細田博之は名門派閥「細田派」の会長!事務所不在の戦いでも連続当選する理由

細田博之は名門派閥「細田派」の会長!父親の秘書を経て議員に

細田博之は名門派閥「細田派」の会長!

自由民主党総務会長や幹事長、国会対策委員長、内閣官房長官などを歴任し、現在は、清和政策研究会、通称・細田派の会長も務める細田博之。自民党内の「清和会」とは、かつて存在した鳩山一郎が総裁を務めた日本民主党の流れを汲む保守派の名門派閥です。

1962年に福田赳夫が旗揚げをして、後に「清和政策研究会」と名称を変えました。その時々の会長が誰であるかによって決まるのが通称で、これまでの歴史は、福田派(福田赳夫)→安倍派(安倍晋太郎)→三塚派(三塚博)→森派(森嘉朗)→町村派(町村信孝)と続いています。

しかし、2014年に行われた第47回衆議院総選挙の結果、それまで町村派の会長だった町村信孝が衆議院議長に就任したため、町村派を離脱。細田博之が後任の会長として就任したため、細田派と呼ばれるようになりました。

細田博之は父親の秘書を経て議員に!気になるプロフィールは?

これまでさまざまな要職に就いてきた細田博之とは、どのような人物なのでしょうか。1944年4月5日生まれで、島根県松江市出身の細田博之は、東京教育大学付属駒場高等学校(現在の筑波大学付属駒場高等学校)を経て、東京大学法学部に入学。卒業した1967年に、通産省に入省します。

その後は、産業政策局物価対策課長などを務めますが、1986年に退官して、父である細田吉蔵議員の秘書を務め、1990年に衆議院総選挙に出馬。時の実力者だった竹下登に次ぐ2位で、見事に初当選を果たしました。

細田博之は事務所不在の戦いでも連続当選!趣味はピアノ

細田博之は事務所不在の戦い!しかし有権者の理解で選挙は連続当選

1996年に小選挙区比例代表並立制が導入されて以降は、島根1区から出馬している細田博之。2017年10月22日に開票された衆議院選挙では、前日の21日に、地元である島根に「最後のお願い」に出向いています。しかし、その後は東京に戻らねばならなかったため、選挙当日の事務所は本人不在のまま開票を迎えることになりました。

そのような中、主役である細田博之が不在でも、テレビの選挙速報では、早々と「細田博之氏 当選確実」のテロップが!松江市内のホテルで選挙の行方を見守っていた支援者たちは、「不在でも有権者は理解してくれる」と、夫の不在を守った洋(ひろ)夫人と共に万歳コールで祝福しました。この当選で、細田博之は、通算10期連続当選を果たしています。

細田博之の趣味はピアノ?世界的ピアニストに褒められた腕前とは?

細田博之の趣味は、意外にもピアノ演奏です。レパートリーは、ベートーベンの「月光ソナタ」やショパンの「雨だれ」、リチャード・クレイダーマンの「ノスタルジー」などで、腕前もなかなかのものだと、知る人の間では評判になっています。細田博之がピアノを始めたのは小学生の頃ですが、3年くらいで辞めてしまったとか。ピアノを再開したのは39歳の時のことでした。

細田博之曰く「選挙で多くの人と会うため、疲れていたのでしょうか。ピアノに1~2時間集中すると気分転換になった」と、ストレス発散に思わぬ効果が生まれたようです。「練習曲を弾くのが嫌いだから」と、先生には付かずにもっぱら独学で練習していますが、世界的ピアニストの故・中村紘子にその腕前を「感受性が強く、音楽的」と褒められ、とても励みになったと話した細田博之。

演奏会などは開いていませんが、自身のファイルには、お得意の15曲を収めた秘密の楽譜をいつも忍ばせているとも明かしています。

細田博之が「我々は安倍総理を支える政治集団!」と自民党議員の不適切発言に苦言!

2018年4月26日に、細田派の会長を務める細田博之が、ツイッターでの議員の不適切発言が問題となっている状況について、「自身の発言には十分に注意をするように」と苦言を呈しました。曰く、「我々は安倍総理を支える政治集団なのだから、同志の議員や党員に常に感謝の念を抱いて欲しい」とのこと。

しかし、それからわずか2週間後の5月10日、よりによって細田博之が代表を務める自民党・細田派の会合にて、自民党議員による独身女性に対するセクハラとも取れる発言がまたまた飛び出しました。発言の主は、自民党議員の加藤寛治衆議院議員です。

問題になった内容とは、「結婚はしない」と答えた女性に対して、加藤寛治が「結婚して子供を産まなければ、人様の子供の税金で老人ホームに行くことになる」と発言したことでした。この発言が他の議員の強い反発を生み、派閥の幹部議員たちから厳重注意を受けた加藤寛治は、10日夜に、発言を撤回するコメントを発表。翌11日に改めて謝罪の意を示しましたが、時はすでに遅し……。世間からのバッシングがなかなか収まらない事態となりました。

「あれほど釘を刺したのに……」。安倍晋三内閣の屋台骨を支える細田博之の心中は、いかほどのものだったでしょう。9月に予定されている自民党総裁選に向けて派閥が一枚岩にならなければならないこの時期、細田派会長としても気が抜けない日々が続きます。

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