オリビア・ニュートン・ジョンの死因は?30年の闘病生活で伝えた希望

オリビア・ニュートン・ジョンの死因は?闘病中の活動


オリビア・ニュートン・ジョンのプロフィール
◆生年月日:2022年8月8日
◆出身:オーストラリア・ビクトリア州
◆身長:167cm
◆血液型:非公開

オリビア・ニュートン・ジョンの30年にわたる闘病生活に幕が下りる

イギリス出身の歌手・オリビア・ニュートン・ジョンが、2022年8月8日に亡くなりました。死因は、乳がんと報じられています。1992年に乳がんと診断されたオリビア・ニュートン・ジョンは、闘病生活を送りながら活動を続けていましたが、2017年にがんが脊椎に転移。病状はステージ4まで進行していたといいます。

病気と向き合いながらも、がんの早期発見の重要性を訴える啓発活動や、植物医学の浸透にも尽力。オーストラリアに設立した「オリビア・ニュートン・ジョン財団」を通じて、植物療法を目的とする医療用大麻の合法化を政府に訴えていました。

2018年末には突然死亡説が流れたため、翌年1月に自ら否定する動画を公開。この時、「私の夢と言えば、生きているうちに、このがんとの闘いの終わりが目に出来ること」という言葉も残していました。どのような状況でも希望を捨てず、ポジティブな態度を貫く姿は、病と闘う多くの人に勇気を与えたことでしょう。

オリビア・ニュートン・ジョンに「グリース」ダニー役俳優が寄せた追悼コメントは?

1974年8月発売のシングル「愛の告白」で大ヒットを収めた、オリビア・ニュートン・ジョン。翌年にはアメリカに拠点を移し、さらなる名声を獲得していきます。女優としても愛され、1978年6月公開のミュージカル映画「グリース」の主役・サンディ役によって、世界中に名を馳せました。

同作で恋のお相手・ダニーを演じたジョン・トラボルタは、オリビア・ニュートン・ジョンの死を知り、インスタを更新。「君がいることで僕たちの人生はとても素晴らしいものになった」と称え、「君のダニー、君のジョンより」と結ぶ追悼のメッセージを投稿しています。

かつて胸を高鳴らせながらスクリーンを見つめたファンたちも、豊かな時間を与えてくれたオリビア・ニュートン・ジョンへの思いが込み上げたのではないでしょうか。

オリビア・ニュートン・ジョンの夫や娘はどんな人?

オリビア・ニュートン・ジョンは離婚も経験!再婚した夫が妻の死を哀悼

オリビア・ニュートン・ジョンは、特殊な家庭で育ちました。第二次世界大戦を経験した父はイギリスのスパイとして活躍し、母方の祖父はノーベル賞受賞物理学者のマックス・ボルンです。

幼少期に家族でオーストラリアに移住し、14歳の時に友人たちとバンドを組んだことがきっかけとなって、音楽の世界に足を踏み入れます。

オリビア・ニュートン・ジョンの夫や娘も、著名な人物です。1984年にポーランド人のダンサーで元俳優のマット・ラタンジーと結婚したオリビア・ニュートン・ジョンは、1995年に離婚。2人の間に生まれた娘は、歌手のクロエ・ラタンジーです。

2005年には9年間交際していた男性が失踪したことが報じられましたが、2008年にアメリカの企業家で、環境問題の活動家でもあるジョン・イースターリングと再婚しています。

オリビア・ニュートン・ジョンが亡くなったことをインスタで公表したのは、夫のジョン・イースターリングでした。「オリビアは乳がんと30年以上も共存した勝利と希望のシンボル」と、妻の生前の闘病を労うコメントを添えながら追悼しています。

オリビア・ニュートン・ジョンは親日家!日本との関わりは?

オリビア・ニュートン・ジョンの「カントリーロード」は映画でお馴染み?

親日家としても知られる、オリビア・ニュートン・ジョンは、何度も来日して歌唱を披露していました。2015年に日本ツアーを敢行した際は、「Pray For Fukushima」と題した講演を追加。東日本大震災後の復興を祈って歌い上げました。

また、「カントリーロード」の邦題でも認識されている、ジョン・デンバーの楽曲「Take Me Home, Country Roads」を、オリビア・ニュートン・ジョンがカバーした際には、日本でも大ヒット。オリコン洋楽チャートで、1976年11月29日から15週連続1位を記録しました。

ジブリ映画「耳をすませば」(1995年7月公開)の冒頭には、オリビア・ニュートン・ジョンの歌唱バージョンが採用されています。劇中とエンディングで流れる本名陽子の日本語版と合わせて、メロディを記憶している日本人も多いのではないでしょうか。

「カントリーロード」以外にも、多くの名曲で心を癒やしており、日本にもファンが多いことは、いうまでもありません。

歌手の杏里のデビュー曲「オリビアを聴きながら」(1978年11月発売)は、オリビア・ニュートン・ジョンのアルバムに着想を得て作られた曲です。

日本の音楽業界にも影響を与えたオリビア・ニュートン・ジョンの功績を称え、2021年秋には旭日小綬章が授与されました。当時、「日本は大好きな国の1つ」とメッセージを寄せおり、親しみを感じていたことが伝わってきます。

国境を越えて心に響く音楽を届けてくれた歌手を失ったことは惜しまれますが、オリビア・ニュートン・ジョンの安らかな眠りを祈りましょう。

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