲に漏らしていたとか。ただ、お互いに決して不仲というわけではないようです。
岡田克也 保有資産にイオン株12万3000株! 出自はジャスコ創業者の次男
今年5月に公開された衆院議員各党首の資産総額によると、民主党代表の岡田克也は3173万円の保有資産で5位にランキングされています。トップは「生活の党と山本太郎となかまたち」の小沢一郎代表の2億1491万円。岡田克也の資産内容は、三重県四日市市と東京都新宿区に土地・建物を持ち、イオンの12万3000株、国債600万円を保有しています。
それもそのはず、岡田克也の父親は、ジャスコ創業者である岡田卓也、イオン取締役兼代表執行役社長の岡田元也は実の兄という家柄。つまり、岡田克也はジャスコ・イオンの御曹司ですから、イオン株を大量に保有しているのもうなずけます。
しかし、岡田克也に、岡田卓也のジャスコ・イオングループとの関連を突っ込むと、必ず不愉快な顔になると言われています。街頭演説の場所をジャスコ前にセッティングしたことに、岡田克也が怒り出し、場所の差し替えを命じたというエピソードも残っているくらいです。
さらに、昨年には、ある民主党候補が「見てください!このシャッター街を!全て自民党のせいです!」と街頭演説で自民党の失政を非難したところ、「なに言ってんだ!ジャスコのせいだ!」と民衆からヤジが飛んだという話もありました。岡田克也が聞いたら怒り出しそうですね。いずれにしても、ジャスコ・イオンとの関連は、岡田克也にはありがたくない話題なのでしょう。
岡田克也 衆議院議員、民主党での経歴は?
岡田克也 衆議院議員当選9回 もとは自民党竹下派として政界へ
もともと、岡田克也が政治家となった理由は、「国家国民のために何かをしたい」ということよりも、父である岡田卓也が抱いた野望「岡田家の繁栄のため、政治的な名誉を得る。」のためとされています。
ケネディ家のジョン・F・ケネディがアメリカ合衆国大統領まで上り詰めたのと同様な理由のため、地元の三重県四日市市では「四日市のケネディ」と評されているそう。その是非はともかく、岡田克也の政界入りは自民党の元総理大臣・竹下登と岡田克也とのつながりで、自民党竹下派の新人候補として出馬したことがきっかけでした。
その後、1990年の第39回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。それ以降、当選回数9回を数え、現在も引き続いて衆議院議員の現職です。自民党時代は、当初は竹下派でしたが、一連の政治不祥事などでの竹下派分裂後、政治改革を訴え、若手国会議員の代表格として頭角を現していきます。1993年には自民党を集団離党し、新生党結党に参加、翌1994年に新進党に合流することになります。
岡田克也 民主党での歩み 要職を歴任
岡田克也は、新進党解党後、国民の声、民政党を経て民主党の結党に参加、以後、民主党の要職を歴任します。2004年、代表だった菅直人が国民年金未払が発覚したため辞任、後継有力候補だった小沢一郎も同じく年金未払で代表選出馬を辞退し、岡田克也が急きょ民主党代表に就任します。
それ以降、「政権準備党」を名乗るなど衆議院選挙での政権交代をアピールし、2004年7月の第20回参議院議員通常選挙では自民党を1議席上回る50議席獲得など躍進します。以降、民主党の幹事長、代表など歴任、政権交代時は大臣として閣僚に名を連ねるなど、民主党の顔として活躍してきました。
一時期は、充電期間として主なポストから退いたときもありましたが、のち復帰。民主党が野党転落後も、民主党の代表代行などを経て、今年1月には民主党代表に復帰します。
しかし、地元三重県では、第18回統一地方選挙で、知事選での民主党独自候補の擁立を断念、自主投票するなど影響力が衰え始めているとみられています。
岡田克也 不可解な訪韓 朴槿恵大統領に利用された?
民主党代表の岡田克也が韓国を訪問、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領と会談しました。8月3日のソウル市内の青瓦台(大統領官邸)での両氏の会談は、予定の30分を約10分間超過し、約40分間に及んだそうです。
朴大統領はまず、「安倍首相の70年談話が、これまでの認識を踏まえたものになれば、韓日の関係も未来に向かう。」とし、慰安婦問題についても「急いで解決しなければ。事実上、今が解決のための最後の機会。よい方向で解決されれば両国の安定的な関係に寄与する。」と語りました。
対して、岡田克也は「1998年の日韓共同宣言を取り上げ、韓国側にも歩み寄る努力を促し、慰安婦問題については「彼女たちの苦しみを思うと誠に申し訳なく、日本の政治家として恥ずかしい。」と語ったそうです。
予定を超過したということは、朴大統領が岡田克也と厚遇したということ。言い換えれば、朴大統領が自分たちの立場を強くアピールするために、岡田克也を利用したとの見方が強いです。
それだけ、韓国は逆風にさらされていることの裏返しでしょう。そんなときに「韓国が譲歩しかかっているタイミングで、なぜわざわざ韓国に手を差し伸べたりするの?」、「外交オンチもほどほどにして!」、「岡田一族のための政治活動?」などあきれる声をネットでちらほら見かけます。不可解な訪韓です。
こんな不可解なことが続くと、民主党に政権を託そうと考える人はいなくなるでしょう。岡田克也と民主党は、このタイミングでの訪韓の意味を明確にすべきだと思えてなりません。そういった意味から、今後の岡田克也の言動に注目していきたいと思います。