2022年5月17日 更新
尾崎豊の遺書全文公開の波紋!創作ノート発見と伝説は続く
尾崎豊の遺書全文公開も自殺と断定できず!?妻・尾崎繁美の証言に疑問の声
尾崎豊という10代のカリスマシンガーの不審死から20年が経過した2011年、彼自身が書いたとされる2つの遺書全文が「文藝春秋12月号」に掲載されました。1通は、尾崎豊が死の直前まで持ち歩いていたとされるセカンドバッグから発見されたもので、「先立つ不孝をお許しください」から始まり、「さようなら、私は夢を見ます」と結ばれています。
もう1通は、尾崎豊の自宅に飾られていた実母の遺影の脇で発見。「繁美、あなたは本当に女神なのですよ」、「裕哉、君は間違いなく天使なのですよ」と、鮮血で妻と息子への愛を綴られていました。記事を書いた記者は、遺書の公開に伴い、かねてから囁かれていた”尾崎豊他殺説”を否定し、自殺であったと結論付けています。
ところが、セカンドバックから遺書を発見した当事者とされる尾崎豊の実兄が、この遺書の存在を否定。実兄が発見したと証言したのが、謀殺が囁かれ続けていた妻・尾崎繁美だっただけに、遺書ねつ造疑惑さえも勃発しています。尾崎豊の死は、四半世紀が過ぎようとする今も謎が深まるばかりです。
尾崎豊の創作ノート60冊が単行本化!次々と出版される関連本が根強い支持を象徴
尾崎豊の遺書に続き、2012年には、全60冊にものぼる「創作ノート」が発見されたことが話題になりました。また、このノート60冊分を完全収録した単行本「NOTES:僕を知らない僕1981-1992」が、同年4月に新潮社から発売されています。ノートには、生前の尾崎豊の心の葛藤や、若者たちが心酔した楽曲にまつわる真実が綴られたものでした。
”盗んだバイクで走り出す”の歌詞で知られる「15の夜」が、当初は「無免許」というタイトルで書かれた曲だったことや、数ある名曲のお蔵入りになったフレーズなど、古参ファンによらず大変興味深いものです。尾崎豊の死後、多くの作家や、実父、実兄、妻・尾崎繁美による著書が出版されてきた尾崎豊は、”金のなる木”と揶揄されることも少なくありませんでした。
尾崎豊の創作ノートを保管していたのは、彼のほぼすべての楽曲の発表に関わってきたプロデューサー・須藤晃。彼の腹の中も気になるところですが、これらの出版本に需要があるということ自体、尾崎豊の生前の影を追い求めるファンがいかに多いかを物語っています。
尾崎豊の名曲「ダンスホール」制作秘話!「15の夜」CM使用は問題アリ?
尾崎豊の始まりと終わりを飾った名曲「ダンスホール」は実在の事件がテーマだった!
尾崎豊の初期作「ダンスホール」は、16歳で参加したCBSソニーのオーディションで歌った曲でもあり、人生最後のライブのアンコール最終曲でもあった名曲中の名曲です。「あたいぐれはじめたのは」、「長いスカートを引きずってた」と、ディスコにたむろする不良少女の肖像を、「俺の胸で眠るがいい」と柔らかく包み込むような楽曲。しかし、その制作背景には、1982年に実際に起きた凄惨な事件の影響があっといわれています。
新宿のディスコから連れ去られた2人の女子中学生が暴行され、殺害された「赤いスポーツカー事件」と呼ばれる未解決事件。尾崎豊は、その少女たちへのレクイエムとして「ダンスホール」を作曲したといいます。歌詞の中には、タバコや酒といったワードが散りばめられていますが、1980年代は、荒れた若者像がクローズアップされた時代で、他にも考えられないような凄惨な事件が起きています。尾崎豊の楽曲からは、こうした激動の時代に揺れ動いた若者たちの叫びが聞こえてくるものが多く見られます。
尾崎豊「15の夜」をCM使用したGUの意図!犯罪助長とクレーム相次ぐ
尾崎豊の代表作の中でも、おそらく認知度NO.1を争うであろう名曲「15の夜」。この曲は、GUのCMソングとして使われていましたが、2016年3月の放映直後から、「犯罪を助長するのでは?」として、BPOに多くのクレームが寄せられる事態となってしまいました。GUのCMは、スカンツ&マキシスカートを紹介するために、女優3人がキックスケーターで海沿いを軽快に滑走するというもの。
GU広報の説明によると、その疾走感が、”盗んだバイクで走り出す~”のフレーズにピッタリだったため、尾崎豊の「15の夜」を採用したとのことでした。しかし、「バイクを盗む」という犯罪行為を軽妙に扱った上、物を売る店舗のCMで「盗み」を助長するとは言語道断と、不快に感じた視聴者はが多かったようです。
「昔のヒット曲に噛みつくなんてバカバカしい」と、肯定的な意見も少なくはありませんでしたが、このような楽曲の使い方が、尾崎豊の意図したところだったかどうか。倫理的な問題もさることながら、選曲のセンスが疑わしい気がしなくもありません。
尾崎豊の遺書の真贋やいかに?息子・尾崎裕哉の生き方が証明する真実
尾崎豊が、妻・尾崎繁美と、息子・尾崎裕哉に、血文字で書いたとされる遺書は、今でも真贋を問う声が多く聞かれます。尾崎繁美が1998年に出版した著書「親愛なる遥いあなたへ―尾崎豊と分けあった日々」でも、遺書の一部が引用されていることに、反感を持つファンが多いのも事実です。
しかし、「裕哉、君は間違いなく天使なんですよ。私はただあなたを愛する名の神であり続ける」との一説は、できれば真実であってほしいもの。尾崎裕哉もまた、息子でありながら、2歳の時に死別した父親の真実を知らない1人だからです。2004年、2005年に発売された尾崎豊のトリビュートアルバムで「15の夜」を歌唱して以来、尾崎裕哉自身のオリジナル曲で構成されたコンサートが超満員になったこともありました。
2012年に出演した「金曜日のスマたち」では、「(尾崎豊の息子と言わないと)誰も集まってくれないでしょ?」と割り切った発言も残しており、彼もまた伝説のカリスマ・尾崎豊の名の下に生きていくのかと軽視した人もいるかもしれません。しかし、2016年7月放送のTBS「音楽の日」で、「I LOVE YOU」を生歌唱した尾崎裕哉には、かつての尾崎豊の面影を生き写しながら、まっすぐに生きていた形跡がうかがえました。
尾崎豊の息子として生まれたプレッシャーと葛藤しながら、誰よりも生前の尾崎豊の姿に影響を受けたであろう尾崎裕哉。彼が自然体で「音楽で社会貢献がしたい」と突き進むことができるのは、あの遺書があったからかもしれません。